とんだり はねたり

kinoppyの一日

大悲願寺

2019-12-01 | 寺社
Hi!みんな元気?引き続き過去の記録をUPしていくよ。これはまだ9月末の出来事。ということは、まだ2ヶ月分残っているということか。う~ん。がんばるぞ(何もそこまで・・・という声がきこえてきそうだね。笑)

この日はとても暑かった。JR五日市線、武蔵増子駅から徒歩15分、という情報だけで、線路沿いに延々歩いた。平日だったせいか、途中誰もいなくなり、一瞬不安になる時もあった。五日市線に乗るとたまに、車窓からチラットみえる山門のようなもの、お寺か?ずっと気になっていたお寺さん、大悲願寺、一本道でも何度か確認しながら、やっとたどり着いた。

長く西に続く土塀、お山に沿った造りなんだろうね。



長屋門(右から)



本堂に続く山門



仁王門



仁王門の前には金色山大悲願寺の寺名とその足元には季節の彼岸花が。(大きすぎて1枚には納められず)





とりあえずオープンな長屋門から潜入。入るとすぐこんな感じ。里山の寺って感じ濃厚。



右側に「お砂踏霊場」の説明がある。関東には四国霊場をまねた霊場が結構あちこちにある。



萩で有名だと聞き、遅れないようにと気を使ったが、もう、すでに散りかけていた。(涙)



石畳を歩いて左右を白萩に囲まれた本堂(東京都指定文化財)に到着。ひっそりと閉ざされている。
銅像の僧は誰だ?おそらく(確かめ忘れてゴメン)開山の祖と言われる洛陽出身の澄秀と思われる。



寺の縁起  

大悲願寺は源頼朝が壇越となり、澄秀を開山として、平山季重が建久2年(1191)に創建した。その後四世澄遍が延文5年(1360)に再開、関東管領足利尊氏、氏満父子から寺領20石の寄進をうけ、徳川家康が関東入国した天正19年(1591)にも20石のご朱印状を受領、近隣に末寺32ヶ寺を擁していた。多摩88か所霊場59番、武蔵五日市七福神の大黒天。

さらに「五日市町史」によると、大悲願寺は真言宗豊山派、金色山吉祥院と号し、本山は大和の長谷寺である。開山の澄秀が醍醐の三宝院に関係あったため、長く同院末であったが、明治29年2月長谷寺に変わった。とある。



萩と像、なんて上品でエレガント!



本堂のお向かい山門から本堂までが参道になっている。萩が美しい。





この萩には言い伝え(?)がある。伊達政宗がここの萩の美しさに萩を所望したという手紙が存在するらしい。(東京都指定文化財)



説明なしで読める人いる?



本堂を通り過ぎると左手に鐘楼。



右手に、観音堂に続く坂道 そして五日市物語ロケ地の標識。五日市物語って??



あきるの市HPによると

五日市は、かつて江戸の暮らしを支えるエネルギーや材木の供給基地として発展しながら、豊かな文化圏を形成していた。幕末から明治初期には、五日市憲法草案を起草した千葉卓三郎や、看護師として国内外で活躍し、世界初のナイチンゲール記章を受けた萩原タケを輩出した。また、五日市には、歴史的価値のある寺社も多く、森林や里山に抱かれた折々の美しい装いは私たちの宝である。豊かな歴史や自然に恵まれた五日市は、まさに「東京のふるさと」といえる。そして古き良き時代の風情が残るまちの素晴らしさを発信すると共に、自然愛や郷土愛を育んでもらうため「市制15周年記念事業」として、「五日市物語」を映画製作することにした。(中略)なるほどあきる野市PR映画というわけなのだ。

観音堂 このお堂は「無畏閣」とも呼ばれ1794年建立。中には、国指定重要文化財「木造伝阿弥陀如来及脇侍 千手観音菩薩・勢至菩薩坐像」が安置されているそうだ。





観音堂の彫刻が素晴らしい。正面欄干の彫刻は地獄と極楽を表している。右、中央、左の順







堂宇



観音堂の周囲は霊場巡りコースなど、樹木やお山の形状を生かしたお庭造りがなされている。深淵な雰囲気と温かさが同時に伝わってくる。観音堂の方に足を踏み入れて、このお寺の様子がとても好きになった。地味だと思ったこのたたずまいが、心の扉を開いてくれた感じがする。





