物置のダンボール箱を整理していたら、こんな本が出てきました。
フランツ・ファノン著作集です。著者はフランツ・ファノンです。彼はフランスの植民地、西インド諸島のマルティニーク に生まれ、アルジェリア独立戦争におけるFLN(民族解放戦線)の思想的指導者と目された人でした。この著作集の中に「地に呪われたる者」という著作があります。
ファノンはこの著作で次のように言っています。
「黒人はその黒さの中に閉じこめられている。白人はその白さの中に閉じこめられている」。「ニグロは存在しない。白人も同様に存在しない」。「白い世界はない。白い倫理はない。ましてや白い知性はない」と。
こんな激越なマニフェストを発した黒人はいなかった。自分で自分をニグロという黒人もいなかった。フランツ・ファノンが出現するまでは――。この言葉がどれほど激越なものであるかは、日本人が「黄色人種宣言」をしたことなど、かつて一度もなかったであろうことをおもえば、想像がつく。
さて、「地に呪われたる者」は1961年に執筆されている。著者は36歳であった。そしてフランツ・ファノンは1961年の12月6日に亡くなっている。アルジェリアの人々がフランスの植民地を脱して独立を遂げるのは、ファノンが亡くなった翌年の1962年の事であった。彼はアルジェリア独立を見ることをなくして36歳の生涯を閉じてしまった。
ファノンはリヨンの大学で精神医学を専攻。大学で精神医学を修め、1953年11月にはアルジェリアにある病院に臨床医の職を得て赴任。それに先立つ1952年には『黒い皮膚・白い仮面』を刊行している。
ここで思い出すのだが、キューバ革命を成し遂げたチェ・ゲバラも元医師であった。
話を「地に呪われたる者」に戻そう。一般に民族解放戦などの運動に従事したインテリの文章は、彼の属した運動組織のプロパガンダのためにのみ書かれたと思いがちである。事実、ファノンはFLNのスポークスマンの役目を果たしていたので、彼の与えた影響を見れば、その通りなのだが、一方ファノンは精神科医として、臨床的分析も行っている。「地に呪われたる者」の5章「植民地戦争と精神障害」においていくつかの症例を分析している。
その意味で彼はイデオローグであったとともに、実践家でもあったのだ。いや、むしろ実践家であったがゆえに思想家になった、と言えるだろう。
フランツ・ファノンはアルジェリアの独立運動に寄与しただけではない。ファノンは死後において多くの人々に影響を与えた。
ここで1960年代後半からのアメリカの思想潮流の一つに『ブラック・パワー』があったことを思い出す。
ブラックパワーは黒人であることに誇りを持ち、それを主張するという運動だった。その運動はアメリカの公民権運動の原動力として発展していった。
アメリカにカシアス・クレイという人がいた。世界チャンピョンにもなった黒人ボクサーなので知っている人も多い事と思う。彼はキリスト教からイスラム教に改宗して、名を「マホメド・アリ」と改名したこともあった。
そんな時、より先鋭な活動組織としてブラック・パンサー党が現れた。その宣伝ポスターにはショットガンをかまえた人物が写っていたのを思い出す。ブラック・パンサー党などの暴力的運動から穏健な公民権運動まで広く影響を与えた知性がフランツ・ファノンであった。
そんな時代にフランツ・ファノンの言葉は人々に浸み込んでいったのだと思う。
いまの私たちは残念ながらファノンのような知性と実践と勇気の人を、持ってはいない。
とりとめのない話になってしまった。いつかはファノンやその時代について書いてみたいものである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます