映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

動物界(2024年)

2024-11-25 | 【と】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv86899/


以下、上記リンクからあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 近未来、原因不明の突然変異によって、人類は身体が動物化していくパンデミックに見舞われていた。様々な動物に変異した“新生物”は凶暴性があるため、施設で隔離されており、フランソワ(ロマン・デュリス)の妻ラナもその一人だった。

 しかしある日、移送中の事故により彼らは野に放たれてしまう。フランソワは息子エミール(ポール・キルシェ)と共にラナの行方を探すが、しだいにエミールの身体にも変化が現れ始める。

=====ここまで。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 何となくブログの更新をサボっていたら、1か月以上経ってしまい、、、。PCもお腹もイマイチ調子が悪かったのですが、とりあえずPCは直ったっぽいです。お腹も大分良くはなって来たのですが、ここんとこ劇場へもあまり行っておらず、、、。でも、この映画はロマン・デュリス主演なので見に行ってまいりました。

~~以下、ネタバレしておりますのでよろしくお願いします。~~


◆変わる“属性”

 結論から言うと、途中までは面白く見ていたのだけど、終盤ズッコケたのだった、、、ごーーん。

 人間が“動物化”してしまう原因は全く分からず、敢えて言及していない。ただ、上記あらすじにもあるとおり、それらの人々は“新生物”と呼ばれて、隔離されている。冒頭、その新生物が救急車(あるいは、新生物の搬送専用の車両?)内で大暴れして大変なことになっている描写がある。新生物は凶暴になる(ものがある)ので、人間社会での共存は難しいということのようだ。

 感染症みたいな描かれ方で、とにかく隔離、、、ってんで、まあコロナ禍を嫌でも思い出すわけだが、果たして感染症なのかどうかは分からない。エミールが母親似であることを憲兵隊の女性に指摘されているなど、むしろ遺伝的な要素が強いようなイメージもあった。が、動物化の原因は重要ではない。

 動物化は明らかに昨今の社会情勢のメタファーである。もちろん本作は社会派映画ではまったくないが、フランス制作であることを考えると、移民問題を始め、社会の分断や、LGBT等々がそのモチーフと思われる。

 でも、本作での“新生物”の特徴は、マジョリティからマイノリティになることで、つまり“属性が変わる”ことにある。

 現実社会の差別は、ほとんどが属性差別であるが、その人の持つ属性は、基本的には不変である。○○人であること、女(あるいは男)であることは基本的には変わらない、、、、というか、変えようがない。そういう、本人の意思とは無関係な“属性”で差別するから問題となる。けれど、動物化して差別の対象となる、というのは、現実に置き換えて考えると、例えば、性的違和により性別変更したとか、信仰する神を変えたとか、、、に近いかも知れない。でも、性別変更や宗旨変更は、本人の意思であることを考えると、やはり違う。

 何のメタファーであれ、動物化していく様が特殊メイクやCGを駆使したのだろう、妙にリアルで、正直言って何とも言えない気持ち悪さを感じた。


◆ズッコケた理由は、、、

 この奇病に罹っていない人たちは奇病を恐れ、新生物を忌み嫌っている。あんだけ凶暴だったり見た目がグロかったりすると、差別するな!排除するな!と言われても、なかなか難しい。だからこそ、不幸にも(?)奇病に罹った人たちは皆、悲嘆に暮れているし、家族も絶望している。

 エミールが奇病に罹っても、なかなか顔面に変化が現れないので、フランソワは気付かないし、学校の生徒たちも気付いていない。確実に身体が変化していく過程で、エミールは鳥化していくフィクスという男と知り合い、親しくなる。

 このフィクスが、鳥化していく身体もグロいのだが、私が解せなかったのは、フィクスが必死で飛ぶ練習をしているところ。練習が奏功したのか、その後、フィクスは自由に空を飛べるようになるのだけど、鳥になる過程で飛べないのは当たり前で、完全に鳥になるまで待てばいいだけやないのか??と。当然、腕が翼に変化していくわけだが、人間の腕と胴体のバランスなんて、物理的に飛べるわけがないのに、何で必死に練習しているのかが分からない。フィクスが飛べるようになったのは、単に鳥化が進んで、翼と胴体のバランスが飛ぶのに適したものになったからやない??……とか、真面目に考えて見ている自分がちょっとアホらしくもなったのだが、、、。