最後に山門



山門、天井の彫刻がまた素晴らしい。kinoppyの経験では、東京近辺には全国的に有名ではないと思われるお寺さんでも、素晴らしい彫刻に行き当たることが少なくない。それは、おそらく家康が江戸入部の際京都、奈良などから宮大工も一緒に上京して働いたためではないだろうか。



山門から見た観音堂



昔日本には中国から仏教が、韓国から陶器が伝来し、中国の人も韓国の人も日本人となった。京都から仏師や宮大工と呼ばれる人々が江戸に渡り、東京の人になった。そうやって文化が広く発展、真藤していったものと思われる。しかしながら、現在はどこの国も自国のことしか考えず、一発触発って感じ。なんだか、寂しいね。鑑真のように失明し6度めにやっと渡日した人もいるのにね。

こんなこともやっているらしいよ。お寺も努力しているんだね。



最後まで見てくれてどうも有難う。じゃ、みんな、またネ





久しぶりの原宿、神宮散歩 vol 2

2019-05-29 | 寺社
Hi!みんな元気?お待たせしました。原宿、神宮散歩の続きだよ。間に色々投稿しちゃってごめんなさい。さて、いよいよ明治神宮参拝。神宮の森と外国人観光客レポート、みたいな記事だけど。良かったら覗いて見てネ!

何か神宮橋の後方に工事のような覆いが・・・。明治神宮ミュージアムを建設中だそう。以下神宮からのお知らせ↓

明治神宮は令和2年(2020年)に鎮座百年を迎えます。ただいまは、この式年の記念事業として昭和33年の御復興以来となる銅板屋根の葺替えを中心とした御社殿群修復工事を行っています。

昨年工事を始めたようね。kinoppyが神宮を訪問した日は今年(2019年)4月下旬、ゴールデンウィークに入る前。もちろん、まだ平成なり。



早速神宮の森にはいってみよう。久しぶり。はなから外国人観光客。



あれっ!参道が以前と違う。遠くからでも、違いが判る。みんなは判るかな?真中の神様の通る道の砂利が少なくなって、木の葉が沢山敷いてある。神宮の森の葉っぱは、掃除すると自然体系が変わってしまうので、神宮では捨ててないと聞いたことがあるけど。それに今までなかった歩道?が両側にできている。砂利が少なくなって、参拝客には歩きやすく改善されている。車いすの人やベビーカーのお子さん連れの人々に配慮されたものだと思う。何となく歴史的には納得しがたいが・・・。





御苑、菖蒲の時期にまた来よう。





少し行くと商売上手の写真屋さんが、こんなことやっていた。以前は神宮でこんなこと多分やってなかったよネ~。



南参道(原宿口)と北参道(代々木口)が出会う所にあるのが、二の鳥居。台湾阿里山産の檜で高さ12m、重さ13トン、木造鳥居としては日本一大きい。この鳥居は実は二代目で一代目は同じく阿里山産で、1920年明治神宮造営の折に台湾から運ばれてきたが、昭和41(1966)年に落雷により破損した。現在一代目の鳥居は大宮氷川神社の鳥居として第二のお役に立っている。(明治神宮HPより抜粋)



三の鳥居が見えて来た。





たまたま巫女さんを見つけ撮影



山門をくぐる前に身を清めて。日本文化に触れるのも楽しそう。
あ、間違ったやり方してる人がいるね。気づかなかった・・・。



山門の真横にドコモタワー



見える?



いよいよ山門



入ってみて驚いた。見違えるほど新しくなった神宮。勢いのある森の緑と相俟って輝いている!!



正面左手に楠木。明治神宮のご神木。





右手には同じく絵馬に囲まれた楠木さん。





正面。本殿。うひょ!外国人だらけ。観光バスでも停まったのかな?



鯉のぼり持って案内してるのは、たいてい日本人ガイド。まだ中は良く見られないらしい。



山門を抜けて反対側、入ってくる人々を撮る。外国人ばかり。ここにいるのが恥ずかしくなるくらい。エ~イ、ならいっそ、それを撮ろう。緑の美しい森を背景に行きかう観光客を撮ることにした。



読めないし、関係ない??



少し行くと、どこの神社にもあるあれが見えて来た。





沖縄の歌酒場で座った席の目の前に、「久米島」と書かれた酒樽があったのを思い出し、懐かしく、シャッターをきる。



可愛い三人娘、どこから来たの?



