映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ガタカ(1997年)

2016-01-09 | 【か】



 近未来の世界。人間はそのDNAによってあらゆることが決定づけられる運命にあった。それ故、誰もが自分と相手の優性遺伝のみを結合させた受精卵で我が子をこの世に送り出すことに血道をあげていた。

 そんな世にあって、前時代的に両親がセックスしそのまま妊娠した挙句に生み落されたヴィンセント(イーサン・ホーク)は、DNA的には適正でない「不適正者」として、宇宙飛行士(適正者しかなれない)になりたいという夢の前に、そもそも彼にはその扉さえ開かれていなかったのである。

 努力で実現することが絶対的に不可能な夢。しかし、ヴィンセントは諦めなかった。家族を捨て、ある手段により宇宙開発事業組織「ガタカ」に職員として採用されることに成功する。絶望的だった夢への扉は開かれたのだ。

 しかし、ある日、ガタカ内部で殺人事件が起きる。その現場で、「不適正者」のまつ毛が採取され、ヴィンセントは殺人事件の犯人、さらには不適正者という二重の容疑がかけられることに。

 果たして、彼の夢は達成できるのか。


 
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 評判が良いのは知っていたけど、なかなか見る機会がなかった本作。ようやくBSで大分前に録画してあったのを見ました。

 冒頭、白い大きな羽(?)みたいなものが一つ、二つ、、、と上から降ってきます。???、、、何だろう? 今度は、大きな管みたいの(?)が一つ、二つ、、、とまた上から降ってきます。?????、、、なんじゃありゃ? そう、これは実は、爪と毛髪だったのですね、、、。途中でようやく分かりました。

 これに続くシーンも謎めいていて、冒頭からいきなり好奇心を鷲掴みにされます。上手いな~。まんまとその手に乗っちゃったよ、私も。

 DNAを解析したら、たちどころにその人は何年くらい生きられるか分かっちゃう、なんてのは、今や現実になっていると言っても良いのでは? それで乳房摘出する人だっている世の中です。

 本作を見て、不謹慎ながら、私は競走馬の世界を思いました。あの世界は“血統主義”なのでしょう? 詳しくは知りませんが、とにかく、父馬は何で、母馬は何で、って、必ず紹介されますもんね。これだって、要はどんくらいスゴイDNA受け継いでいるかってのを原始的ではあるけど計っているわけです。でも、実は、その血統書が偽造された物だったら? そして、ゼンゼン駄馬の種の競走馬が、なんとG1制しちゃったら? みたいな話、小説でありませんでしたっけ?

 これと同じ話だなー、と。

 まあでも、精子バンクや卵子バンクを利用する人は、その提供者の容姿・IQ・学歴・性格等々のデータをきっちり選んでから受精させるわけだから、それともこれは同じ話でしょう。

 というか、今現在の世の中も、大差ないなー、と。生まれながらにしてどう逆立ちしたって就けない職とか、あるでしょ? 具体的に挙げると、ちょっと問題が多いのでやめときますが、性別、出自、容姿、、、その他、自分の責任とは全く無関係の所で既に選択肢がいくつも取り上げられているものなんてたくさんあります。

 本作でのヴィンセントは、後天的に身体が不自由になった元・適正者ユージーン(ジュード・ロウ)の人生を、手に入れます。ユージーンの生活を保障するという条件と引き換えに。もちろん、本来は不適正者なわけだから、人一倍、いや百倍万倍の努力をして、適正者としてガタカに勤務するわけです。

 この、適正者になりすますことを決意することとなった、アントン(実の弟で適正者)との水泳での競争シーンはグッときます。それまでずっと負け続けていたアントンに、彼は初めて勝ちます。そして、DNAは絶対陥落不能な砦でないことを自らも確信するのです。

 アントンとの水泳での競争シーンは、終盤にもう一度あり、そこでもヴィンセントはアントンに勝ちます。真正適正者であるアントンは、ヴィンセントに負けるはずなどないのに、二度までも敗北します。アントンは刑事になっており、ガタカでの殺人事件の捜査に当たりますが、ユージーンを名乗る男が実はヴィンセントだと分かり驚愕、自らの適正者としてのプライドを賭け、二度目の水泳競争に挑んだわけです。

 結局、本作は、適正者も不適正者も、非常に不幸な世界を描いていると思います。ユージーンは適正者であるが故に競泳選手として金メダルが取れないことに思い悩み自殺未遂し、挙句、足が不自由になります。アントンだって、結局、ヴィンセントに対し全てに勝っているべきという呪縛から逃れられません。もちろん、一番呪縛が強いのはヴィンセントその人です。

 いやしかし、不適正者は、それでもまだ「自分は不適正者だもんね~~、パッパラパ~」と諦念してしまえば、むしろ楽かもしれません。それこそ「置かれた場所で咲きなさい」じゃないけど、選びようのない与えられた状況で折り合いさえ付ければ良いのですからね。むしろ、適正者の方が辛い。あいつらに一つでも劣ってはならぬ、、、なんて。自殺したくもなるわ、そりゃ。

 実際、ユージーンは、ラスト、本当に今度こそ自ら命を絶ちます。その手段がまた、、、恐ろしいというか、何でそんな苦しい死に方選ぶの? と言いたくなるようなものでして。でも、ユージーンの選択は、確かにあれしかないだろうな、と、見終わってしばらくして合点がいきました。

 私は不適正者で折り合い付けちゃうクチですね、多分。ヴィンセントみたいには出来ないと思う。根性ナシなんで。そもそも、満足のハードルも相当低いし。ヴィンセントは、なるほど挑戦者で努力の人ですけれど、こんな苦しい生き方って幸せでしょうか。上ばかり向いて歩いている人生。彼はもちろん、足下も見て自ら努力したので良いのですが、現実社会では足下見ないで上ばっか見て歩いていたので転んじゃっている人、結構いません? それって、一度しかない人生なのに、どーなんでしょう? 七転び八起きとも言いますけどね。地道に歩いていたって転ぶのが人生なのに、上ばっか見て足下にあるキレイな花や犬のウンコに気付かないのは、やっぱしイヤかも。

 イーサン・ホークがジュード・ロウをお姫様抱っこするシーンがありまして、ちょっとドキドキしてしまいました。ジュード・ロウ、陰の主役で、なかなか素敵でした。ユマ・サーマンも若い!細い! 

 文句をつけるとすれば、まあ、色々ガタカのシステムは穴だらけで突っ込みどころ満載、ってのと、やっぱしヴィンセントがいかに人知れず努力しているかという部分がほとんど描かれていないことですね。セリフで説明しちゃってるのが興醒めというか。

 まあでも、イロイロ考えさせられる作品には違いありませんから、良い映画だと思います。





“育ちより氏”の不幸社会を、“氏より育ち”が喝破する。




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