 フィクスは意のままに飛べるようになったら、あまり鳥化したことを悲観していない様子になっていて、楽し気に飛び回っている。他の、新生物たちも、動物化が進行すると、森の中や自然の中でひっそりと(?)自由に生きているっぽい。

 で、私は何となく本作のオチを予想して、ちょっとイヤ~な気持ちになって来た。予想が外れて欲しいと思いながら見ていたけど、ラストはほぼ予想通りになってガックシ、、、。

 エミールが奇病に罹っていることがフランソワにバレてから、急に展開が雑になる。

 フランソワは息子が施設に連れて行かれないようにと、息子を連れて車を暴走させて逃げる。が、車が道を外れて木に激突し、万事休す、、、かと思いきや、フランソワはエミールに「自由に生きろ!」とか言って、息子を森に放つのである。

 ……いや、あの、、、フィクションに対して理屈を捏ねるのはヤボだと分かっていますけど、いくら何でもそれって自然とか野生で生きることを舐めてませんか??と感じた私の感性はやっぱしヘンなんでしょうね。

 こないだまで人間として生きていた生き物が、いくら過渡期を経たとはいえ、急に自然に放り出されて、野生動物みたいに自由に生きろ!って言われて生きていけると思います??? 私が何か月後かに何かの動物になっても、森で自給自足で天敵から身を守りながら生きていくなんて、ほぼ不可能だと思いますわ。あっという間に死ぬと思うなぁ。

 映画はいいよね、エミールが森に放たれてジ・エンド。その後、翌日にでも何かに喰われて死んだかもしれないけど、そこは描かなくても良いわけで。お気楽だなーー、と。

 つまり、本作の監督さんは、奇病に罹ったことは不幸ではない! 人間から動物になって自分を解放することが出来たのだ!! とでも言いたいのか。いくら何でも無責任すぎやしませんかね、、、。まあ、そこまで考える必要もないんだろうけどさ。

 なんか色々とオカシイ、細部に齟齬があり過ぎるシナリオは見ていて白ける。前提があり得ない大ウソであればあるほど、細部にはこだわって欲しいよなぁ。


◆その他もろもろ

 ネットで本作の感想を拾い読みすると、割と好評っぽい感想が多く、やはり、私みたいな見方をする人間はひねくれているのだね。

 ロマン・デュリスは相変わらず上手いし、良い役者だと思うが、本作ではイマイチ彼の良さが出ていなかったような。息子より先に動物化した妻を変わらず愛しているというのだが、それを描写する説得力のあるシーンがなく、見ていて彼が妻をそれほど愛しているってのが分からない。

 ……というか、別に、見た目が激変して意思疎通も出来ない動物になった配偶者に対し、愛情が変化したっていいと思うんだよね。現実に置き換えて、じゃあ、難病奇病に罹った配偶者を見捨てるのか!と怒られそうだけど、本作の奇病に対して、その例えは不適切で、現実に置き換えれば、認知症で全く性格も人格も変わってしまうとか、そっちの方が近いんじゃない? それで見捨てることは、そら出来ないけど、愛情は変化するのは全然アリでしょ。情はあるけど愛せない、、、ってこと、あると思うよ。

 フィクションで、相手がどんなに変わっても、変わらずその相手を愛せることをやたら主張するの、罪が深いと思うわ。こういう欺瞞に満ちた美談は世に溢れているけど、それで刷り込まれて、実際自分がそういう立場になって相手を愛せなくなったことに罪悪感を抱いてしまう人は多いと思う。変わらず愛することも、もう愛せなくなることも、アリなのだ。

 なので、ロマン・デュリス演ずるフランソワが「お母さんを変わらず愛してる!」とエミールに何度も言っているのは、どうにも奇異に見えてしまった。フランソワがそうやって自分に言い聞かせているようにも感じた。

 ちなみに、エミールを演じているポール・キルシェ、時々見せるふとした表情が誰かに似ているなぁ、、、と思って見ていたのだが、見終わってからイレーヌ・ジャコブの息子だと知ってちょっと納得。

 残念ながら、フランソワにしろ、エミールにしろ、人物描写が浅く、設定におんぶに抱っこな作品と感じた次第。


 
 

 

 

 

 

 

 

設定が似ていると言われるランティモス監督の『ロブスター』とは似て非なる映画。

 

 

 

 

 

★★ランキング参加中★★


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ホールドオーバーズ 置いてけ... | トップ | 農民(2023年) »

コメントを投稿

【と】」カテゴリの最新記事