何をじっと見つめているのか?あまりに真剣で聞けなかった。日本の神社では見られない光景。神様の道。



反対側を見ると御苑の裏道が、まだ昨晩の雨を感じさせる。



一の鳥居を抜けた広場奥にカフェができていた。へぇ~、外国人だらけ。暑くて弱っていたkinoppyは早速行ってみることにした。



外にはこんな風に椅子が並んでいて、外国のお客さんは皆風景を眺めながら、デッキに座っていた。楽しそう。だが、kinoppyは暑いから、もちろん冷房の効いている室内へダッシュ↓



マンゴーアイス!ヒヤッ!美味い!



遊びに来たのか、近くに住んでいるのかわからないけど、ホッピング?警備のおじさんに注意されて降りてた。神宮にはホッピングでは入れないらしいよ。



神宮橋の麓で何やら売っている青年。kinoppyがここに来た時、橋の上でパフォーマンスしてたネ!たどたどしい英語で堂々と、失敗しても悪びれない。日本人も変わった。いよいよ令和の時代が始まる。



もう始まってるけど・・・。この日はまだ平成だったの。投稿が遅くなってごめん。じゃ、みんな、またすぐ会おうネ!

秋の信州 vol3 四柱神社

2018-12-19 | 寺社
Hi!みんな元気?遅くなったけど、頑張って投稿しちゃうよ。秋の信州が冬の信州になっちゃう。ゴメンネ。え~と、どこからだっけ、そうだ、穂高から帰って来たところだった。



ホームから市内を見てみようか。きれいな駅前ダネ。山が見えるってやっぱりイイネ!



ふと横を見ると、電車がゆっくり近付いて来た。白くてカワユイ、なぎさトレインって書いてある。早速パチリ。



鉄子さんだったら大喜びかな?鉄子さんではないけれど、kinoppyは大はしゃぎ・・・。



そんなことをしている場合ではない。早く四柱神社に行かなきゃ。

松本城に向かって歩く。途中本町だったかな?こんな石の標識を発見。戦国時代、武田信玄の軍が塩不足に陥り、敵方の上杉軍が塩を送って来た時に、塩を運んで来た牛を繋いだという伝説の石だそうな。今でも「敵に塩を送る」っていうよネ。伝説かもしれないけれど、ここら辺りが、塩の市として賑わっていたことは間違いないだろう。



一級河川女鳥羽川の土手、土手に沿って昔ながらの縄手商店街がある。土手のこちら側には中町通り。古風な感じに再建された美しい商店街がある。



千歳橋を渡って 四柱神社入口、なわて通りは参道



ここには松本市民と縄手通りの歴史を感じさせる興味深い標識(説明板?)が沢山あってとても面白い。標識を現在に至るまで大切に保存し、後世の人々や観光客にお披露目してきた松本人の心情、心意気といったものにkinoppyはいたく感動したのでございます。



拡声器でラ・クンパルシータ??そりゃ楽しいが、迷惑だろう(笑)しかし当時昭和22年頃にしてみれば、画期的な広告塔として人気を博し、売り上げも飛躍したらしい。市内各所に設けられ、最終的には騒音に反対する市民の空気銃発射により、廃止になったって。最初の拡声器は縄手通りらしいから、この時計台の辺り?かな?

さて、時計台の隣には、なにやら不気味な工作物?が。画面右の「縄手と蛙と題した」説明板には、明治12年に四柱神社が建立された当時、縄手通り商店街は参道として発展し、河鹿ガエルが沢山いた。しかし、いつの頃からか、川が汚れカエルは上流に追いやられ、商店街も活気を失った。昭和47年「カエル大明神」を祀り、水清く、活気のある通りにカエようと取り組みが始まったんだそうだ。左のかえる様の物が大明神かどうかは、わからない。しかしカエルの下の、雨風にさらされ、かすれてやっと読めた説明板によると、もともとは東京芸大の学園祭で使われたもの、とある。こんなところも、松本市民ってユーモラスで楽しいなあってkinoppyは思うんだよね。この説明板面白いから読める人は大きくして読んでみて、とても味のある文章だ。誰が書いたんだろう。


   

