作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv74351/
以下、公式HPよりあらすじのコピペです。
=====ここから。
ファッションデザイナーを夢見るエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)は、ロンドンのデザイン学校に入学する。しかし同級生たちとの寮生活に馴染めず、ソーホー地区の片隅で一人暮らしを始めることに。
新居のアパートで眠りに着くと、夢の中で60年代のソーホーにいた。そこで歌手を夢見る魅惑的なサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)に出会うと、身体も感覚も彼女とシンクロしていく。夢の中の体験が現実にも影響を与え、充実した毎日を送れるようになったエロイーズは、タイムリープを繰り返していく。
だがある日、夢の中でサンディが殺されるところを目撃してしまう。その日を境に現実で謎の亡霊が現れ始め、徐々に精神を蝕まれるエロイーズ。
そんな中、サンディを殺した殺人鬼が現代にも生きている可能性に気づき、エロイーズはたった一人で事件の真相を追いかけるのだが……。
果たして、殺人鬼は一体誰なのか?そして亡霊の目的とは-!?
=====ここまで。
本作は、予備知識ナシでご覧になることをオススメします。
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本作も元日に見ました。意外に人が入っていましたね。やはり話題作は、元日からでも入るのですね。夕方だったせいか、初詣帰りと思しき方々もチラホラ、、、。
~~以下、ネタバレバレなので、よろしくお願いいたします。~~
◆これはホラーか?
序盤から前半にかけては、ホントにこれホラー??と思うほどにガーリーな雰囲気で、夢を叶えるために学校に入り、女子寮へ、、、という設定からして、『サスペリア』か!?と思ったけれど、まあ、ちょっと違いましたね。途中で女子寮出ちゃうしね。
というか、本作は公式HPにも「サイコ・ホラー」とあり、ホラーにカテゴライズされているのだが、見終わってみて、ホラーというよりは、オカルト・サスペンスじゃないか、という気がする。
女子寮を出て、一人暮らしを始めるアパートの部屋を見に行った時に、大家のおば(あ)さんミス・コリンズが「いろいろ思い入れがあるから改装していないし、売らない」と言うあたりで、こりゃ家モノのホラーか!とときめいたが、家モノともちょっと違って、ラストのオチは結構意外だった。
~~以下、結末に触れています!!~~
エロイーズが借りた部屋は、まんま、多くの死体が遺棄されていた部屋だったのだ。だから、ミス・コリンズは改装することも売ることもしなかったのだ。もちろん、その多くの死体を遺棄したのはミス・コリンズその人。
いやー、ラストのラストで、ミス・コリンズが打ち明け話をするところは、え?え??って感じで、怖いというより、スリリングであった。考えてみれば、「午後8時以降男子禁制」ってのも伏線だったのだね。
つまり、夢の中のサンディは、若き日のミス・コリンズだったということ。エロイーズの夢の中でサンディは男に殺されたけど、実際は、サンディは自分を弄ぶ男たちを片っ端から殺していたのだ。若い娘である自分を、性の対象としか見ない世の男たち、そのことに何の後ろめたさも感じずに欲望をむき出しにしてくる男たち、食い物にすることしか考えていない男たち、、、お前ら一人残らず成敗してくれるっ!!……というところでしょうか。
エロイーズにそんな怖ろしい夢を見させたのは、ミス・コリンズの怨恨と、数多の男たちの怨念だろうか。
最終的に、ミス・コリンズは本性を露わにし、夢を通して過去の自分を垣間見たエロイーズを亡き者にしようと襲い掛かってくるが、絶体絶命のところで、エロイーズは命拾いをする。一応はハッピーエンディングである。ラストのラストで、おっ!というシーンがあるけどね。まあ、こういうラストは想定内です。
◆フェミコード的にはダメダメですけど、それがなにか??
昨年見た『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020)と、テーマは被る。見せ方はちょっと違うが、ラストで男たちに鉄槌が下る展開は同じ。……と言う意味で、フェミやジェンダー界隈が注目しているみたい。
そういう切り口で見ると、この映画はダメダメでしょう。そもそも、女性に対する暴力の告発にはなりきっていない。途中まではそう見えるが、エロイーズに襲い掛かるのは、被害者本人であったはずのミス・コリンズと、加害者だった男たちの怨念であり、これでは何が何だか、、、メチャクチャである。
また、女性たちの描き方がすごく類型的なのも気になる。田舎から出てきたエロイーズはおぼこ娘、都会育ちの同じ寮生たちはオシャレ、、、とか。エロイーズが寮を早々に出るのは、寮生たちの嫌がらせ・イジメによるものだが、女同士なんてこんなもん的な視線が感じられるのは否めない。
私が、え゛ー-っとなったのは、サンディがポン引きのジャックと結ばれるシーンで、その時点でジャックのことをポン引きとは認識していないサンディが「私、遊びは嫌なの」とか言うわけよ、ベッドインする際に。そもそも、出会って数日で簡単に店の男と寝るサンディに、本当の野心が感じられなくてガックシ(まあ、だから食い物にされるんだが)だし、このセリフは「結婚前提でなきゃセックスはしない主義なの」とかと同じで、結局、セックスを武器にしているんだよね。
別にセックスを武器にしてもかまわないけど、本人がそのことに無自覚なのが痛々しい。セックスが武器になる時点でアウトという構造的な問題もあるが、そこまで映画に求めてもね。
何より、結局、本作の終盤は、女性に対する暴力をエンタメに仕立ててしまっており、アニャ・テイラー=ジョイという“カワイ子ちゃん”がいたぶられている様の描き方は、控えめに言っても“男性目線”を否定できない。
……だけれども、私はあまりそこを突っ込もうとは思わない。もちろん、そこをしっかり突っ込んでいる評はいくつか目にしたし、それを否定はしない。けれど、本作は、映画として面白いか否かで見れば、私はまあまあ面白いと思ったし、少なくとも女性への性暴力に対し、明らかに鉄槌が下されており、そこは大目に見て良いのではないかと思う。
あるフェミニストの批評家氏は、本作に否定的で、おおむね指摘はその通りだとは思うが、エロイーズが(もちろん夢の中でだけど)サンディがセクシーショーに出ているのを見てビビッて驚いているのはあり得ないとかなり批判しているのは違うだろうと思ったなぁ。あれは、サンディが歌手ではなく、安っぽいストリッパーみたいなショーで、しかも何人もいるバックダンサーの1人に過ぎない存在だったことにショックを受けて驚いていたのだと思う(私も驚いたもん)。歌手になる夢を実現させていくサンディに憧れていたのに、ゼンゼン違う!!何コレ!!みたいな感じだったんじゃないかね。
という具合に、いろんな見方ができるように作られているという意味でも、本作はそれなりによくできた映画と言って良いと思う。少なくとも、この監督にとっては意欲作だろう。それは伝わってくる。全方位に気を配った映画なんて、そもそもムリだろう。
60年代のファッション・音楽が楽しめます。