残りわずかとなった年の瀬です。何かと気ぜわしいころとなってしまいました。
わたくしはことしは一体、何本の記事をブログに投稿したのかと思い、調べてみました。
ブロブ村のマイページによると、147回 / 365日(平均2.8回/週 となっています。
我ながら、良く飽きもせず色んな事を書き連ねてきたものだと思います。
人様のお役に立とうなどと思って記事を書いている訳ではないのですが、時折、記事にコメ . . . 本文を読む
ことしは色んな所へ出かけ写真を撮ってきました。
おそらく1000枚以上を撮ってきたかと思います。
それらの中から自分が残しておきたい一枚を自薦してみました。
友人と行ったり独りで行った場所もあり、それぞれに思い入れがあるのですが、たった一枚をあげるとすれば表題の写真になります。
この光景を目にした時の衝撃は忘れることが出来ません。
人の造作物が時間の経過に勝つことが出来ない現実を眼にしたので . . . 本文を読む
これまで2回にわたりアンディ・ウォーホルの作品を取り上げ、その意味や背景を考えてきました。
ここで、自分の考えを整理する意味も含めて、補足をしてみたいと思います。
前2回の記事のタイトルは「創造と模倣について」となっております。
私たちは日常的に創造や模倣と言う言葉を使っております。
この場合この2つの言葉は、対立する概念で使われることが多い事に気がつきます。
独創的なアイデアで物を造ったりす . . . 本文を読む
前回に引き続きアンディ・ウォーホルの作品を数点、取り上げて彼が表現したかったことはなんであったのかを考えることにしましょう。
表題の画像は前回の32個のキャンベルスープ缶の系列に属する作品です。
多数のコーラボトルを規則正しく配列した作品です。
タイトルは「緑色のコーラボトル」となっていました。
また、次のような作品もあります。
毛沢東の肖像写真を並べたものです。これも前回のモンローの作 . . . 本文を読む
flickrと言う写真投稿サイトがあります。ここのサイトには腕に覚えのある写真家(愛好家も含む)の作品が投稿されています。
おそらく、全世界からの写真が投稿されているかと思います。そしてその作品のレベルが高い事で知られています。
わたくしは、それらの作品を見てみたいと思い、flickrに登録をしてみました。
flickrはアメリカのサイトなので、使われている言語は当然のことながら英語です。
試 . . . 本文を読む
今年は方々へ出掛けて、写真を撮ってきました。
その写真をコンテストに応募したのが3回あります。
そのうち、一回はコンテストで入選を果たすことが出来ました。
それ故、私にとっての漢字は「写」です。
「写」はもちろん写真の写でありますが、また別の意味も持っています。
写真を撮りながら感じたことですが、写真は絵画と違って「今」しか写し取る事が出来ない事です。
画家は過去を振り返リ、想像で過去を描くこ . . . 本文を読む
先日は「人は移動するものである」と言う事に少し触れましたが、きょうはもう少しその事を考えてみたいと、思います。
その前に、きょうのブログの表題の画像はブリューゲルが描いた「バベルの塔」ですが、これが何故、ブログのタイトルと関係があるのかを、不思議に思われた方も多いと思います。
さて、今現在、地球上に住む人類の祖先をホモサピエンスと言ってることはご存知かと思います。
この人類の祖先はそれまでの旧 . . . 本文を読む
世の中には様々な災害や突発的な事故が絶えませんね。
それらの自然災害や重大事故の時に、よく聞く言葉に「想定外だった」と言われることがあります。
確かに予想外の結果と思われる事象は、世間ではざらにある事です。
だが、結果を予測することが困難なだけであって、結果には必ず原因はあるのです。
原因と結果との因果関係を証明することが難しいとしても、ある事象の結果には原因がないわけではないのです。
先の東 . . . 本文を読む
世間では色んな事柄について、技術や能力がが高い事を「〇〇力」がある、という事があります。
例えば歌手を評価するときなどに使われています。
あの人の「歌唱力」は素晴らしいとか言っていますね。
また、その歌手が情感を込めて歌ったりする時には「表現力」が豊かだ、という事もあります。
これ等の場合、「〇〇力」の「力」とはどの様な尺度なのでしょうか?
「力」と言うのはそもそも、力学や物理の概念であること . . . 本文を読む
先月の中頃、三種町に住む友人から突然電話が来ました。
彼が、どうだい、忙しくしているかと尋ねるので、わたくしは次のように返事をしました。
「お金と時間はいくらあっても足りないくらいだ」と言いました。
お金も足りていませんが、時間はもっと足りません。
古希を過ぎてからというもの、時間の過ぎるのがとても速いと感じるのです。
社会の中で活動できる残りの時間が少なくなってきているのを感じるのです。
. . . 本文を読む