作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv10994/
以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。
=====ここから。
1984年、アルプスの山奥。人里離れた農場につつましやかに暮らす一家があった。十代の姉ベッリ(ヨハンナ・リーア)、弟(トーマス・ノック)、母(ドロテア・モリッツ)、父(ロルフ・イリッグ)の四人だ。聾唖者の弟は、学校には通わず、山地で働く父の手助けをしながら、将来教師になることを夢見ている姉から文字や算数を教わっている。時々、奇妙な行動をとる弟に頭を悩ます家族だったが、それぞれ深い愛情に結ばれていた。
夏も終ろうとしているある日、芝を刈っていた弟は故障した芝刈り機に腹を立ててそれを崖から突き落として壊してしまう。怒った父親は、彼を家から追い出し、山の一軒家に追いやってしまった。
日がたっても弟はなかなか戻ってこないので心配した姉が弟を訪れる。久しぶりに再会する姉と弟。焚火を囲んで楽しく食事をした二人は一つの布団で寄りそって夜を明かした……。
晩秋の頃、父が弟のもとへやって来た。微笑む父に抱きつく弟。平和な日々は再び始まろうとしていた。
しかし、思ってもみない事態が起こった。姉が弟の子供を身ごもったのだ。ベッドに伏せる日が多くなる姉。冬を迎えたある日、姉は母にそのことを打ち明けた。その事に気がついていた母は、ただ黙認した。
しかし、母からそのことを聞いた父は狂乱し、銃を持ち出して姉を撃とうとするが、止めようとした弟ともみ合いになり銃が発砲し、父が絶命。母もショックのあまり息を引きとってしまった。
雪のふりしきる家で、姉弟で、両親の葬式を行なうのだった。
=====ここまで。
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存在は知っているけど、なかなか見る機会がない映画、ってのがあって、これもそのうちの一本ですね。VHSはあったみたいですが、既に幻となっているようだし、DVDはamazonにありますが、6ケタの値段がついているという、、、誰が買うねん?? な世界。
そんな本作をスクリーンで見られる機会が巡って参りましたので、一年で今が一番忙しい仕事を放り出して早稲田松竹に終映ギリギリに見に行って参りました。いやぁ、、、見て良かった。
◆坊や、、、目覚める。
ストーリー的には、割とありがちな姉弟の近親相姦モノなわけだけど、そんな言葉で総括するのも憚られる、非常に文学的な映画であった、、、。これぞ、映画っていう味わいを堪能した感じで、見終わって、決してハッピーな話じゃないのに、何故か心が熱くなって家路についたのだった。
両親も姉も、聴覚に障害のある末息子を「坊や」と呼んでいることから、この家族の持つ危うさの全てが察せられる。最初は「坊や」??と思ったが、しばらくして納得した。
あんな閉ざされた空間で、一家4人が暮らしていれば、いつか家族の危機が訪れることは分かりきっている。家族とは、いつまでも同じ形態で存在できる集合体ではないのだ。子は育って大人になるし、親は老いる。親は老いて朽ち果てるだけと言えばそうなんだが、子は大人になると、色々と厄介事を抱えるのだ。厄介事の最たるものが、陳腐な言い方だけど“性(セックス)への目覚め”である。
「坊や」と呼んでいれば、その時は永遠に来ない、、、なんてのはただの親のエゴであり妄想であって、その時は必ずやってくる。坊やは、聴覚に障害があるだけでなく、知的にも障害があると思しき描写が数々あり(父親譲りの癇癪持ち、ということになっているが)、身体の成長の割には行動や表情は幼く、坊や効果が見られる。でもそれも中盤まで。
……そもそも、この家族がどうしてこんな人里離れた山の上で孤独に暮らすことになったのか、それが分からないのだが、父親が変わり者のようで、やはり「坊や」に障害があることに起因している様子。母親は、坊やに障害があると知ってから性格が変わってしまった、、、と、ベッリの祖母(ベッリの母親の母親)が言っている。ベッリが学校を辞めた(辞めさせられた?)ことも関係があるみたい。
下界は汚れている! とか、そういう極端な思想でもなさそうだけど、「坊や」という呼称からも、それに近い感覚がありそうな感じはした。そうでなければ、子どもに教育を受けさせないという究極のネガティブな発想は出て来ない気がする。
それを確信したのは、終盤、ベッリが坊やの子を妊娠していると知ったときの父親の取り乱しぶりから。猟銃持ち出してきたもんね。ああ、やっぱり、、、って感じだった。まあ、冷静に受け止めた母親の方が、むしろスゴいとも思うが。
この後、父親が猟銃の暴発で死んでしまい、そのショックで母親も亡くなるという悲惨な展開になるんだが、ラストに向けて悲壮感があまりないのが良い。ベッリは悲しみにくれるのだけど、坊やと、これから生まれてくる子のこともあってか、両親を弔うときには、何かこう、、、凛とした大人の女性に変貌していた様に感じた。
最初は両親をベッドに寝かせ、棺に入れた後は、庭先に棺を埋めるのだが、顔は見えるようになっていて、その顔の部分に家のガラス戸を外して嵌め込んでいるのは坊やなのだった、、、。夕暮れになると、それに灯がともされ、両親の眠る顔が明るく照らされる。冷静に考えればかなりホラーな画かも知れないが、実に幻想的なシーンになっていて感動させられる。
◆“山”と“焚火”
閉ざされているとは言え、天空の世界で繰り広げられる、実に人間的なドラマなんだが、これが、アルプスの雄大な自然を背景にしていなかったら、ゼンゼン違う話になっていたんだろうなぁ、と思う。
例えば、都会であった場合、田舎でも寂れた農村だったら、、、? とか色々考えると、この物語はアルプスの山間だからこそ映画として成立し得たのだとつくづく納得させられる。他の舞台装置であれば、もっと俗っぽい話になっていたと思うから。あの、雲を下に見るような、アルプスの山々を背景にしていると、なぜか神聖な、厳かささえ感じる。
あの自然を見せられると、何でベッリは山を下りて学校へ行こうとしないのか、とか、この家族はどうやって現金収入を得ているんだろうか、とか、そうはいっても姉弟で近親相姦て、、、、などという現実的なツッコミを入れるのを忘れてしまう。
あの状況で、焚火を囲んでいれば、ちょっと感覚的に異次元の世界に行ってしまうことはアリかも知れない。たとえ姉でも弟でも、それが日頃から愛しい存在であれば、互いに肉体的につながりたいと思うものなのかなぁ、、、。
山で合体、、、といえば、あの『ブロークバック・マウンテン』なんだが、あのケダモノ的な合体シーンと一緒にするのは違う気はするが、山の持つパワーってのはあるのかも。
しかも、本作の場合、“焚火”まであるもんね。焚火には癒やし効果があるとかで(科学的な話ではありません)、焚火の音のBGMとか、焚火の映像とか、癒やしを求める人のためにあるのだそうな。焚火とまで言わなくとも、炎を見ると癒やしにつながるという話もあって、部屋を暗くしてアロマキャンドルを焚くとリラックスできる、というのもその効果の現れなんだとか。
ベッリと坊やが結ばれるシーンを見ると、確かにそうかもな~、などと思ってしまった。好きな人と結ばれたい!!と強く願うのならば、その人と焚き火をすると良いかもね。……って、何の話だ?
脱線ついでに、私は暖炉のある部屋に憧れているのだが、欧米では普通に集合住宅にもあるらしい暖炉、日本じゃめったにお目にかかれない。そもそも、煙突から煙が出たら、即ご近所問題になるだろうしなぁ。すぐ目の前で火が焚かれている、、、なんて素敵ではないか。
そう言えば、暖炉の前でのラブシーンって、映画や海外ドラマで結構ある気がしてきたなぁ、、、調べたことないけど。……あ、私は別に、そういう意味で暖炉に憧れているわけではありません、念のため。
◆ムーラー監督
フレディ・M・ムーラー監督の映画は、そもそも日本でもあまり多く公開されていない上に、ソフト化されているものも少ないレアものの様で、私も、本作以外には『僕のピアノコンチェルト』(2006)しか見たことがない。
『僕の~』は、これまた本作とはゼンゼン雰囲気の違う映画だったが、詳細は忘れてしまっているけど、なかなか良い映画だった記憶がある。こちらは、DVD化されてレンタルもできるので、また、見てみようかな。
本作と、『我ら山人たち』『緑の山』の3本が、伝説の三部作「マウンテントリロジー」と呼ばれている。確か、何年か前にどこかの劇場で上映していた(チラシをもらってきた記憶がある)けど、結局見に行けなかった。どれも、なかなかお目にかかる機会のなさそうな作品なので、いつかまた上映の機会があれば、そのときは是非3作とも見てみたい。
本作は、年明けに池袋の新文芸坐で上映される様です。