作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv71012/
以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。
=====ここから。
ジヨン(チョン・ユミ)は結婚を機に退職。育児と家事に追われ、常に誰かの母であり妻であり、閉じ込められているような感覚に陥ることがあった。
疲れているだけだと夫のデヒョン(コン・ユ)にも自分にも言い聞かせていたが、ある日からまるで他人が乗り移ったような言動をするように。ジヨンにはその間の記憶はなく、傷つけるのが怖くて真実を告げられないデヒョンは精神科医に相談に行くものの、本人が来ないことには何も改善することはできないと言われてしまう。
何故彼女の心は壊れてしまったのか。少女時代から社会人になり現在に至るまでの彼女の人生を通して、見えてくるものとは……。
=====ここまで。
原作は同名タイトルの小説。韓国ではベストセラーになった半面、批判の嵐も起きたとか、、、。
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以前、Twitter上でかなり原作本が話題になっていたので、タイトルは知っていたけれども、あんまり読む気にならなかったのでスルーしていました。が、映画化され、劇場に行ってまでは見ようと思えなかったけれど、このほどDVD化されたので、レンタルして見てみることに……。おおむね想定内ではあったけれど、良い映画だと思いました。
◆男を糾弾する映画ではない。
原作については、ネット上だけでなく、NHKの何かの番組でも取り上げていたが、テーマ自体に新鮮味はないし、この問題(ジェンダー)については、イロイロ誤解も多いのであんまし私自身は首を突っ込みたくない感じだった(後述)。ただまあ、映画は2時間で済むし、レンタルだから大した額でもないのでイヤなら途中で止めれば良いし、顔を背けてはいても根っこの部分では大いに関心事であることに違いなく、まあ、見ておこう……くらいな気持ちで見てみたのだった。
が、結論から言うと、原作は未読なので分からないが、本作は非常に巧いシナリオで、男を糾弾するわけでなく、女が自己憐憫に陥るわけでなく、安易に男女を対立軸とせず、良いバランスで構成されており、また俳優たちの演技も素晴らしく、映画としてとても秀逸だと感じた。スクリーンで見なかったことを後悔するほどでもないが、もし見に行っても、わざわざ劇場まで来るんじゃなかった、と思うこともなかっただろう。
ジヨンはまあまあ恵まれた環境(コレ大事)にあるんだが、それでいてこの状況なのだから、韓国社会の女性の扱いはおおよそ想像がつくというもの。原作の訳者、斎藤真理子氏(文芸評論家・斎藤美奈子氏の妹だと初めて知った)のインタビューによれば、韓国では徴兵制があるため、徴兵されない女が日常の面倒を引き受けるのはアタリマエ的な風潮があるらしい。
徴兵のない日本でも男性優位の点では大差ないだろう。都市部ではかなり変わってきているかも知れないが、田舎などはまだまだ、、、。世代的に考えをアップデートできない人たちも多いし、そういう人たちを相手に闘うのは徒労で虚しいわね。闘わないで逃げる、、、というか、我が道を行けば良いのだが、なかなか口で言う程たやすくないのが現実。
ジヨンのいる“まあまあ恵まれた環境”ってのが厄介なんだよね。原作者によれば、貧しい設定にすると、問題の原因が貧しさに矮小化される可能性があるので避けたとのこと。経済的にもまあまあ、夫も一応(表面的には)家事育児に協力的、、、っていうね。もっと圧倒的に裕福だったら、家政婦を雇えば良いけど、それは出来ない。夫の言動も優しい言葉の裏に毒があり、しかもそれに関して夫はまるで無自覚、あくまで善意による言動だから、かえって始末が悪い。「君がいいならいいよ」「君のために○○したい」みたいな言い方は、フェミニストを自認する夫にはありがちだろう。
そんな中で、ジヨンは疲弊しきって精神に異常を来し、時折、別人格が現れるようになる、、、という設定になっている。別人格になって、ジヨンの苦しみを第三者的に語るというこの設定が上手いな~、と思う。本人が正気で訴えるより効果は絶大。こんな風になってしまっている妻や実娘の様子を見たら、そりゃ誰だってヤバいと思うよね。特に、実母の眼前で憑依するシーンは、私も見ていて泣けてきた。あんな娘を目の当たりにした実母の気持ちを思うと、胸が痛い。
そうなって、ようやく、夫のデヒョンは、自分の言動を顧みようとする。自分が優しさだと思っていたことが、却って妻を傷付けていたことに、ようやく目が向いたという感じだった。でもまあ、まだまだ理解はできていないだろうが。
