福ちゃんの散歩道

コロナ禍で関空での遊びも卒業、栂地区ウオーキングコースを中心に近場の日々の散歩で何か見つけよう。🚶‍♂️🚶‍♂️

津山城(鶴山公園) 夜桜は残念乍駄目だった!昨年は満開だった!,

2018-04-11 04:08:00 | 故郷

法事があり1泊里帰り
今年は早いのと前日の雨風ですっかり散った

八重桜は何とか

例年なら1番見頃の時期だけどイベント会場も寂しい


津山は城と機関区

上にに行ってみよう
ぼんぼり スポンサーの
イナバ化粧品 を見つけた biz の実家だ

櫓のライトアップ





本丸広場では
3Dプロジェクションマッピング
見事な石垣に そして 見事なソメイヨシノが多くある









今年は残念でした
いつもなら桜のトンネルなんですね

散ってます

という事で
寒い 早々に引き上げた


2018.4.7 鶴山公園にて

余談

イナバ化粧品の ぼんぼりがあった

駅前ロータリーに掲示されている
B’z 稲葉さんの実家だ 右が稲葉さん



昨年と同日7日 昼
昨年の満開の🌸はこんな感じですね〜 昨年カテゴリー 故郷でアップしてます

本丸広場の3Dプロジェクションマッピング していた石垣の桜

櫓を望む


今年は残念でした





B’z の看板が津山駅バス乗り場まだあった。C 11. 80 の蒸気機関車展示 整備も完了していた‼️

2018-02-27 08:00:00 | 故郷
津山駅周辺の整備事業もほぼ終了した感じだ
久し振りに帰省
勿論、大阪⇄津山 高速バスだ
車で帰ることを止めて数年、楽ちんでもう車で帰る気がしない
津山の歴史的には
森忠政が築城した城下町
県北の中心だけど
時代の流れで、寂しくなった商店街
JR津山駅 バスターミナルの整備に随分と時間を費やしてやっと終了の感じだ

駅の目隠し外壁に
B’z


津山出身の最大の有名人だ

そして
蒸気機関車展示ゾーンには










旧国鉄時代の津山機関区は知名度があった。現、津山まなびの鉄道館 に保存。
●随分前にアップしているのですが 箕作像は移転していなかった
前回に少し詳しくアップしているのでご覧下さい

チョット 早朝 所用で立ち寄る
津山 唯一の百貨店 天満屋津山店の入り口にある巨大なパイプオルガン
開店直後に自動演奏 どうも 10時10分から5分の様だ

極短時間だけど響き渡る音色

演奏終了


演奏サイクルは?

2月25日 カメラは持参していないので、iPad で 撮った。

バス乗り場周辺 城下町風です





4月 津山城の桜🌸 多くの人が訪れるだろう(鶴山公園)
昨年ですが





チョット、ふるさと自慢の巻でした・・・・・笑い🤣

余談ですが

 津山(岡山県津山市)の地名の由来は、津山城が築かれた丘陵が「鶴山(つるやま)」と呼ばれていたからだ。南北朝時代から戦国時代初期にかけて、守護大名・山名氏の一族が赤松氏との勢力争いのさなかに築いたのがはじまりという。1603(慶長8)年に美作国主となった森忠政は、鎌倉時代から守護所が置かれていたとされ当時の中心地であった院庄に入った。しかし、新たな地に拠点を移すことを決意。吉井川と宮川の合流点を見下ろす鶴山が選ばれ、翌年から築城が開始された。

 城は13年の歳月をかけて1616(元和2)年に完成したと伝えられる。しかし、実際には1615(元和元)年の江戸幕府による武家諸法度により途中で終了したようだ。冠木門から三の丸へ上がるところには通常であれば櫓門が建つはずだが、建物の基礎らしきものはあるものの絵図には櫓は描かれていない。冠木門から厩堀のほうへ石垣に沿って向かうと石垣が途中から土塁に変わるのだが、これも築城が頓挫した痕跡と思われる。

