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ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

フランコ総統が長期政権に就けたのはなぜなのか?ーー続きーー

2024年11月16日 21時39分06秒 | なぜ?どうして?
先日の上記の題で投稿しましたがその続きです。
フランコ総統の独裁の基本には次の思想があったと書かれていました。それは彼は極端な社会主義・共産主義嫌いだったことです。スペイン内戦当時のスペイン第二共和国政府を構成していた政治勢力は共和行動党、社会党、急進社会党などの人民戦線派と呼ばれた左派=共和派が多数を占め、右派は少数派であった。フランコはその共和政政府に対してクーデターを起こした。そしてフランコが支援を要請したのがドイツのナチスでありイタリアのファシストであった。
皆さんはピカソのゲルニカという絵画をご存知でしょうか。スペイン内戦時にゲルニカという町がドイツとイタリアの空軍により空襲を受け多くの市民の命が奪われたことがあります。当時のスペイン共和政政府がそのことを全世界に知らせることを目的としてパリ万博のスペイン共和政府館に陳列する壁画の作成をピカソに依頼したものでした。
さて、ナチスとファシストの支援もありスペイン内戦に勝利したフランコは共和国政府を構成していた左派政党の政治家を逮捕投獄したのですが、それを逃れて隠れていた社会党の政治家を後に探し出し逮捕し裁判にかけ死刑に処したことがあった。その罪はスペイン内戦時に国家に反逆したというものであったが、それは内戦終了から22年も経ってからのことであった。22年も過ぎ、その左派政治家が現実の政治に影響を与えるとは思われないのに探し出して死刑に処したのである。これなどはフランコがいかに「社会主義・共産主義が憎い」かを物語っているだろう。
ナチスのヒットラーは「ドイツ民族は古代アーリア人の血統を受け継ぐ優秀な民族である」との選良思想を持ち世界の主人になる資格があるという考えを持っていたと言われている。そのような思想を背景にしてユダヤ人絶滅に向かったのであるが、スペインのフランコにはそのような「思想と言えるもの」はなかった。ただ彼は「共産主義憎し」でありそのためにクーデターを起こしたのであった。フランコはヒトラーのように自国社会をどのような国にするのかなどの思想はなかったのである。彼にあったのはその時々の国内事情をその都度、対処してゆくという現実主義の政治手法であった。
さてフランコの「共産主義憎し」の基本姿勢と似たものを持つ政治指導者が今の世界にいる。いうまでもなくロシアのプーチンである。プーチンがウクライナに軍事侵攻する背景にはNATOの東方拡大があったとされる。ソ連崩壊と同時にワルシャワ条約は解消されロシアをまもる軍事同盟はなくなってしまった。世界を二つに分けた片方の雄であったソ連がなくなったのにNATOは相変わらず強固な軍事同盟のままでいる。そんな不公平は許されない。憎いのはNATOだ。とプーチンが思っても不思議はない。
フランコの「共産主義憎し」が彼の独裁権力の基盤であるなら、プーチンの「NATO憎し」が彼の独裁政治の基盤にあるのかもしれないなどと感じているのである。
なお、スペイン内戦後すぐに第二次大戦が始まったが、フランコはドイツ・イタリアに与することなく中立の立場をとった。自国の内戦ではドイツ・イタリアに助けてもらったのにそれらの国に与しなかったことなどを見てもフランコは何らかの明確な思想を持った政治指導者というより現実主義の政治指導者だったのかもしれない。
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