そろそろ四柱神社にお詣り、お詣り。左に四柱神社 右になわて通り商店街の看板 よはしら神社って読むんだね~。この神社の名前は、天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神の4柱を祀ることに由来。願い事、縁結びの神として広く信仰されているんだって。松本唯一のパワースポットらしいよ。

   

ちょうどもみじの紅葉真っ盛りでとてもきれいだった。









では、ゆっくりお詣り。何をお祈りしたかって?それは、ヒ・ミ・ツ。



紅葉と一緒に



先程紹介した参道、縄手通り左側、先程の入口から入ってくるとここに出る。露店が発展したという昔ながらの商店街。大分人が増えたね。



右側 こちらからは山が見える。こちらの方が賑わってるかな?後で通ってみたら大分通りが広かった。



商店街のそば御幸橋のたもとにある「若がえりの水」ここにもかえる。



御幸橋を渡って、



橋の袂に景色の良さそうなレストランを発見。思った通り






お食事は2階でと案内された。



お店の前で、松本の人に美味しいと教えられた、ポークソテーにするか、ちょっと迷ったけれど、



やはり正解、オムライス。コーヒー、サラダ付きで1500円位だったかな?松本にはそば屋が多い。上手くてもまずくても大体1500円位する。お店選びは東京とほぼ同じだが、蕎麦の量が違う。倍はある。kinoppyには食べきれん。それに比べれば、おきな堂のオムライスは安くて美味しいと断定できる。本当。オススメ!



お店の雰囲気を撮りたいなとちょっと見渡したら、ちょうど後ろに和服のお嬢さんがいた。断って1枚撮らせてもらった。向かいの男の子が「僕はどうしたら?」と言うので、「下を向いてて下されば結構ですよ。」(写らないからという意味で)と言ったら、後で本当は自分も撮って良かったんです。みたいなことを言われて、アレマ?もっと早く言ってくだされば・・・。(笑)それにしてもペアで和装とは、さすが松本!!



お腹が満たされたら、中町を見学するよ。「昔はこんなにきれいじゃなかった」と、仕事仲間の一人が言ってた。松本も町の活性化にに力を注いだんだね。良いことだ。






面白い、看板。つい引き寄せられて、下のお魚が良いネ!






このお菓子屋にはひっきりなしにお客さんが来ていた。美味しいのかな?















アトランダムに載せてしまったけれど、中町通りはこんな感じ。白壁が美しい蔵の町のような通り。kinoppyは買物は何もせず。ほとんどの観光客がそうじゃない??果たして、町の活性化につながっているのか?確かに集客はできてるよね。でも、kinoppyは更に裏通りを歩くのが大好き。そしていつも迷子になる。



ちょっと入った通りにあるお寺、後方にある建物は何かな?



どこをどう通ったか覚えてないけれど、コレ、姫達磨だよね!姫達磨と言えば愛媛。なぜここに?お店がお休みで確認できず。

   

忘れる所だった、松本のマンホールは手毬。縄手商店街で見つけた、てまり。



ちょっとした路地裏の紅葉 裏通りには表通りより安くて、質の良いお店が沢山。お蔭でまた迷子に・・・。



こんなお店も見つけた。次回来たら是非行ってみよう。



夕暮れが迫って来た。四柱神社の夕暮れ時、滝がある。こちらから見ないとわからない。



縄手通り奥に見つけたステキなビル。



そろそろ松本駅まで戻らねば、大通りに出る。kinoppy好みの絵が飾ってある画廊、また今度。



そして浮世絵ミュージアムのアンテナショップ、浮世絵好きのお友達を思い出して寄ってみた。



写真OK、お好きなだけどうぞ、と言われたので、チョコット。Sさん見てる?







駅構内で手毬寿司800円なり、を購入。美味しかった!!終わりよければすべて良し・・とね。できれば今度は日が長い初秋までにまた来よう。美しい町松本、優しい町松本、皆さんも是非どうぞ。



晩秋の松本はいかがでしたか?お楽しみいただけたかな?kinoppyとしては是非松本の皆さんのユーモラスで温かい性格を感じて欲しいな、と思っているよ。本当は市立美術館や深志神社も紹介したかったんだけど、時間と編集の関係で、なかなか良い写真が撮れず投稿を断念した。特に松本市立美術館にある草間彌生さんの作品撮影には再チャレンジしたいと思っている。いつになるかな?お楽しみに。最後まで見てくれてどうも有難う、じゃ、みんな、またネ!

大宮八幡宮 秋の大祭vol 2 十五夜の神遊び

2018-10-07 | 寺社
Hi!みんな元気?24号が大暴れして過ぎ去り、25号は北海道辺りで暴れまくってるらしいね。本当に今年は良く台風の来る年だった。被害に遭われたみなさんお見舞い申し上げます。
お待たせしました。「十五夜の神遊び」と言う行事でまた大宮八幡宮に行って来たので紹介するよ。投稿が遅くてゴメンナサイ。

先ずは身を清めて





結構広い境内なのです。左右に灯りの準備ができてるね。明るいのでまだ、人は少ない。



儀式の後には「月の音舞台」と言って邦楽の演奏や舞がある。今年は神職と巫女による雅楽と神楽器演奏。新進気鋭の尺八演奏家「き乃はち」氏による奉納演奏が行われた。kinoppyは時間がないので、竹灯籠の点火を見て退散した。雨も降って来たし・・。
これがその舞台。ススキが飾ってあってキレイ。十五夜の雰囲気十分だね。



だんだん暗くなって人々は今か、今かと待ちきれんばかりに。



「5時半になりましたので点灯いたします。」の言葉を合図に・・。kinoppyにはここがハイライトだった。す・て・き!



1300基の竹灯籠全部に火が入るのを待って。



ああ、楽しかった。小雨が降ってきたので、急いで駅へ。ふと、空を見上げるときれいな満月!有難う、またネ。



みんなはお月様を見られたかな?お団子を食べられたかな?じゃ、またね

大宮八幡宮 秋の大祭vol 1

2018-09-28 | 寺社
Hi! みんな大変ごぶさた~。ベランダから金木犀のほのかな香りが漂ってくる。台風までの爽やかな一日。イイネ!!さあ、今日からまた一緒にぶらりしよう!今日は杉並区にある大宮八幡宮の秋祭りをレポートするよ。ご存知ない方のために地図を貼っておくね。



京王井之頭線永福町駅から徒歩10分。永福町駅は2011年に駅舎の橋上化が完了、バリアフリー対応駅となった。改札前コンコースには、永福に在住していた彫刻家 佐藤忠良の彫刻「冬の像」が展示されている。北海道の染織工芸「優佳良(ユーカラ)織」のマントを着た女性の立像で、モデルは弟子の彫刻家 笹戸千津子。杉並区が購入、京王線の協力を得て展示している。彫刻の後ろには佐藤忠良について、もう1枚は昭和35年頃の駅写真と周辺に住んだ芸術家、文化人について解説されたパネルがある。洋画家中川一政の随筆「永福町雑記」に記された開業当時の様子が引用されている。(ウィキペディア)

改札前に置かれた彫像



像の左手に



像の右手に



教えられたとおり駅前の商店街を歩く。庶民的で落ち着いたな街並み、人々もとても穏やかで優しい感じ。でも商店街を行くのは遠回りだった。バスも沢山通る。駅前を斜めに突っ切って住宅街を抜ける方が全然早いし安全。やっと着いた。立派な神社だ。



沢山の露店が見える。賑わってるね~。早速行って見ようか。



その前に、大宮八幡宮について調べてみたよ。ちょこっと知識入れとこうね。

御祭神は 応神天皇(第15代天皇)
     仲哀天皇(応神天皇の父君)  
     神功皇后(応神天皇の母君)
境内社は
     大宮天満宮
     大宮稲荷神社 三宝荒神社 
     若宮八幡宮 御嶽榛名神社 白幡宮 
     多摩清水社

なかなか歴史のある立派な神社のようだね。

第70代後冷泉天皇の天喜年中(1053~57)に奥州に乱(前九年の役)が起きた。乱を鎮めよとの勅令を受けた鎮守府将軍源頼義公の軍がこの地にさしかかると、大空に白雲が八条にたなびき、あたかも源氏の白旗が翻るような光景となった。頼義公は武運を祈り出陣した。その後源頼義公は奥州を平定し、康平6(1063)年、京都の岩清水八幡宮より御分霊をいただいて、ここに神社を建てた。また、その子八幡太郎義家公も後三年の役の後、当宮の社殿を修築し、境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられている。
かつて、武蔵野国三大宮の一つで「多摩の大宮」あるいは「武蔵野国八幡一之宮」と称された。(ちなみにkinoppyの調べた所では、埼玉市の氷川神社、秩父市の秩父神社、そしてこの大宮八幡宮のようだ。あと行ってないのは氷川神社だけだな。)昭和44年には境内北端に続く旧境内地から弥生時代の祭祀遺跡や族長の住居跡が発掘され、太古からの聖域であったことが判明している。(大宮八幡宮HPより)

お待たせ。さあ、お祭り気分に浸って来ようヨ。イェイ!



