石原慎太郎氏が亡くなったのは2月1日であった。石原氏が芥川賞の選考委員を務めていた時に何度か強く推していた作家に西村賢太氏がいた。その西村賢太氏が2月4日に急死した。西村氏は石原氏の追悼を次のように読売新聞に寄せている。『石原慎太郎氏の 訃報に接し、虚脱の状態に陥っている。私ごとき五流の私小説書きが、かような状況下にあることを語るなど痴愚の沙汰だ。実におこがましい限りの話でもある。しかし十代の頃か . . . 本文を読む
久しぶりに厚い本を読んだ。ジャレド・ダイヤモンドの『銃・病原菌・鉄』である。上巻は395頁、下巻は404頁と言う大冊である。上巻はしばらく前に読み終えていたのだが、下巻にはなかなか手がつけられずにいた。試験が終わったら読むぞと思っていても間が空いてしまうと億劫になってしまうものだ。ところが、コロナで外出を控えよ、と言う雰囲気が読破を後押ししたのかもしれない。とにかく読み終えたのである。この書籍をち . . . 本文を読む
本日はインドネシア文学に関する話題です。インドネシアの作家は私たちにはあまりなじみはありませんが、読んでみると欧米や日本の近代小説とは違った面白さを発見することもあります。『香料諸島綺談』の作者はY・Bマングンウイジャヤと言いジャワ出身の人です。元々は建築家として出発した彼の作家デビューは52歳と遅咲きであった。この本のタイトルにもなっている「香料諸島」について調べてみました。香料諸島の名の由来は . . . 本文を読む
物置のダンボール箱を整理していたら、こんな本が出てきました。フランツ・ファノン著作集です。著者はフランツ・ファノンです。彼はフランスの植民地、西インド諸島のマルティニーク に生まれ、アルジェリア独立戦争におけるFLN(民族解放戦線)の思想的指導者と目された人でした。この著作集の中に「地に呪われたる者」という著作があります。ファノンはこの著作で次のように言っています。「黒人はその黒さの中に閉じこめら . . . 本文を読む
現在、表題画像の美術展が秋田県立美術館で開かれております。山本二三(にぞう)はアニメーションの美術監督や背景画家です。この美術展でもらってきたチラシの画像に天空の城ラピュタの背景画があります。さて、今日は次のことを話題にしましょう。日本アニメ界の名作『天空の城ラピュタ』の元になった物語は、ガリバー旅行記であったことです。ガリバー旅行記は第一篇がリリパット国(小人国)、第二編がブロブディンナグ 国( . . . 本文を読む
前回(第一幕)まではパリス牧師の家でアビゲイルとプロクターが出会い、両人の過ぎ去った過去をめぐるお話でしたが、今回はそれ以降に何があったのかを見ていきましょう。第二幕はあれから8日間が過ぎています。舞台はプロクター家の居間です。プロクターと彼の妻のエリザベス、それに召使のメアリ・ウオレンやプロクター家を訪ねてくる数人の人たちによりセイラムでの魔女騒ぎの進行が語られてゆきます。セイラムでの魔女騒ぎは . . . 本文を読む
しばらくブログの更新をさぼっておりましたが、本日は「るつぼ」の読み方を続けます。前回の「るつぼの読み方」ではアビゲイルのプロクターへの「愛」がセイラムでの悲劇の根底にはあったのではないかと示唆しておきました。今回はそれについてテキストに即してもう少し立ち入ってみたいと思います。使用したのはハヤカワ演劇文庫版です。アビゲイルとプロクターが登場する場面を順を追って見てゆきましょう。アビゲイルは第一幕の . . . 本文を読む
前回の続きです。この戯曲は1692年にマサチューセッツ州セイラムで起こった魔女狩り事件の歴史的事実に基づきアーサーミラーにより書かれた。魔女狩りが起こった1692年以前の北アメリカはどのような状態であったかを簡単に振り返ってみよう。1620年にメイフラワー号で102名のピューリタン(清教徒)を中心とする英国人の一群がプリマスに上陸した。英国人による移住の始まりであった。1629年には英国のピューリ . . . 本文を読む
以前、本ブログでアーサーミラーの「るつぼ」を取り上げたことがあります。そのときは「るつぼ」の時代背景や簡単な感想を書いてみました。あれからしばらく経っています。今回はその戯曲「るつぼ」をどのように読むことが出来るかを考えてみたいと思います。「るつぼ」は1692年に起こった米国東部のセイラムという片田舎での「魔女裁判」の経過を1950年初め頃の「マッカーシズム」になぞらえて論評するものが多いのです。 . . . 本文を読む
今手元に『鎖国と開国』と言う本がある。著者の山口啓二氏は(2013年没)は、日本の歴史学者で日本近世史が専門 の人です。さて、日本は明治維新以降、国家と社会のあらゆる面で近代化に成功して西洋先進諸国と肩を並べるまでになりました。立憲主義に基ずく議会政治や産業殖産による生産力の増大を成し遂げた結果だと言われています。当時、日本が成し遂げた近代化は他の東アジア諸国と比べると数歩も先んじていたと言えるで . . . 本文を読む