ゲイバーでショーダンサーとして生活しているルディと、地方検事のポールが、ルディの店で出会い、速攻デキちゃう。このカップル、ルディの隣に住んでいるダウン症の男の子マルコを、薬中のその母親が逮捕されたことを機に、保護・監督することに。
しかし、当時、まだまだ同性愛に世間の偏見が激しかったことから、二人は、ゲイカップルであることを隠し「いとこ同士」としてマルコの保護者となったのだった。案の定、これがアダになるのだが、、、。
前半のおバカなノリが一転、後半は、心を掻き毟られる法廷劇が展開される。
そして、思わぬ結末に呆然。
実話ベースらしいけど、本作の話自体はかなり作られたもののよう。でも、こういう類のハナシは現実には一杯あるのだろうな、と思わせられる作品。
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基本的に、私は障がい者モノがダメなんで、積極的に見ないのですが、本作は、長々と劇場公開されていてしばしば新聞でも広告が載っていたのと、なんとなくですが、あんまし見るからにダメっぽい感じがしなかったので、DVD鑑賞してみることにしました。
まあ、ゲイカップルが、障がいのある男の子の保護・監督権を得るために、なりふり構わず闘う訳ですが、、、。世間はそんなに甘くなかった、、、。
ストーリーの詳細は、別のサイトにお任せするとして、これ『ゴーン・ベイビー・ゴーン』と似ています。そして、もの凄く不条理な結末も同じ。こういう話を見聞きすると、法律って、ゼンゼン人に優しくない、心が通っていない、とつくづく思います。
仕事柄、法律に多少は関わることがあるんだけれども、なんつーか、木で鼻を括ったような判例って、結構あるんですよ。はぁ~~~? みたいな。判事さんよぉ、アンタ、本当にちゃんと当事者たちの話聞いてんの? みたいな。これじゃ、敗訴した側はハラワタ煮えくり返るだろうな、と。そら、法治国家ですけれども、解釈の仕方でいくらでも法律なんて現実的に運用できるでしょーが、と突っ込みたくなるような(もちろん、人の心にかなり寄り添った判例もありますけどね)。
本作でも、一審の判事はルディとポールが愛情あふれる保護者であると認識しながら、当時の社会風潮を重視した理由で決定を下しています。法律以前の話だよなぁ、これって。
ゲイカップルが何でここまでマルコに拘るのかが分からない、という批判を結構目にしたけれど、私は、そこはゼンゼン違和感なかったなぁ。なんか、理屈でなく、どうしてもそうしたい!! と思うことって、人生に一度や二度くらいあっても不思議じゃないでしょ。それが赤の他人の子どもを保護することだとしても、何かその子に感じるものがあった、この子をどうしても手放したくないと思う本能的な感じがあった、と、私はすんなり思えちゃいました。
男と女のマジョリティの夫婦が、不妊だから養子をとる、っていうのは世間に普通に受け入れられて、ゲイカップルが直感的にこの子を守りたい! と思ってその子の養育に拘るのに、まっとうな理由が必要ってのは、それこそもう、差別そのものという気がするんですが、、、。
もちろん、人一人、養育するには大変な責任が伴うので、軽い話ではないけれど、そういう意味では、マルコを手放したくないというルディの気持ちに、最初からすんなり寄り添えるポールがスゴイと、私は思っちゃいました。私ならかなり躊躇すると思うので。ポールも、本当に献身的にルディの気持ちを支えるのです。
あと、マイノリティが「完全善」に描かれている、という批判もちらほら見ました。そーですかねぇ、、、。善悪という色分けは、本作はしていないと思いましたが。差別=悪、とすれば、そら、ゲイカップルに保護・監督権を認めない、あるいは妨害した人々は悪ってことになるでしょう。でも、ゲイカップルも決して善じゃないでしょ。そもそも、マルコの保護・監督権を取得するとき、二人はゲイカップルであることを隠して「いとこ同士」と偽っているのですからね。偽証です。
私が、障がい者モノがダメという理由も、まあ、上記の批判と被るんですが、誤解を恐れずに書くと、「障がい者=純粋で可哀想な人」みたいな描かれ方をしているからイヤなんだと思います。健常者が当たり前にできることを障がい者ができるようになっただけで、感涙ドラマに仕立て上げる、、、こういう思考回路がね。「感動の!!」とかキャッチフレーズを付けて。もちろん、障がい者の人は、健常者よりはるかに努力したり訓練したりしなければならないことは多々あるでしょう。でも、それを健常者が見て、素晴らしい素晴らしいと滂沱の涙とともに喝采を送るのは、かなり「見世物」的な感じがするのです。その最たるもんは「24時間テレビ」ね。あれこそ偽善臭で失神しそうだゼ。
まあ、本作も「感動の」だの「涙の」だのの宣伝文句は使っていたと記憶しています。これは配給会社のセンスの悪さですね。でも、作中では、そういった善悪という単純な物差しは感じられませんでした、私には。
そもそも、あらゆる偏見を全く持たない人って存在するんでしょーか。そんな人、地球上に多分いないでしょう。だから、本作でもゲイカップルが直面する偏見の分厚い壁を、「これが現実」って描いていただけだと思います。
本作の原題は“Any day now”で、これが、セリフでも出てきます。被差別側が、差別を「今すぐにでも」克服したい、ということですかね。ラストでルディが熱唱する歌の歌詞のワンフレーズです。
ルディを演じるアラン・カミング、ちょっと髭が濃いけど、イイ味出していました。実生活でも彼はバイセクシャルだそーです。ポール役のギャレット・ディラハントが素晴らしい。社会的ステイタスのある地方検事という職業柄、カミングアウトを躊躇し、世間体を気にして、色々と苦悩する姿を実に巧みに演じていたと思います。二人のラブシーンでエグイのがなかったのもgoo!
ちなみに、邦題は、マルコの大好物がチョコレートドーナツだから、ってことみたい。かなりイマイチ、、、
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