元警察官で、今は探偵事務所を開いているギテス(ジャック・ニコルソン)は、ある女性から夫の浮気調査を頼まれる。難なく依頼に応える仕事をしたギテスだが、浮気現場を写した写真が、なぜか新聞一面を飾ったことから、自分が嵌められたことを知る。
真相を探り始めたギテスは、思わぬ巨悪の存在を知り、その泥沼から這い出そうとしている美しい未亡人イヴリン(フェイ・ダナウェイ)を救おうとするが・・・。
ポランスキーが手掛けたハードボイルド作品。
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書き記すことが一杯あって、何から書けば良いのやら。
まずは、ジャック・ニコルソンですね。若くて、かなりのイイ男です。それも、どこか胡散臭さのする、、、。役どころが私立探偵だから、ってだけじゃなく、彼は絶対的にアッパークラス的なインテリ風イイ男ではないです。どこか野卑た、、、しかし、不思議と下品でないのです。これは、美貌を誇りながら下品さが滲み出てしまってどうしようもないアラン・ドロンとは、ある種、対極にあります。ジャック・ニコルソン、この時、37歳ですかね。いやぁ、、、37歳でこの仕事。スゴイ、としか言いようがありません。
主役について書いたので、流れ的には、やはりお相手、フェイ・ダナウェイでしょうか。彼女は、逆に、翳のある上品な女性が似合いますねぇ。イヴリン、ぴったりです。線状の眉毛が印象的。
でもって、監督のポランスキーです。今回、本作を見たのは、ポランスキー作品をできるだけ見ようと思ったからですが、何の予備知識もなく見たせいか、こんなんも撮るんだ、この人は、、、と、半ば口あんぐり状態でした。『戦場のピアニスト』撮った人と同一人物ですよ? 『ローズマリーの赤ちゃん』撮った人でもあるんですよ? そして、『毛皮のヴィーナス』も、、、。なんちゅう守備範囲の広さ。作風というか、作品に流れる雰囲気も、全部バラバラ。大抵、同じ監督の作品って、どこか通じるものがあるでしょ? でも、この作品たちにそういうものはないと思うんだよなぁ。すごいわ、この人、やっぱり。
というわけで、名作の誉れ高い本作、ハードボイルドの雰囲気を堪能させていただきました。一言で言うと、「セクシーな映画」ですね。
ただ、かなり話は複雑で、ちゃんと頭働かせながら見ていないと分からない作品ですよね。水の利権が絡む、トンデモ爺ぃとの対決、という思わぬ展開に目が離せませんでした。
なので、都合、2回見たんですよ。そしたら、イロイロと疑問が、、、。
疑問① 夫の浮気写真が新聞に出た時、イヴリンは、なぜギテスを告訴したのか?
だって、そーでしょ? ただの覗き趣味的な話じゃない、って、イヴリンには容易に察しが付くはずです。イヴリンは、実父のノア・クロスが街のフィクサーであり、トンデモ爺ぃであることを知っています。その実父が夫と対立していたことも、夫が浮気していたことも、その浮気相手のことも知っていた。実父の差し金と、容易に察しが付くはずではありませんか。仮に、告訴がパフォーマンスだとしても、実父を刺激するようなこと、わざわざするでしょうか? 夫がますます追いつめられる、果ては殺されることくらい、分かりそうなもんです。
疑問② 夫が死亡したとき、イヴリンは、コトの背景が分かったのではないか?
つまり、実父が殺したということを、です。理由は、疑問①に同じです。水の利権の詳細は分からなくても、察しがつくはずです。このまま、ロスにいては我が身と娘の身も危ないと分かりそうなもんです。なぜ、早々に逃げなかったのか。
疑問③ ギテスは、なぜ、イヴリンが身を隠す前に警察に電話したのか?
警察の目をくらますため? とも思ったのですが、イヴリンに夫の浮気相手が誰なのかを正す前に電話しています。「大至急来い」と言っています。イヴリンが夫殺しの真犯人と確信していたから? でも、この時、二人はもう男女の関係になった後です。イヴリンを少なからず愛し始めていたはずのギテスなのに、なぜ、わざわざそんな危険なことを?
疑問④ ギテスは、なぜ、イヴリンがチャイナタウンを抜け出す前に、ノア・クロスと接触したのか?
だって、絶対にノアのことだから、イヴリンのいるところへ連れていけ、って言うに決まっているじゃないのサ。ギテスは非常に洞察力の鋭い探偵なのに、どーしてイヴリンの身に危険が及びそうなことを敢えてしたのでしょうか? ノアのヤバさに気付いていたはずなのに。まさか、チャイナタウンまでノアを連れて行くことになるなんて思っていなかったんでしょうか?
