平安末期の絵巻物「地獄草紙」に描かれた地獄「鉄磑処(てつがいしょ)」。生前、他人のものを盗んで、うまく逃げおおせた者が堕ち、磑(うす)でバラバラにされる様子。出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp)
近年、全国で短絡的な犯罪が頻発している。
SNSで集められた若者グループが、高齢者宅を襲ったり、白昼堂々、高級時計店に押し入ったり、後先を考えず金さえ手に入ればいいのと言わんばかりで、背景には、「楽して儲けたい」「人生は一度きりなので、楽しみたい」という浅薄な人生観が見え隠れする。
だが、仏教が説く「因果応報(いんがおうほう)」の通り、生前に人を悲しませたり傷つけたりすると、死後、文字通り「地獄の苦しみ」が待っている。「人生は一度きり」ではない。
本誌2023年7月号の企画「仏教はいかにして日本人に『地獄教育』を行ったのか」では、「あの世」という概念が不明瞭だった日本人に対して、仏教僧が行った「地獄教育」について紹介した。
今回は、「地獄の実在」を弘めた空海や源信が、共に主著で引用している『正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)』で描かれた地獄の姿を紹介する。このお経は「八大地獄」を論じる際によく引用されるものであり、現代人が思わずドキッとすることは間違いないだろう。
悪事に手を染めながら刑罰を逃れた為政者の末路
人が死んだ後に残るのは「魂」だけだ。そして、生前の悪事に対する良心の呵責が倍加した形で、地獄での苦しみが立ち現れてくる。
『正法念処経』に描かれた地獄の中で、特に目を引くのは、この世で悪事に手を染めながらも刑罰を逃れた為政者の末路だ。
王や貴族、官人といった政治を司る者が任務を果たさなかったり、悪事を犯したりした時に責任逃れや保身のための嘘をつき、刑罰から逃れた場合、地獄でその代価を支払うことになる。『正法念処経』は、その地獄を、「受堅苦悩不可忍耐処(じゅけんくのうふかにんたいしょ)」と呼んだ。
そこに堕ちた者の体内では、火を噴く猛毒の無数の蛇が休むことなく動き回り、肉や内臓を食い散らし、炎を噴いて苦しめる。その者は、延々と蛇に食われ、猛毒に苦しみ、体内から火で焼かれ、耐えきれずに死んでも、すぐに復活してしまい、繰り返し同じ苦しみを味わう。
生前、上手く刑罰から逃げおおせたとしても、際限のない業苦が待っていることを伝える。
嘘をついて「増税」した人々が堕ちる地獄がある
現代の日本の政治でも争点となる「増税」について、興味深い記述がなされている。「税が足りない」と嘘をつき、増税した王や領主が堕ちる地獄があるというのだ。
そこでは、焼けた鉄の縄で縛られ、燃えている木に逆さに吊られ、金剛のくちばしのカラスに足を食われる。そして、流れてきた自分の血を飲まされるという。
この地獄の名は、「血髄食処(けつずいじきしょ)」。
吸血鬼のように民から税を吸い上げた為政者が体を痛めつけられ、そこから流れる自分の血を飲まされるという、因果応報が完結する地獄だ。
「受堅苦悩不可忍耐処」と「血髄食処」は、殺生や盗み、邪淫や飲酒といった罪よりも一段重い罪を犯した者が堕ちることになっている。
仏教では「妄語」の罪を重くとらえており、『正法念処経』は、これらの地獄は、八大地獄の五番目に位置する「大叫喚地獄(だいきょうかんじごく)」の中にあるとしている。
なお、恩を仇で返した者、友人に対して嘘をついた者が落ちる「吼吼処」(くくしょ/こうこうしょ)も「大叫喚地獄」内の小地獄だ。
そこでは、獄卒が罪人の顎に穴をあけて熱した鉄のはさみで舌を引き出し、毒の泥を塗る。そして焼け爛れたところに毒虫がたかり、口から罪人を食い尽くすという。
「LGBTQ」の人が堕ちる地獄も描かれている
他の地獄を見ていくと、現代社会では罪と見なされなくなってきた問題が、きわめて厳しく処罰される世界があることが分かる。
例えば、近年は、LGBTQなどの性的少数者への理解増進が叫ばれるようになったが、仏教は、もともと同性愛を認めていない。
『正法念処経』には、同性愛者が「多苦悩処(たくのうしょ)」と呼ばれる地獄で苦しむ姿が描かれている。