原作はバッドエンドらしいのだが、本作のラストは希望の持てるものになっていたように思う。とはいえ、それは飽くまで“ジヨンは”であって、女性一般が救われるものになっているわけではない。でも、少なくとも、ジヨンが回復する兆しが描かれることで、見ている者も少しホッとするから、良いのではないだろうか。バッドエンドよりは、救いのあるエンディングの方が良い。
◆オカシイのはあなた。
原作について、「首を突っ込みたくない」と前述したが、何で首を突っ込みたくないと思ったかというと、この問題は、人種差別と同じで、多分、半永久的に解決しないだろうと思うから。私は大学で女性学を(一応)学んで、フェミニズムも囓った。フェミには根本的には同調する立場で、性差別には断固反対であるが、ミソジニーの方々がフェミを毛嫌いする理由も(頭では)分かるし、そういうフェミの脇の甘さには嫌悪感があるのも事実。だから、“この手の本”と一括りにし、食わず嫌いで手を伸ばす気にならなかったのだ。
男性優位は、程度の差はあれ、世界的に見られる傾向で、歴史的にも脈々とその流れが引き継がれてきた。その解決を、絶望視してはいるものの、望んでいないわけではもちろんない。私が社会に出た頃の90年代前半に比べれば、大分、女性も働きやすい環境になってきているのは間違いなく、改善はこれからも続けるべきだと思っている。
私がこの問題に無力感を覚えるのは、同じ女性で、ジェンダー平等を揶揄する人たちが少なからずいるからだ。
あるブログで知ったのだが、塩野七生氏は「男女同等を叫ぶこと七十年である。企業でも七十年も成果を出せなければ経営陣はクビだが、フェミニズムの世界ではこの原理は通用しないらしい。これって、普通に考えてもオカシクないですか」と批判しているそうだ。塩野七生氏といえば、『ローマ人の物語』は面白く読んだものの、彼女のエッセイはそこはかとなくミソジニーの匂いがして嫌いだったが、こんなこと書いていたのかと唖然となった(原著には当たっていないです、念のため)。彼女は歴史に材をとって著作物を出してきた人よ? 千年以上の男性優位の歴史があって、70年かそこらでドラスティックに変えられると本気で思っているんだろうか?? それに、企業経営と、人権運動を同じ土俵に乗せて論じるって、仮にも“知識人扱い”されている人とは思えないウマシカさ。もう人間のDNAレベルで刷り込まれた慣習・思想を、数十年というスパンで変えられないことを批判するって、そっちの方が「オカシクないですか?」と聞きたいわ。
大体、男女同権を実現したら、企業経営と同じで、“利益”に反するから実現したくない人(男)が大勢いるってことなのに、だからみんな徒労感を覚えながら闘っているのに、そこの矛盾はスルーして、さも妥当な例えのように書いているのだから悪質極まりない。
ちなみに、このブログ主も女性で、塩野氏に全面的に同調している。この方は、百田某とか門田某がお好きなややネトウヨ気質だが、別にネトウヨでなくても、こういう思考の女性は決して珍しくはないと思うのよね。
ましてや、男たちに理解しろ、なんて、ほとんど寝言に近いとさえ思えてくる。
男・女関係なく、理解を広めて協力し合うことが重要なので、別に“女同士で連帯せよ!”と言いたいわけではないが、この問題がそれくらいセンシティブで難しい要素を孕んでいるってことは間違いない。
本作の終盤、ジヨンがカフェでコーヒーを落としてしまったシーンが印象的だった。それを見て若い男女3人が「迷惑だよな」「ママ虫」……などと悪口を聞こえよがしに言うのである。ママ虫とは、前述の斎藤真理子さんによれば「夫の稼いだお金で遊び回っている母親を侮辱するネットスラング」だそうな。その後、ジヨンは意を決して彼らに抗議するが、もちろんそれはシーンとしてジヨンが強くなるためのシーンなんだが、非常に薄ら寒くなる嫌なシーンだった。
ジヨンが紙ナプキンで床にこぼれたコーヒーを必死で拭いているのに、誰一人手助けしようとしない、店員さえも。私は、「ママ虫」よりも、そのことが衝撃だった。私も、あの場にいたら傍観者になるんだろうか、、、。いや、せめて一緒に床を拭くくらいの行動ができる人間ではありたい。人として、そうありたい。
ジェンダー問題を解決する近道は、やはり“教育”しかないと思う。小学生からきちんと人権教育を行うべきだろう。教育って、やっぱりもの凄く大事なのよね。愛国者教育とかじゃなくてね、、、。
映画が割と好感を持てたので原作を読んでみる気になったのだが、買ってまではちょっと、、、、と思って図書館に予約をしたら、何と、135人待ちだった。今年中に読めるかしら。
ジヨンの女性上司がカッコイイ。
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