福ちゃんの散歩道

コロナ禍で関空での遊びも卒業、栂地区ウオーキングコースを中心に近場の日々の散歩で何か見つけよう。🚶‍♂️🚶‍♂️

目の保養タイムです❗️チューリップが見頃❣️

2020-04-07 09:30:00 | 和泉リサイクル環境公園
目の保養タイムです

買い物の序でに
立ち寄る
超ローカル
和泉リサイクル環境公園
チューリップの見頃です
手入れも行き届き
カラフルで配色も良い
地域の皆さん、憩いのひと時を味わう











ミックスゾーン











2020.4.7
am9:10ごろ到着で人も少ない
40分ほどいたが
人も増えてきた

明日から巣篭もり生活
マア、今までも準巣篭もり生活ですけど(笑

スーパーへ立ち寄ったが
駐車場の空き具合から
日頃よりやや少ない感じがした
皆さん
買い溜めする様子もない
我が家も
普通通りの買い物
流石に
ほぼ皆さん
マスク姿です






NYダウ 22,679.99 前日比 +1,627.46 (+7.73%) 大幅高

2020-04-07 04:29:00 | 0 話題& ひろい読み &つぶやき
ニューヨーク 週明け
大幅高
NYダウ 22,679.99
+1,627.46
(+7.73%)


途中

NYダウ 22,279.57

前日比
+1,227.04
(+5.83%)
前日終値   21,052.53
始値     21,693.63
高値     22,375.51

米株式〕ダウ急反発、1627ドル高=一部の国の感染鈍化好感(6日)
5:16 配信
時事通信
 【ニューヨーク時事】週明け6日のニューヨーク株式相場は、一部の国で新型コロナウイルスの感染ペースが鈍化したことを好感し、急反発した。優良株で構成するダウ工業株30種平均は前週末終値比1627.46ドル高の2万2679.99ドル(暫定値)で終了。ハイテク株中心のナスダック総合指数は540.16ポイント高の7913.24で引けた。(了)

途中経過
〔米株式〕ダウ上げ幅拡大、一時1200ドル超高(6日午後0時25分)
1:49 配信
時事通信
 【ニューヨーク時事】週明け6日午後のニューヨーク株式相場は上げ幅を拡大し、優良株で構成するダウ工業株30種平均は一時、前週末終値比1200ドル超高となった。午後0時25分現在、ダウ平均は1218.02ドル高の2万2270.55ドル。ハイテク株中心のナスダック総合指数は409.92ポイント高の7783.00。
 米国で最も新型コロナウイルスの感染者が多いニューヨーク州の状況について、「ピークにあるか、ピークの始まりにある」との州政府の見方が伝わった。同州のクオモ知事は新たに入院する1日当たりの患者数が減少していることなどから、拡大の危機が高原状態になってきた可能性があるとの認識を示した。(了)
ダウ、一時1000ドル超上げ…NY州の死者数減少受け
4/6(月) 23:23配信 読売新聞オンライン
 【ニューヨーク=小林泰明】6日のニューヨーク株式市場は大幅に値上がりして始まり、ダウ平均株価(30種)の上げ幅は前週末終値比で一時、1000ドルを超えた。
トランプ米大統領が5日の記者会見で、新型コロナウイルスの感染拡大が深刻なニューヨーク州で1日の死者数が減少したとし、新型コロナウイルスによる死者数の増加傾向に歯止めがかかることに期待を示したことなどから、投資家心理が改善した。


4/6(月) 22:01配信 産経新聞
NYでは非常事態宣言から1カ月 「医療崩壊」は現実に 新型コロナ
主な国の病床数と新型コロナ感染による死者数



 7日にも新型コロナウイルスの感染拡大に備えて東京や大阪などで緊急事態宣言が発令される日本では、その効力に期待が集まるが、感染が米国で最も深刻ですでに1カ月前に非常事態宣言が出されたニューヨーク州では、「医療崩壊」が現実のものとなりつつある。(ニューヨーク 上塚真由)

【Q&A】緊急事態宣言、出たらどうなる?

 ニューヨーク州で初めて感染が確認されたのは3月1日。非常事態宣言が出された同7日時点では感染者が89人で、死者はゼロだった。それが約1カ月がたった4月5日時点で、同州の感染者は12万人を超え、死者は約4100人に達している


 感染拡大のスピードに「医療体制は限界を超えている状態」(クオモ知事)。同州の病院には計約5万3000床あったが、ピーク時に必要となる病床は14万床と予測。また、重篤患者の生死を左右する人工呼吸器は約4000台を保有していたが、最大で3万~4万台が必要と確保を急ぐ。

 臨時病院の設置などで病床不足は解消の見通しが立つが、問題なのは人工呼吸器だ。同州はすでに1万2000台以上を確保し、1万7000台を中国に発注。だが世界的な需要急増で生産が追い付かず、2週間以内で同州が入手できるのは約2500台にとどまるという。

 医療物資の生産、製造は中国に依存してきたのが現状で、これを各州と連邦政府が競って入手を図り、価格競争も招いている。クオモ氏によると、人工呼吸器は通常2万ドル(約218万円)だったが、5万ドルまで価格が高騰。58セントだった医療用マスクは約13倍の7・5ドルとなっているという。

 経済協力開発機構(OECD)によると、米国は人口千人当たりの病床数が2・77と、加盟国平均(4・7)と比べて少なさが際立つ。また、医療スタッフも不足し、全体の17%を移民に頼っているという実態がある。ニューヨーク州では退職者らを対象に医療ボランティアを募っているほか、今春卒業予定の医学生を即座に現場に投入する措置にまで踏み切った。

 欧州ではイタリアに次いでスペインで感染が爆発。両国ではすでに死者が1万人を超え、人工呼吸器が不足し、集中治療室では「患者の選別」が行われるという医療崩壊が起きた。両国とも医療体制の脆弱さは共通しており、OECDによると、千人当たりの病床数はイタリアが3・18床、スペインは2・97床と、他の先進国と比べて少なさが目立っている。




JALでいまなお現役 元JASのB777「レインボーセブン」 JALに残る功績とは 見分け方は?

2020-04-07 00:10:00 | 飛行機の話題(乗り物ニュース)
JAS「レインボ―セブン」時代のJA007D

JAS:日本エアシステムからの継承機材は現在も国内幹線路線で
活躍している

レインボーカラーの機材だったのは
下記の6機

日本航空 Boeing 777-200 (JA8978) 

日本航空 Boeing 777-200 (JA8979)

日本航空 Boeing 777-200 (JA007D) 

日本航空 Boeing 777-200 (JA008D)


日本航空 Boeing 777-200 (JA009D)
画像なし

日本航空 Boeing 777-200 (JA010D)


ノーマル機の継承機材
これ以外にもあるかも

日本航空 Boeing 767-300 (JA8976)

日本航空 Boeing 777-200 (JA8977)


JAS 日本エアシステムには昔出張で乗った記憶がある
福岡から松山だったと思う
機材はMD-90? DC-9-40型?
どうだったのかなぁ
揺れた記憶だけある

JAS日本エアシステムの前身は
東亜国内航空
当時は政治に翻弄された時代だった
何故 東亜が消えたか?

国際チャーター便の運航を開始したものの、その後アジア諸国への国際線定期就航をする際に、
商号の「東亜」という単語が太平洋戦争時に使用した「大東亜共栄圏」・「大東亜戦争」をイメージさせるとして、
また国際定期便を運航するにあたり「国内」という名称がそぐわなくなることから、
東京 - ソウル線就航に先立つ1988年4月に日本エアシステムへと商号を変更した



歴史

3大航空会社体制への経緯とは?

 ローカル路線を運営していた富士航空と日東航空、北日本航空が国の指導により
1964(昭和39)年4月に合併し日本国内航空が設立されます。
同社はボーイング727やコンベア880などジェット機を導入し、積極的な経営展開を見せますが、
1964(昭和39)年10月に開業した新幹線や、日本航空、全日空との競争に苦戦し、
そのことから国は1966(昭和41)年5月に、閣議決定により日本航空との合併を進めます。
一方、大阪を中心にローカル線を展開していた東亜航空も、全日空との合併計画が持ち上がります。

ところが、1967(昭和42)年から日本国内航空の経営状況が回復し、東亜航空も経営が黒字となったため、
国は1970(昭和45)年に日本国内航空と東亜航空の合併へ変更。
こうして1971年(昭和46)年にJASの前身となる東亜国内航空(TDA)が設立されました。
三大航空会社体制の誕生です。

翌1972(昭和47)年、国は事業路線割り当てを実施。
日本航空は国内幹線と国際線、全日空は国内幹線とローカル線、東亜国内航空はローカル線を担うことになります。
こうして、産業保護政策によって日本の航空会社は住み分けがなされることになりました。


規制緩和、国際線参入…そして消滅へ





45/47体制」と呼ばれた住み分け政策ですが、増大する航空需要に対応するため1985(昭和60)年に政府は方向を転換、
航空行政の規制緩和を行います。

全日空は1986(昭和61)年に成田~グアム路線を就航させ国際線に進出。
次いで東亜国内航空は、1988(昭和63)年に東京~ソウル間で国際線定期便を就航させ、
社名を日本エアシステム(JAS)へと変更しました。

独特のサービス展開を行いJALとANAに対抗したJASですが、
赤字続きで採算が取れない多くの地方路線を抱えていたことや、
2001(平成13)年のアメリカ同時多発テロによる旅客数の激減などにより経営不振に陥ります。
2002(平成14)年には日本航空と経営統合、
そして2004(平成16)年、JASの便は全てJAL便となり、かくしてJASは事実上消滅しました。

JALへの経営統合でJASが消滅してすでに13年が経過しましたが、その痕跡はいまなお見ることができます。

たとえばJASは国内線で初めて3クラスシートを設定、
それまでなかったミドルクラスシートとして「レインボーシート」を導入しました。
これは同社が1997(平成9)年にボーイング777を導入した際に新設したもので、
エコノミークラスの料金にプラス1000円(サービス開始当初は2500円)という手軽さで利用できるというものでした。
JALとの統合後も「レインボーシート」のコンセプトは引き継がれ、
JALにおいて「クラスJ」としてサービスが開始されました

また、国内線で初めて全席にモニターを備えた機材を導入したのもJASでした。
これは、現在スターフライヤーが同じサービス展開させています。

戦後の航空行政で誕生し、歴史に消えていったJASですが、

その独特のサービスやコンセプトは形を変えて現在も引き継がれているのです。

【了】