、、、とまあ、こんな具合ですが。どなたか、お分かりになる方、教えてください~~。
とはいえ、水の利権にまつわる話は非常に面白く見ました。「水」って、ちょっと、、、ね。日本でも「水」関係は、、、。
そもそも、水利権ってのは、ものすごく複雑かつ強固なものの様なので、こういう因縁めいた話のネタにはもってこいの材料かも知れません(脚本を書く方も勉強しないといけないので大変そうだけれど)。ましてや、開拓の名残り色濃いロスが舞台となりゃ、なおのこと。まさに、ハードボイルドです。
ジャック・ニコルソンにもセクシーな時代があったのね。
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この「チャイナタウン」は、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドへのオマージュを込めたハードボイルド探偵映画の傑作ですね。
この映画の舞台となっている1930年代のロサンゼルスは、アメリカ社会が東海岸から西海岸へと発展の波を広げて行った時期に、太平洋岸最大の近代都市を形成しつつありました。
だが、そうした急速な膨張の反面には、かなりの無理がまかり通って来るもので、当然の事ながら、そこには不当な利権や醜い政治的な裏取引が蔓延して来ます。
この映画はそのような時代背景の中に、それぞれの数奇で不条理な宿命とでも言うべき運命を背負って、哀しみの中で生きる人間たちの苦悩、葛藤をスリリングに、尚且つドラマティックに描いていますね。
レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドという二人のハードボイルド・ミステリ作家へのオマージュを込めて、しかも、ロバート・タウンのオリジナル脚本によって、それまでのどの映画よりも1930年代のロサンゼルスのハードボイルド探偵映画らしく映画化されていて、複雑で錯綜する話の内容をハードボイルド的なサスペンスでたたきこんでいくので、一時たりとも画面から目が離せません。
ストーリーや当時の風俗やしぐさが、それらしいだけではなく、この映画製作に携わった人々は、"ハードボイルド的世界の精神"をきちんとつかんでいるし、主役の過去を秘めた虚無的な私立探偵ギテスを演じるジャック・ニコルソンの"シニシズムと人間臭さ"がまた映画好き、探偵小説好きにはたまらない魅力があります。
そしてロバート・タウンは、ジャック・ニコルソンとは長年の親友で、彼を念頭に置いてこの脚本を書いたと言われるだけに、ジャック・ニコルソンの魅力を十二分に引き出していると思います。
この映画は、1930年代のロサンゼルスの陽光きらめく太陽の底に淀む、退廃的なムードと虚無感に満ちた、陰湿な世界が展開されていますが、脚本のロバート・タウンは、そのレイモンド・チャンドラー的ハードボイルドの世界を見事に再構築していると思います。
監督は「戦場のピアニスト」、「ローズマリーの赤ちゃん」の名匠ロマン・ポランスキーで、彼は1933年生まれのポーランド系ユダヤ人で、第二次世界大戦中にその子供時代を過ごし、母親をナチスの強制収容所で失うという、悲惨で哀しいトラウマを抱えた過去を持っています。
「私の最も辛かった時期は子供時代である。----ドイツ兵がゲットーを一掃した頃から、私は肉体的苦痛と恐怖のギリギリを味わって来たのだ。----そして私は人生の早い時期に、政治的思想を持ち行動にも参加した。だが私は信じられないような多くの失望を味わった」と語る彼の言葉は、この映画の持つ"戦慄と人間不信"の背景となっているような気がします。
そして彼の妻は、彼の子を身籠ったまま、狂信的なヒッピーに惨殺されたあの女優のシャロン・テートであり、その恐ろしい事件の地、ハリウッドに再び戻ってこの映画を撮りました。
彼はこの映画に冷酷な殺し屋の一人として特別出演していて、存在感のある演技も披露しています。
この映画はラストの30分の思いがけない意表を衝く結末については、これは有名な話ですが、監督のポランスキーと脚本のロバート・タウンで意見が分かれ、ポランスキーの主張する不幸な結末でなければ、この映画のテーマが台無しになってしまうという意見が通り、この結末になったそうですが、やはりラストはこの結末以外には考えられません。
警察も手が出せない政財界の大物であるクロス(ジョン・ヒューストン)が、「時と所を得れば人間は何でも出来るのだよ」という神をも恐れぬセリフは、ポランスキー監督の人間不信の言葉でもあるような気がします。
このクロスを「マルタの鷹」等のハードボイルド映画の監督でもあるジョン・ヒューストンが、実に憎々しげでアクの強い人間像を演じて見事です。
そして、クロスの娘であり、また女でもあるという"複雑で哀しい宿命を背負い、妖気と虚無的で退廃感の漂う"人妻イブリンを演じるのが、フェイ・ダナウェイで、彼女が十字架として背負う哀しい宿命は、彼女の左の緑の瞳の中の小さな黒点として象徴されています。
彼女の瞳の中にその黒点を認めた時、共に暗く哀しい過去を持つギテスとイブリンは宿命の糸に結ばれます。
しかし、その愛はほんの束の間で、急速に回転し出した運命の歯車は、一気にカタストロフィへ突き進んで行きます。
車でロサンゼルスから逃れ去ろうとするイブリンを背後から撃った警官の銃弾が撃ち抜いたのは、彼女の左目である事を我々観る者は見落としてはいけないと思います。
映画の題名である"チャイナタウン"が、この映画の舞台になるのは、この最後の10分程の短いラスト・シークェンスにすぎませんが、なぜ、このチャイナタウンを映画の題名にしたのかという事を考えると、"チャイナタウン"は、アメリカの街の中の異境であり、迷路のようなこの街の中に、ポランスキー監督は、ポーランドでのゲットーと同じ安らぎを見出し、併せて、自分の妻のおぞましい惨劇を引き起こしたアメリカへの批判をしているとしか思えてなりません。
紙屑が舞い、野次馬が去って行く薄汚いチャイナタウンの夜のシーンは、哀しさと怒りを込めた、静かな中にも深く、優しさに溢れた名ラストシーンだと思います。