作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv79969/
以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。
=====ここから。
1953年、復興途上のロンドンで公務員として働くウィリアムズ(ビル・ナイ)は仕事一筋で生きてきた。いわゆるお堅い英国紳士である彼は、仕事場では部下に煙たがられ、家では孤独を感じる日々を過ごしており、自分の人生を空虚で無意味なものだと感じていた。
そんなある日、ウィリアムズは医者から自分ががんを患っていること、そして余命半年であることを告げられる。手遅れになる前に充実した人生を手に入れようと、彼は大きな一歩を踏み出す。
=====ここまで。
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これも、前回の「ザ・ホエール」同様、見たのはGW中。オリジナルの「生きる」があんまし好きじゃないので、本作も本当なら見る気にならないはずなんだが、なんつっても主演がビル・ナイで、脚本がカズオ・イシグロと聞けば、まあ、一応見ておくか、、、という気になってしまった、という次第。
でも、正直なところ、前半は退屈で睡魔に襲われそうになること数度。目覚めたのは、ビル・ナイの歌声。歌えるのは知っていたけど、やはり彼は芸達者な役者さんだ。
オリジナルよりも全体に小奇麗になっていて、アクが抜けた感じだったけど、私は本作の方が好きだなぁ。
それは、志村喬が苦手で、ビル・ナイが好きだからってのが大きいんだけど、不思議なのは、オリジナルで志村喬演ずる渡辺さんの変わり様にどうにも違和感が拭えなかったのが、本作のビル・ナイ演ずるウィリアムズの豹変ぶりには、ゼンゼンそういうのを感じなかったってこと。これも、単なるビル・ナイ効果か??
みんシネにも書いたが、オリジナルの渡辺さんが公園づくりに勤しんだのは、結局、自分のためにしか思えなかった。このまま無為に死を迎えたくねぇんだよ、オレは!!っていうね。そこに、たまたま公園問題があったから、これ頑張ってやって死のう、みたいに見えたのよ。住民のため、じゃなくてね。いや別に、結果として、住民の要望が実現したんだから動機が利己的だって別にええやん、という見方もあるし、そうだと思うけど。でも、志村喬の演技を見ていて、私は「ええやん」とはゼンゼン思えなかったわけです。
翻って、本作でのウィリアムズ氏はどうかというと、まあ、動機は似たようなもんだし、背景もほぼ同じ。なのに、渡辺さんに感じた、「この人、どこまでも自己都合な人やね」というネガティブなイメージは抱かなかったというか、余命宣告されたら、ああいう風に変わるのもアリかもね、なんて思っちゃった。……やっぱり、ビル・ナイ効果かねぇ。
あと半年しか生きられない、と分かったとき、自分ならどういう心境になるのかは、想像がつかない。どういう最期を迎えたいかとかも全く分からない。呆気なく死にたい、と思ってはいるが、こればっかりは自分の意志でどうにかなるもんでもない。ただ、私の友人のお祖母さんは、日頃から「ぽっくり死にたい」が口癖で、日々健康に気を使って暮らしていたそうなのだが、本当に「ぽっくり」亡くなったんである。訃報を聞いたとき「え?先月お会いしたのに、、、!」という感じだったのを覚えている。なので、日頃の心掛けも大事ではあるのだろう。
オリジナルでの、渡辺さん亡き後の葬儀のシーンが、私はものすごく退屈でウンザリしたのだが、本作はその辺りは実にサラッと簡潔にされていて、それも好印象になった要因の一つ。オリジナルは、とにかく長過ぎる。出てくるのもほとんど、おじ(い)さんばっかだしね。
オリジナルより小奇麗なのは戦勝国だからかな。
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