JAS「レインボ―セブン」時代のJA007D
JAS:日本エアシステムからの継承機材は現在も国内幹線路線で
活躍している
レインボーカラーの機材だったのは
下記の6機
日本航空 Boeing 777-200 (JA8978)
日本航空 Boeing 777-200 (JA8979)
日本航空 Boeing 777-200 (JA007D)
日本航空 Boeing 777-200 (JA008D)
日本航空 Boeing 777-200 (JA009D)
画像なし
日本航空 Boeing 777-200 (JA010D)
ノーマル機の継承機材
これ以外にもあるかも
日本航空 Boeing 767-300 (JA8976)
日本航空 Boeing 777-200 (JA8977)
JAS 日本エアシステムには昔出張で乗った記憶がある
福岡から松山だったと思う
機材はMD-90? DC-9-40型?
どうだったのかなぁ
揺れた記憶だけある
JAS日本エアシステムの前身は
東亜国内航空
当時は政治に翻弄された時代だった
何故 東亜が消えたか?
また国際定期便を運航するにあたり「国内」という名称がそぐわなくなることから、
東京 - ソウル線就航に先立つ1988年4月に日本エアシステムへと商号を変更した
歴史
3大航空会社体制への経緯とは?
ローカル路線を運営していた富士航空と日東航空、北日本航空が国の指導により
1964(昭和39)年4月に合併し日本国内航空が設立されます。
同社はボーイング727やコンベア880などジェット機を導入し、積極的な経営展開を見せますが、
1964(昭和39)年10月に開業した新幹線や、日本航空、全日空との競争に苦戦し、
そのことから国は1966(昭和41)年5月に、閣議決定により日本航空との合併を進めます。
一方、大阪を中心にローカル線を展開していた東亜航空も、全日空との合併計画が持ち上がります。
ところが、1967(昭和42)年から日本国内航空の経営状況が回復し、東亜航空も経営が黒字となったため、
国は1970(昭和45)年に日本国内航空と東亜航空の合併へ変更。
こうして1971年(昭和46)年にJASの前身となる東亜国内航空(TDA)が設立されました。
三大航空会社体制の誕生です。
翌1972(昭和47)年、国は事業路線割り当てを実施。
日本航空は国内幹線と国際線、全日空は国内幹線とローカル線、東亜国内航空はローカル線を担うことになります。
こうして、産業保護政策によって日本の航空会社は住み分けがなされることになりました。
45/47体制」と呼ばれた住み分け政策ですが、増大する航空需要に対応するため1985(昭和60)年に政府は方向を転換、
航空行政の規制緩和を行います。
全日空は1986(昭和61)年に成田~グアム路線を就航させ国際線に進出。
次いで東亜国内航空は、1988(昭和63)年に東京~ソウル間で国際線定期便を就航させ、
社名を日本エアシステム(JAS)へと変更しました。
独特のサービス展開を行いJALとANAに対抗したJASですが、
赤字続きで採算が取れない多くの地方路線を抱えていたことや、
2001(平成13)年のアメリカ同時多発テロによる旅客数の激減などにより経営不振に陥ります。
2002(平成14)年には日本航空と経営統合、
そして2004(平成16)年、JASの便は全てJAL便となり、かくしてJASは事実上消滅しました。
JALへの経営統合でJASが消滅してすでに13年が経過しましたが、その痕跡はいまなお見ることができます。
たとえばJASは国内線で初めて3クラスシートを設定、
それまでなかったミドルクラスシートとして「レインボーシート」を導入しました。
これは同社が1997(平成9)年にボーイング777を導入した際に新設したもので、
エコノミークラスの料金にプラス1000円(サービス開始当初は2500円)という手軽さで利用できるというものでした。
JALとの統合後も「レインボーシート」のコンセプトは引き継がれ、
JALにおいて「クラスJ」としてサービスが開始されました
また、国内線で初めて全席にモニターを備えた機材を導入したのもJASでした。
これは、現在スターフライヤーが同じサービス展開させています。
戦後の航空行政で誕生し、歴史に消えていったJASですが、
その独特のサービスやコンセプトは形を変えて現在も引き継がれているのです。
【了】