現在の大阪城天守閣は昭和6年竣工なので今年11月で81年となる

昭和3年2月の大阪市会で、関市長が“秀吉時代”の天守閣復興を提案して満場一致で可決され、全額大阪市民の寄付金により昭和6年11月7日に現在の天守閣が竣工した。
豊臣時代、徳川時代、に次いでの三代目の天守閣は当時の最新技術を駆使して鉄筋コンクリート製で建設された。
大阪夏の陣図屏風に描かれた天守閣の概観復元を目指して
設計段階で当時の担当者は全国に残る桃山時代の城郭を研究して設計図を完成させた。
”大阪夏の陣の陣図屏風“の天守閣は5層全ての外壁が黒塗りであるのに対して、復元天守閣は最上層のみ黒く、他は白壁であることが大きな特徴となっている



“大阪夏の陣図屏風”に描かれた天守と復興天守閣の外観が異なる??事になる。
★豊臣天守の黒と徳川天守の白色を折衷したとか?
★天守台の石垣は徳川幕府製であるのを承知で上に豊臣時代の天守を復元したとか?
✳️天守台の石垣は・・・昭和6年の時点では、石垣は秀吉以来のものと考えられていたが、昭和34年学術調査で徳川製であることが判明した。
✳️平成18年オーストラリア、エッケンベル城で発見された豊臣時代の大阪城と城下町を描いた屏風絵には、最上層だけ黒塗りで、他は白壁だった。
復元設計への情熱、思い
当時の実務設計者の調査・研究に基づく考えがあったのだろう・・・・・・
✳️設計者は、自身の考案した桃山方式の鯱の図案が採用されず、鯱が江戸時代風になった事に耐えきれず、大阪市を退職したとの事から、豊臣時代の天守再現に情熱を注いだ。にも関わらず“大阪夏の陣の陣図屏風”に描かれた天守と復興天守閣の外観は異なる。・・・・でも・・・
天守閣館長北川さんの書籍を参考に
この様なエピソードに
天守閣を眺めると
ジンと来ますね。
京橋口からの天守閣が大好きだ


2017.11.15. 大阪城周辺 散策

昭和3年2月の大阪市会で、関市長が“秀吉時代”の天守閣復興を提案して満場一致で可決され、全額大阪市民の寄付金により昭和6年11月7日に現在の天守閣が竣工した。
豊臣時代、徳川時代、に次いでの三代目の天守閣は当時の最新技術を駆使して鉄筋コンクリート製で建設された。
大阪夏の陣図屏風に描かれた天守閣の概観復元を目指して
設計段階で当時の担当者は全国に残る桃山時代の城郭を研究して設計図を完成させた。
”大阪夏の陣の陣図屏風“の天守閣は5層全ての外壁が黒塗りであるのに対して、復元天守閣は最上層のみ黒く、他は白壁であることが大きな特徴となっている



“大阪夏の陣図屏風”に描かれた天守と復興天守閣の外観が異なる??事になる。
★豊臣天守の黒と徳川天守の白色を折衷したとか?
★天守台の石垣は徳川幕府製であるのを承知で上に豊臣時代の天守を復元したとか?
✳️天守台の石垣は・・・昭和6年の時点では、石垣は秀吉以来のものと考えられていたが、昭和34年学術調査で徳川製であることが判明した。
✳️平成18年オーストラリア、エッケンベル城で発見された豊臣時代の大阪城と城下町を描いた屏風絵には、最上層だけ黒塗りで、他は白壁だった。
復元設計への情熱、思い
当時の実務設計者の調査・研究に基づく考えがあったのだろう・・・・・・
✳️設計者は、自身の考案した桃山方式の鯱の図案が採用されず、鯱が江戸時代風になった事に耐えきれず、大阪市を退職したとの事から、豊臣時代の天守再現に情熱を注いだ。にも関わらず“大阪夏の陣の陣図屏風”に描かれた天守と復興天守閣の外観は異なる。・・・・でも・・・
天守閣館長北川さんの書籍を参考に
この様なエピソードに
天守閣を眺めると
ジンと来ますね。
京橋口からの天守閣が大好きだ


2017.11.15. 大阪城周辺 散策