映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

誰でもない女(2012年)

2016-01-15 | 【た】



 以下、リンク先のあらすじのコピペです。

 第二次世界大戦時に企てられたナチスの人口増加計画、その負の遺産を継いだ東ドイツの秘密警察、ノルウェーの女性の悲劇をテーマに、繰り返されるフラッシュバックや謎の人物の登場など、目まぐるしい展開で綴られるサスペンス。監督はこれが長編第2作目となるゲオルク・マース。アカデミー賞外国語映画賞ドイツ代表作品。

 カトリーネは、ノルウェー占領中のドイツ兵を父、ノルウェー女性を母として、第二次大戦中に生まれた。出生後は母親と引き離され、旧東ドイツの施設で育っていたが、成人後に命がけで亡命、母との再会を果たした後はノルウェーで母や夫、子供たちと共に暮らしていた。1990年にベルリンの壁が崩壊すると、カトリーネの元にスヴェンという弁護士が訪ねてくる。戦後にドイツ兵の子を出産した女性への迫害について、その訴訟における証人が欲しいというのだ。頑なに拒否したカトリーネはドイツに渡るのだが…。

=====コピペここまで。

 何気なく録画しておいたものが、思いもしない素晴らしい作品でした。衝撃、、、。残念なのはこの邦題。


 
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 またまたナチものです。なんだかんだ言っても、ヨーロッパ映画にはナチものがすごく多いですね。本作は、2012年制作だから、4年前の作品ですか、、、。

 さて、ナチスのレーベンスボルン(生命の泉)という単語は聞いたことありますが、内容はよく知りませんでした。日本の戦時下の“産めよ増やせよ”と同じようなものかという程度の認識でしたが、これがトンデモない大間違いだったことが分かり、衝撃的でした。本作の背景には、このレーベンスボルンにより数多引き起こされた悲劇がずしりと横たわっております。

 ノルウェーは、より純粋アーリア系というナチスの認識の下、SSは隊員とノルウェー人女性との間に積極的に子づくりをさせ、ノルウェーにもレーベンスボルンの施設を作って、そこでSSの子らを育てたわけですが、終戦とともにもちろんそれらは解体されただけでなく、ノルウェー政府によって、残されたノルウェー人女性たちは逮捕され、その子たちの多くは精神病院送りにされたという、、、。弁護士のスヴェンは、この時の政府の対応を糾弾しようとしていた様です。

 ただ、本作のカトリネ(字幕ではカトリーネではなくカトリネだったので、以下はカトリネで表記します)は、母親のオーゼがカトリネを出産後すぐに養子に出したため、戦後旧東独に連れ去られます。

 (ここから大いなるネタバレになりますのでご注意を)

 とはいえ、本作のカトリネですが、実はあらすじにある身の上話は別人のもので、彼女の本名はヴェラといい、旧東独の秘密警察、つまりシュタージのスパイだったのです。スパイとして、実在のカトリネの人生を乗っ取ったわけです。ヴェラ自身、東独で両親とは戦争による爆撃により死別し孤児院で育っており、孤児たちはシュタージに多くがスカウトされたようです。ヴェラもその一人だったということです。

 そして、旧東独は、スパイ活動の一環としてノルウェーの民家にスパイを潜入させたとか、、、。こわっ! しかも、レーベンスボルンで育った子どもを母親に返す、という名目で送り込まれた子もいたということで、ヴェラは、カトリネになりすまし、オーゼの前に「私があなたの娘、カトリネよ」と言って堂々と名乗り出たわけです。オーゼが信じ込むのもムリはありません。

 そして、カトリネになったヴェラは、潜り込んだノルウェー海軍で出会った男性と職場結婚し、娘にも恵まれ、オーゼとも良好な関係にあり、幸せな家庭を築きます。こうして、彼女のカトリネとしての人生を恐らく20年以上を積み上げてきたところから物語は始まります。

 要は、弁護士のスヴェンが、訴訟を進める過程でカトリネを名乗るヴェラの過去に不審を抱き、ヴェラの過去を明らかにしていくというのが、本作の筋立て。

 確かに、ヴェラのしたことは犯罪ですが、ヴェラ自身も戦争の被害者であり、旧東独という国家に翻弄された身です。すでに現実に夫と娘との家庭を築き、幸せな実人生を送って長い時間を経ている今になって、過去を暴き立てようというスヴェンが、私はヒジョーに憎たらしいと思いました。一体、アンタは何の権利があって人の人生をズタズタにするのさ、と胸ぐらを掴んで締め上げてやりたくなります。

 でもまあ、スヴェンにしてみれば、職業柄の正義感から、ヴェラのしたことが見逃せない、ってことでしょう。実際のカトリネは、不幸な亡くなり方をしており、それにはもちろんヴェラも絡んでいますし。

 しかし、それでもやっぱり、私はスヴェンの行為がムカツくのです。正義、ってのはね、もろ刃の剣なんですよ。正義を大上段に構える人間は、胡散臭いです。とにかくやり方が汚いんですよ。嫌がるヴェラを無理やり法廷の証言台に立たせたり、現在のカトリネがヴェラだという明らかな証拠をヴェラ自身ではなく、娘に見せたり。凄くイヤらしい。正義を通すのなら、現状を考えて、まずヴェラ自身と直接対決すべきでは。何でもそうだけど、私は、こういう外堀を埋めるタイプの人間は大っ嫌いです。

 スヴェンのしたことで、ヴェラの家族は崩壊、オーゼも放心状態となります。いくら真実だからと言って、こんな事態を引き起こす権利が彼にあったと言えるでしょうか。

 ラストは、衝撃的というか、予感したとおりというか。とにかく、最悪のバッドエンドです。と言って、鑑賞後感が悪いわけではありませんが、もの凄く胸が苦しくなるラストです。

 ヴェラの夫がすごくイイ男なんです。ヴェラに全てを打ち明けられた後、怒りと衝撃で呆然となって海を見ていると、そこへ同じく全てを知った娘が来て言います。「憤りを感じない?」……するとこの夫は、当然憤りを強く感じているのだけれど、こう返します。「それでも君の母親だ」と。、、、泣けました。夫としては怒りを感じても、父親としてはやはりこれが本音でしょう。すごくジーンときました。

 この夫は、序盤でも、娘にイイこと言うんです。娘(どうやら未婚の母らしい)が「もうダメ、何もかもうまく行かない。カオスだ」と言って頭を抱えるんですが、そんな娘に対し「うまくやろうとするな」と言うんです。そしてこうも。「今の君に必要なのは恋人だ」とね。こんなこと言える親、世界で多分10人くらいしかいない(根拠はありません)と思いますよ。素晴らしいキャパの広さです。ヴェラは男を見る目はあったのですね。

 あと、過去のシーンが随所に挟まれるんですが、ここでヴェラの若い頃を演じている女優さんが、現在のヴェラを演じるユリアーネ・ケーラーにそっくりで、最初、私は本人が若いメイクをして演じているのだと思ったほどです。過去のシーンは、ちょっと画像を敢えて荒くした感じにしているので、余計にそう思いました。

 冒頭から緊迫感全開で息つく暇もない逸品です。見終わった後、もう一度見ると、色々と合点が行き、納得できます。私も、都合2回見ました。そして、また見たいと思います。なので、DVDに保存しました。こういう地味だけど、思いがけない掘り出し物に会うから、映画ってやめられないのよぉ、、、。





果たしてカトリネとしてのヴェラの人生は偽りだったのか、、、。




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