たいていの国には義務教育の制度があります。
わが国では小中学校の9年間は学校に通い、教育を受けることが国民の義務とされています。
高等学校への進学は義務ではありませんが、仕事に就く時「高等学校を卒業している事、または高校卒業程度の学力を有すること」がたいていの事業所での就業の条件となっていることは衆知の事実ですね。
さてこの「義務教育」について、憲法では次のように述べられています。
憲法第26条 . . . 本文を読む
今月の20日に岩手県にある旧松尾鉱山跡を訪ねてみました。
1969年に廃鉱になる前まで、硫黄を採ってた鉱山でした。
戦後の昭和28年頃の最盛期には一万人の人が暮らす鉱山でした。
1960年頃を境にエネルギーの需要が石炭から石油へとシフトしていくにつれ、地中から掘り出す硫黄よりも、石油の精製過程の副産物の硫黄の価格が安かったため、鉱山は廃れていきました。
そこの従業員や家族の住居である当時のアパ . . . 本文を読む
私たちは酒屋さんやスーパーの酒売り場でウイスキーを買うとき、年代が古い銘柄ほど値段が高い事を当たり前に思っていますね。
私たちはそれを不思議とは思いませんが、実は経済学上ではおかしなことなのです。
何年も寝かせた在庫のことを普通は「不良在庫」と言います。
長く売れ残っているのでそのように言うのですが、ウイスキーやワインの場合は事情が違っている事に気がつきます。
長く寝かせた「在庫品」の方が出来立て . . . 本文を読む
私は1947年に生まれている。
いわゆる戦後生まれと呼ばれる世代に属しています。
学生の時、何かのきっかけで戦前、戦中の「国家主義イデオロギー」と言われる事象に興味を持ち様々な書籍に目を通したことがあった。
日本が国家として行った戦争についての研究は様々な分野での研究者の成果がありますが、戦争当時の国民の意思の集約の過程に関する考察が、少ないように感じております。
西洋のある哲学者はかって次 . . . 本文を読む
私たちは何気なくいろんな言葉を日常の生活の中で使っています。
それらの言葉でみんながわかっているようで、本源的にはわかりにくい言葉として、「美しい」があります。
そもそも、「美しい」とはどんなことを言うのでしょうか。
「美しい」という形容詞は様々な事柄や物に対して付けられています。
例えば、整った顔立ちと均整のとれた姿態を持つ女性に対して、あの人は美しい人だ言います。
また、富士山のように対称 . . . 本文を読む
先月の29日に4番目となる孫が生まれました。
まずはその孫に、これからの長い道のりを頑張れ、と言いたい。
と同時にそんなに頑張らなくても、それなりに生きれば良いとも思う。
次に頑張れと言いたいのは、自分である。
これからの人生、何年の時間が与えられているかはわからない。
だから、その時にできることを頑張りなさいと自分に言い聞かせたい。
今日が「ガンバレの日」であるのは、今まで知らなかった。 . . . 本文を読む
秋田県仙北市田沢地区に、廃校になり使われなくなった分校がありました。
老朽化が進み行くその校舎を地元民が惜しみ、保存・活用の状態にまで復活させました。
そこを訪ねてみました。
その分校は仙北市田沢湖潟にあります。学校の名は、田沢町立生保内小学校潟分校と言います。
田沢湖には時々行きますが、湖を巡る周回道路を走るのがほとんどなので、こんな小学校があった事さえ知らないでいました。
その校舎は周回道路 . . . 本文を読む
8月8日の午前2時半過ぎから月食が見られるとの事なので、寝ないで待機していました。
正確に言えば一度は床に就いたのですが、ぐっすり寝込んでしまって目が覚めないかもしれない事が心配で、寝付けなかったのです。
1時半頃に見た時には月にはほとんど変化はなく、また部屋に戻り写真の整理などをして時間が来るのを待ちました。
それから1時間後ぐらいに見た時は、肉眼でもはっきりとわかるほど月の食が始まっていまし . . . 本文を読む
秋田県の南に位置する湯沢市で行われている「絵灯籠祭り」を見に行ってきました。
湯沢は江戸の初期に水戸から移封(いほう)された佐竹氏の別家である佐竹南家の城下町として知られています。
ここでは8月の七夕の時期に、短冊を飾った竹の七夕飾りや絵灯籠の行事があります。
此処の灯篭には美人画が描かれています。
古典に題材をとったものや、昭和初期のころの画家の美人画の作品を模倣したものなどが描かれています。
. . . 本文を読む
秋田市の竿燈祭りが3日より始まりました。
県内外より多くの観光客が訪れる一大観光行事です。
あまりの人混みなので、熱心に見たいとは思っていなかったのですが、今年は小学5年生になる孫がその祭りで太鼓をたたきます。
カメラマンを兼ねて見物に行ってみました。
歩道の端に座って竿燈が始まるのを待っていたところ、隣に外国人の二人組の若者がいました。
彼らに日本語で話しかけましたが、言葉が通じません。
当初 . . . 本文を読む