呑んベエSTING

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大阪喰い倒れ街道(番外編:飛田新地)

2007-11-22 23:12:04 | 呑んだり喰ったり語ったり
新世界で喰いまくったのち、西成のアーケードを抜けて飛田新地を見学してきました。

誤解の無いように言っておきますが、あくまで「見学」です。

飛田新地(遊廓)とは、こんなところです。
*飛田遊廓は、難波新地乙部遊郭が全焼した後、1916年(大正5年)に築かれた遊廓である。
 1918年(大正7年)には既に100軒あまりの妓楼が並んでいた。
 妓楼の数は昭和初期には200軒を超える。
*戦災により多くの妓楼が焼失したが、戦後に赤線として復活。
 1958年(昭和33年)の売春防止法施行以後は料亭街『飛田料理組合』となっているが、現在も当時の雰囲気を伝えている。
 なお、ほとんどの「料亭」は看板は料亭であるが、営業内容は1958年以前と何ら変わりがない。
 表向き料亭に転向することにより、料亭内での客と仲居との自由恋愛という脱法行為として売春防止法を逃れられたためである。
*大正当時の建物をそのまま料亭(本来の料亭)として営業している数少ない店に鯛よし 百番があり、2000年(平成12年)に登録文化財となった。

ここに行くと、まさにタイムトリップしたかのような街並みが続く。
果たしてここは日本なのか、今は平成なのか、と疑いたくなる。

そして、軒を並べて間口の狭い料亭の入り口は、ピンクや水色のパステル色の照明で照らされていて、玄関先の上がり框には薄絹1枚羽織っただけの「お姉さん」が座っていて媚を売ってくる。
通り過ぎようとすると、「お姉さん」の横に腰掛けている「やり手ババア」が「お兄さん、エエ男やないの、上がっていかん?」と声をかけてくる。

そう、ここは「千と千尋の神隠し」の中に出てくる湯屋のある街のモデルになったところだ。

10年ぐらい前にも来たことがあるが、街はまったく変わっていない。
そして新地の突き当たりには土手があって、その土手は昔足抜けしようとする娼婦が容易に逃げられないようにとあったらしい。

10年前、昔は木戸門があったという土手の階段を上がると土手の上は不当廃棄の車が数珠のように通りまで並んでいて、そのひとつひとつの車の中には人が住んでいたのだ。
暗くなりかかった土手の上、廃車の中から覗き見るホームレス達の目が光っていた。
大慌てで通りに出てタクシーを拾うと、タクシーの運チャンがビックリしていて「あの土手は危険やさかい地元のもんでもよう近寄りませんのや」と説明してくれた。

その土手を探してみた。
土手は無くなっていた。
綺麗に舗装され、真新しい道路と高層マンションが建ち並んでいたのだ。
これが10年の時間なのか。
新地の中だけは時間が止まっているのに。

高層マンション越しに見る飛田新地の灯は幻想的だったよ。

やはり10年前、西成のあいりん地区からこぼれ出てくる労務者のオッチャン達が闊歩していた立ち呑みの店や角打ちの酒屋が並んでいた阿倍野の裏通りも奇麗なショッピング街になっていた。

大阪も変わっていくんだね。
寂しい限りです。

※飛田新地で写真を撮るのは今でも命がけです。
 どこからともなくお兄さま方が出てきて連れていかれるそうです。