 津山城を築いた森忠政は、織田信長に仕えた森可成の六男だ。父・可成と長兄の可隆は浅井・朝倉氏との攻防戦で戦死。跡を継いだ次兄の長可も小牧・長久手の戦いで落命し、これに先立つ本能寺の変では長定(蘭丸)、長隆(坊丸)、長氏(力丸)の3人の兄もこの世を去った。そのため、末子の忠政が森家を相続した。7万石で美濃金山城(岐阜県可児市)を居城として豊臣秀吉に仕え、秀吉が没すると徳川家康に仕えて信州川中島を領有。関ケ原合戦後、戦功が認められ美作18万石余を拝領したのだった。

 さて、津山城といえば、何度訪れても圧倒される全国屈指の壮大な石垣が最大の魅力だ。城は小高い丘陵の上に数段の石垣をめぐらせて配置し、重要な施設のほか城主一族や重臣の屋敷を山麓に建て並べ、周囲を土塁と堀で囲む構造だ。高い石垣が幾重にも重なり、西洋の城塞(じょうさい)を連想させるような趣もある。

 断崖に守られた東側以外の三方には、細長く平らな土地を階段状に配置。それらを二の丸・三の丸とし、まわりはすべて石垣でがっちりと囲んである。山頂部のL字型に削平されたところが本丸で、西には壮麗な五重天守が建てられた。東端に壁のように高い石塁が築かれているのは、宮川を隔てて東に連なる丹後山からの攻撃に備えるためと考えられる。

 「扇の勾配」と呼ばれる、天に向かって反り返る石垣がとにかく美しい。とくに2005(平成17)年に復元された備中櫓下の石垣は、高さも曲線も見事で、誰もが思わず足を止める。しなやかな曲線はどこかなまめかしく、女性のボディーラインのような妖艶さも感じる。

 石垣の積み方は自然石を積んだもの、表面を平らに整形して石と石の間を間詰石という小石で調整したもの、間詰石をほとんど使うことなく仕上げたものへと変化する。津山城の築城時期は、一大築城ブームの最中だ。よって、新たな技術が次々に開発され、取り入れられていったのだろう。この頃は幕命によって全国の諸大名が築城を請け負う「天下普請」で、江戸城(東京千代田区)や駿府城(静岡県静岡市)が築かれたときでもある。忠政も江戸城、丹波篠山城(兵庫県篠山市)、丹波亀山城(京都府亀岡市)、駿府城などの築城に駆り出されている。その現場で腕を磨き、最高峰の技術を習得したのかもしれない。

C11 80号 蒸気機関車 がJR津山駅前に移転!! 津山駅ターミナルゾーンが一変している。❣️

2017-08-21 13:00:04 | 故郷
JR津山駅前の整備が進んでいるが
結構時間をかけているなあ〜

駅前のシンボルとして、南小学校SLから移転した『C11 80』
名称はC11型80号蒸気機関車。
昭和10年3月30日に日立製作所笠戸工場で製作されました。
津山線では昭和37年10月の岡山国体時に「お召し列車」を牽引。走行距離は175万km。
子供の頃、何度も乗せて貰った機関車だろうなぁ

まだ周辺整備の途中だけど、iPad で撮ってみた









✳️C 11 - 80 機関車の概要・・・・・愛称:シーチョンチョン
国鉄の前身である鉄道省が1932年(昭和7年)に設計した加熱式のタンク式蒸気機関車である。
製造月日: 昭和10年3月30日
廃車月日: 昭和50年1月24日
製造場所: 日立製作所 笠戸工場
運転線区
・昭和10年4月19日・・・・・予讃本線(松山機関区)
・昭和19年4月3 日・・・・・ 芸備線(三次運転区)
・昭和23年7月8日・・・・・・津山線(津山機関区)
・昭和48年4月11日・・・・・只見線・会津線・日中線(会津若松運転区)
運転キロ: 1,751,379km
★由緒
本機は、ディーゼル車両が多様化されるまで、支線の短区間旅客列車用に造られた、代表的なタンク機関車で、昭和23年7月から津山機関区に配属され、24年間県北部において、戦後復興の担い手として客貨輸送のため走りつずけてきた。その間、昭和37年10月の岡山国体には、お召し列車を、昭和46年3月津山線ディーゼル化の際は"さよならSL"の牽引機として、地域住民に親しまれたきかんしゃである。
しかし、動力近代化の波におされて、陸奥の会津若松にてその生涯を終える。
★参考
・長さ:12.65m
・高さ: 3.9m
・重量: (積車) 66.05t 。(空車) 51.90t
・最大許容 時速 : 85.0km/h

✳️C 11 総数 381両の製造、国鉄近代型制式蒸気機関車の中で有数の成功作となる。
本形式は不況期の輸送需要減少を背景として開発された機種であるがコンパクトで使い勝手がよく、戦時中に貨物輸送能力の増強用として支線区を中心に投入されたこともあり、その総数が381両に達するという、国鉄近代型制式蒸気機関車の中でも有数の成功作となった。また、その設計で得られた知見はC54形の後継機種となるC55形の設計にフィードバックされ、国鉄最後の新設計制式蒸気機関車となったE10形まで引き継がれており、その面でも大きな成功を収めた形式である。(私鉄向け20両製造したので401両製造した事になる)

✳️JR津山駅北口広場への移設プロジェクト 。幅広く寄付を集めて実現した。
昭和51年から南小学校敷地に設置されていたが、2017.8 移設が実現した。


●2017.8.20 津山に日帰り帰省 バスターミナルにて
小学校同窓の墓参りに帰省。地元の十数人は永年継続しているんですね。頭が下がります。
勿論、帰省はバス
駅前が再開発される事は嬉しいですね〜

✳️型式名につく「D」や「C」は・・・・駆動軸の数を示す。
蒸気機関車には車輪がたくさん付いているけど、ボイラーの力を受けて車輪を回す軸は一部だけ。側面から見て最も大きな車輪が付いている。ABCDの順で駆動軸を数えて、3つなら「C」、4つなら「D」となっている。



B'z と出会った❓里帰りでの津山駅バスターミナルでの看板!‼︎

2017-08-15 16:20:00 | 故郷
歳の性か
大阪↔︎津山
バスでの帰省が楽だ
駅前の再整備も進んでいる
駅前ターミナル
壁面の看板が
目に入る

津山出身

先般、津山で初めてライブ開催して大変な盛る上がりだったとか?

バスターミナル


機関車の展示

JR津山駅


今日は、宝塚周辺 渋滞 今は、12km位の情報

バスは楽だ
チョット 寝れるかあ・・・・・・

ipad. 車中にて pm16:20

余談

稲葉 浩志(いなば こうし、1964年9月23日 - )は、日本のボーカリスト・作詞家・作曲家・シンガーソングライターであり、音楽ユニット・B'zのメンバーである。ソロ活動の際には作曲とレコーディング等でのギター、アレンジ、プロデュース等も担当する。岡山県津山市出身。 既婚。 所属レコード会社はビーイング、レーベルはVERMILLION RECORDS所属。所属事務所はVERMILLION。

日経 こころの玉手箱 コラム 忍坂忍 フリーアナウンサー登場してた❣️知らなんだわ〜

2017-04-12 05:30:00 | 故郷
忍坂忍 フリーアナウンサー が
津山市出身とは
全く知りませんでした
郷土の有名人の1人なのだ
岡山県津山市の
今は、名誉観光大使に

先日 日経新聞

こころの玉手箱
コラムに

『桜、母の死、忘れぬ故郷』と・・・・・・





✳️先日(6-7日)津山へ帰省し

鶴山公園の桜を見たばかりのタイミングだったので

ビックリ‼️

掲載写真とほぼ同じ角度の1枚



故郷を離れると桜のシーズンには思い出すのはみんな同じですね❣️




4月9日に津山城 アップしています。