定番の金魚すくい、金魚の数が多い!すぐ採れそうな気がするけど・・。やめとこう。



懐かしい射的、男の子なら、喜びそうね。



チョコバナナ



数えきれないほどの露店、こうやって全国を巡っているのかな?それにしても、なんて緑の多い神社だろう。樹木や竹藪がそこここに。神社裏は善福寺川沿いに樹木に囲まれた和田濠公園だ。

一の鳥居、二の鳥居を抜けて、仲門に到着。この奥に拝殿と本殿がある。



天皇をご祭神とするだけあって、至る所に菊の御紋。門柱には明治天皇と昭憲皇太后の御歌が・・。



拝殿には次々とお参りに来る人々が長蛇の列。まずは境内を散歩して来よう。



拝殿を右横から撮ってみた。境内には至る所に手描きの提灯?が飾られていて明るい。祝天皇陛下御在位30年と書いてある。



左手に進むとここは若宮神社



その先には御神輿庫、氏子区域内のお神輿32基がおいてあるそうだ。圧巻!建物前方には源頼義公と八幡太郎義家公が手植えしたと伝えられる松の木の子孫。享保年間には新井白石が「大宮の松の如くに長大に見事なるものにて、しかも数多きは見及ばぬ事」と感嘆したんだそうな。



折角なのでお神輿を撮らせてもらった。自由に入れて、ちょっとびっくり?今度はお神輿が練り歩いている時に来てみたいな。お神輿の由来が書いてある。「子供神輿は大正の平和博覧会に出品されたものであり、大神輿は同型のものを大正末期に造った。製作者は八丁堀の名神輿師 秋山三五郎氏、三代目秋山三五郎氏によると、現在では到底製作できぬ文化財的なものだそうだ。神輿は大宮八幡宮900年祭より神輿庫に常置している。」とある。へぇ~、ビックリ。









本殿の方に戻ってみると、アレッ、なにやら、神主さん達に動きが??kinoppyは急いで駆け寄り、パチリパチり。






安産祈願のご祈祷かな?



ご祈祷終了~。みんな一斉に歩きはじめた。どうやら本殿に向かっているようだ。kinoppyも大急ぎで、着いて行った。






拝殿。大宮八幡宮はとても開けた神社だ。こんなにkinoppyがウロウロしても誰も何も言わない。みんなが神事を自由に楽しそうに見守っている。境内に飾られた提灯などを見ると、それぞれ手描きで、子供の作品も多い。皆が喜んで積極的にお祭りや行事に参加している様子が見てとれる。日頃からの神社と氏子さん達のオープンで明るいお付き合いが感じられる。素晴らしい






ひょいと上を見上げると、ちょうどお賽銭箱の上あたり、素晴らしい照明が並んでいる。この神社では至る所に奉納者の名前が記されている。どこの神社でもそうなのかも。でも、ここでは目に入りやすい、と感じた。





真中(これには記名がない。菊の御紋だからか?)













左角を曲って拝殿左横に行ってみると、神主さん達はここから入ったらしい。発見!こんな靴をはいているんだ、へぇ~。とっても面白い。



北神門(赤門)を出て、外から撮ってみた。拝殿から見ると右側の門だね。神輿庫とは反対側。こちら側には神社の弓道場振武殿がある。更に進むと和田濠公園。



大きな弓を抱えて、本殿に向かってお辞儀をする人を沢山見た。こんな活動も街の人々との絆となっているとkinoppyは思うな。




可愛い絵模様の提灯?





だるまみくじ、カワイイ、kinoppyはその前に根付を買ってしまった。



こうして、今振り返って見ても、緑が多くて、清々しいステキな神社だった。



次は「15夜の神遊び」に来るよ。だから、みんな、それまで楽しみにしててネ!