トルコのある町に住む、夫婦と息子の一家。極貧ではなさそうだけど、裕福ではないみたい。ある晩、町の政治家セルヴェットが交通死亡事故を起こすが、セルヴェットは、一家の主、つまり夫であるエユップに犯人の身代りを頼む。エユップはセルヴェットの運転手らしい。そして、エユップはその依頼を金と引き換えに受ける。
息子は(大学の?)受験に失敗し、浪人中なのだが、母親ハジェルに車が欲しいとねだる。ハジェルはセルヴェットに金を無心に行くが、それをきっかけに、なんと、二人は不倫。
家族はどんどんおかしな方向へ進むのだが、、、、。
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昨年のカンヌでグランプリを獲った『雪の轍』を監督したヌリ・ビルゲ・ジェイランという人の作品。ある方のブログで絶賛されていたので、ちょっと見てみようかと思いました。2時間弱だから短めだし。
、、、で、見終わって、正直なところ、うーーーん、という感じです。雰囲気は嫌いじゃないけど、ちょっとね、、、カッコつけてる映画、という感じを抱いてしまいました。
タイトルは、いわゆる“見ざる、聞かざる、言わざる”の三猿、ってことでそのまんまです。でもまあ、この一家が当てはまっているのは“言わざる”だけじゃないですかね。息子は母親の不倫を見ているし、夫も出所後の妻の様子がおかしいことを不審に思って聞いています。だけど、肝心なことを皆が言わない。
そもそもこの作品が“言わざる”だもんねぇ、、、。セリフは少ないし、画だけで見せようという意図が伝わってきます。それは別に構わないんだけど、間が悪いというか。不必要に長い間が多すぎると思うのです。それは、展開の速い映画を見慣れているからだ、と言われるかもですが、冗長と言われがちなクストリッツァの作品とか、ものすご~く一見ムダにワンシーンが長いんですが、これはちゃんと意味があると分かりますし、アルトマンの一見ダラダラ展開の間とかも、ちゃんと意味があるというか、計算されている。でも、本作のこの間は、あまりそれが感じられないのです、私には。
まあ、この間が、この家族の三猿的なもどかしさを醸し出しているとも言えましょうが、それも安易な気がするし。
息子が駅で吐くシーンとか、やたらハジェルの携帯が何度も鳴るシーンとか、息子と母親のとりとめのない会話の長いワンシーンとか、もちろん、意味が感じられるシーンもあるんですけど。なんか、このムダに感じる間が、妙にカッコつけてるように感じた最大の理由です。
しかし、トルコでは、身代りで刑務所に入ることって、そんなに珍しくないんでしょうか。終盤、息子が犯した罪について、エユップは身寄りがなく貧しい知り合いの青年を身代りに立てて服役させちゃうんですよ。自分がしたことを、他人にも平気でさせちゃうのです。この辺はちょっと??です。
あと、一番イマイチだと思ったのは、話の筋が読めちゃうこと。ほとんど内容については予備知識なく見たんですけど、こうなるのかな、と思った通りに話が進んじゃった。ラストの息子に身代りを立てるのも、もしかして、、、? と思ったら、本当にそうなっちゃうし。意外性ゼロって、制作側の完敗だと思うんですけれど。いかが? もう少し、人に見せることを考えて作ってほしい、と思う。
別にストーリーがベタでも良い映画はたくさんあるし、意外性だけが基準にはならないけれど、でもねぇ、、、本作については、ベタというより、ありきたり、類型的、という言葉が当てはまる気がします。それをカバーするために、この間の多い演出だとしたら、なおさら、いかがなものか、って感じです。
しかし、母親の不倫、しかもまさにベッドで脂ぎったオヤジと絡んでる場面を目撃しちゃった息子の気持ちって、どんなでしょうか? 私だったら、もう、母親と同じ空気吸うのも嫌だと思いますが、、、、。その辺は、息子と娘の違いでしょうか。
あと、この家族には、一人、亡くなった方がいるんです。それは、息子の弟だと思われます。その弟が出てくるシーンが2つほどありますが、これが結構コワい。そう、このシーンだけは意外だったかな。意外性ゼロではないですね、正確に言えば。何とも言えないゾッとするシーンでした。
映画友は『雪の轍』に興味抱いていたけど、私はもともと長い映画はあんまし得意じゃないし、本作を見て、さらに見る気が失せたかも。
予想通りに展開するオハナシが少々退屈。
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