同性愛者が抱きついた筋骨たくましい男の体が高熱を放ち、抱きついた者を焼き尽くす。その男の腕力は強く、抱きついた同性愛者は逃れられない。最後は灰になって散り、復活してはまた男に抱きつき、同じ苦しみを繰り返す。
その世界から逃げようとすると、地獄の獄卒に追いかけられ、断崖絶壁に追い込まれる。そして、金棒で追いつめられ、崖から落ちると、猛鳥に襲われ、地の底には肉を食らおうとする狼が待っている。結局は体を割かれてしまい、元の世界に戻されるのだ。
この仏典では、情欲のままに生きた者が血の池地獄に堕ちるとされ、異常な嗜好や残虐性を持った性行為に、それぞれ対応する地獄があることが語られているが、同性愛も、そうしたカテゴリーの中の一つに数えられているのだ。
弱者を偽装して、金銭や援助を貪った者が堕ちる地獄もある
さらに、注意深く地獄の諸相を見ていくと、現代社会でも起こりがちな問題が取り上げられている。
弱者を偽装し、お金や援助をせびり、取り続けた者が堕ちる地獄が描かれている。現代で言えば、生活保護の不正受給にも似た罪人は、「旃荼処(せんだしょ)」に堕ちる。そこは、体が悪くないのに病人のようにふるまい、薬や栄養のあるものを手に入れ、貪った者が堕ちる地獄だ。
鬼は、大きな鉄の杵(きね)を振り下ろして罪人を打ち据え、大きな斧で切断し、炎で焼いて責める。罪人は怪鳥に襲われ、食べられ、糞としてひねり出される。鬼がそれを集め、息をかけると元の体に戻り、また、一から責められるという。
この地獄は「黒縄(こくじょう)地獄」の中にあり、その詐取行為は、偸盗(ちゅうとう)に準じる罪とみなされている。
仏教では、「自分に与えられていないものを取ること」が盗(とう)とみなされる。法律のスキをついて「あなたに、そのようなものが与えられることは許されていない」というような利得を貪っていると、来世にこうした地獄が待っている。
仏教における「不偸盗」の戒めには、そうした観点が含まれている。
他人に酒を飲ませ、悪事を働かせ、堕落させても地獄に堕ちる
また、他の戒めでも、「単に〇〇すべからず」だけで終わらないものがある。
例えば、「不飲酒(ふおんじゅ)」は、酒で身を持ち崩すことを戒めただけでなく、他人に酒を飲ませて悪事を働いたり(物を盗むなど)、堕落させたりしてはならない、という観点が含まれている。
酒を飲ませて他人に悪事をそそのかしたり、自分に有利なように取り計らってもらったりと悪知恵を働かせた者は、「有煙火林処(うえんかりんしょ)」という地獄に堕ちる。そこでは、熱風に吹き上げられ、他の罪人と空中でぶつかり合いながら砂のように砕けてしまう。
また、酒で人を堕落させようとした者のうち、心身を清める斎戒を守る人に酒を飲ませて堕落させた者が堕ちる地獄もある。
「大吼処(だいくしょ)」では、人に酒を飲ませた時と同じように、溶けた白蝋(はくろう)を無理矢理飲ませられる。苦痛のあまり罪人が空まで届く咆吼の叫び声をあげると、獄卒はますますいきり立ち、罪人を苦しめるのだ。
「この世以外の世界があって初めて、論理が完結する」
こうした地獄の描写を見ると、全てにおいて「因果応報」の理が一貫している。
この世で生きている間に、「善因善果・悪因悪果が実現していない。悪人であるにもかかわらず栄えている人もいるではないか」と憤りを覚えることもあるだろうが、仏教では、その因果応報が来世を含めて完結することを教える。
大川隆法・幸福の科学総裁は、そうした仏教の中心概念──縁起の理法──の真の意義を解き明かしてきた。
「『この世を去った世界が厳然としてある』ということが、仏の、そして神の、公平な世界があるということの証明なのです。(中略)現象世界においては、原因と結果が必ずしも整合していないように見えます。しかし、そうした論理的矛盾があるからこそ、『世界はこの世だけではない』ということが明確に分かるのです。この世以外の世界があって初めて、論理が完結するのです。これが原因・結果の法則、時間縁起といわれるものです」(『幸福の革命』)
国民の生活を省みずに増税する為政者、欲望のままに振る舞うLGBTQの人々、弱者を偽装して金銭や援助を貪る人々……。
現代人は、一度立ち止まって、死後に待ち受ける「地獄」や「因果応報」について、深く考える必要がありそうだ。
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