映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

密告(1943年)

2014-07-28 | 【み】

★★★★★★★☆☆☆

 アンリ・ジョルジュ・クルーゾーって人は、登場人物を驚くほど冷たく突き放すことのできる、少数派の監督じゃないでしょうかね。これ、名監督と言われる人の中でもできない人が多い(と思う)中で、だからこそ、時が経ってもその作品たちが輝きを放っているんじゃないでしょうか。

 本作は、ミステリーなので、一応、見る人は犯人捜しをしながら見ると思います。私も、もちろんそうでした。しかし、そこはクルーゾー監督で、「そんな単純なハナシじゃねーんだよ、アホめが!」というお叱りをfinマークとともに突きつけられたような気がしました。そう、このハナシの犯人は、見る人によって見解が分かれると思われます(ちなみにリンク先のあらすじには断定的に書いてありますが、これは鵜呑みにしない方が良いと、私は思います)。

 匿名の「カラス」を名乗る怪文書が小さな町中を飛び交います。手紙で主に槍玉に上がるのが医者のジェルマンですが、その周辺にも矛先は容赦なく向かい、だんだん町の中は疑心暗鬼の雰囲気に包まれるという、、、。いかにもクルーゾーっぽい展開でしょ? じわじわ恐怖がやってくるぅ~。こわっ!

 序盤で、ある女性が犯人だと思わせるように話が展開します。さすがの鈍い私も、これには引っ掛かりませんが、彼女は実際、逮捕されてしまい、町中の人々から追い回される時の恐ろしさが、中盤までの一つのヤマです。そこからラストに向けて、カラスの正体が暴かれるべく、二転三転、ジェルマンの過去が明かされ、ああなってこうなって、、、、えええ~っ、って思っている間に、謎のラストシーンで幕。そう、あの老女が歩いて行くラストシーン、これが、犯人探しという視点で言えばキモだと思いました。思えば、この老女は序盤にも出てきていて、そもそも逮捕された女性が疑われるきっかけとなる事件の原因を作っていたのです、、、。

 でもまあ、真犯人は、見る人の解釈に委ねているのでしょう、監督は。そういう作りです。

 監督が真に描きたかったことは、やはり、「密告社会」の恐ろしさ、だと思います。本作がナチ占領下で作られていたこと、これがクルーゾーの怒りを静かに表したものとなったのだと、嫌でも思わざるを得ません。結局のところ、「カラス」は一人じゃなかったということも考えられ、「カラス」こそが、匿名で密告する、噂が噂を呼ぶ、推測が真実であるかのように独り歩きする「チクリ社会」の象徴と言ってよいと思います。よくぞ占領下でこんな作品を撮ったものだと、その気概に敬服します。

 あれほど、従順そうで、ジェルマンも心を奪われそうになったローラを容赦なく精神病院送りにさせ、友人でローラの夫であるヴォルゼも殺しちゃう、ジェルマンにとって散々なラストを提示するなんて、クルーゾーは、どうしてこんな残酷な話が描けるのか。優れた作品を生み出す人、ってのは、その登場人物を時に信じられないような突き放し方をして、見たり読んだりしているこっちが胸をえぐられる、ってことが往々にしてあるんだけれど、本作もまさにその一つだと思います。監督自身が登場人物に入り過ぎちゃう作品もママ見られる中、こういう作品こそ恐ろしく、また、優れた作品なのだと思うのです。

 いつもクルーゾー作品を見るたび思うけれど、やっぱり本作を見ても思いました。「クルーゾー、恐るべし」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする