西条八十が創った「帽子」という詩があります。
ぼくの帽子 西条八十
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
以上が詩の全文です。
この詩は、映画「人間の証明」とその原作である森村誠一の小説で広く世に知られるようになりました。
わたくしもこの映画は何回か観ました。
「碓氷から霧積へゆくみちで、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。」とのフレーズは映画の宣伝もあって随分と知られるようになりました。
この詩に出てくる霧積温泉にこの度、行ってきました。
随分と前置きが長いと思わないで、もう少しお付き合いください。
霧積温泉は山深い秘湯です。そこは間違いなく秘湯です。
私が住む秋田県にも秘湯と呼ばれる「鶴の湯」と言う所がありますが、そんな所の比ではありません。
私たちが車を置いたところには、西条八十の「帽子」の詩を表したものが設置されておりました。
車を置けるそこの駐車スペースから宿の迎えの車に山道を揺られてしばらく掛かるのです。
やっと車が一台通れる渓谷沿いの山道の奥にその湯宿はありました。うっそうと茂る木立の中に金湯館はあります。
西条八十の詩の言葉が思い出されます。
「けれど、とうとう駄目だった。なにしろ深い谷で、それに草が背たけぐらい伸びていたんですもの。」
今では西条八十がこの詩を書いたときの道は、その後のダム建設により変わってしまっているようですが、深い渓谷は当時をしの忍ばせるには充分と感じました。
どのぐらい山深いところなのかを確かめる意味で、宿の女主人に次の事を尋ねてみました。
「ここにはクロネコヤマトの宅配便は来ますか?」
「ここには宅配便は来ません。荷物は里の一般住宅に集配を委託しています。そこまで宿の者が取りに行くのです」との事であった。
全国どんな所でも集配すると言われているヤマト運輸でさえも、ここには来ないのです。
今これを書きながら思ったのですが、郵便配達は来るのかを聞けばよかったかも知れませんね。
とにかく、山深い湯宿です。
霧積温泉「金湯館」の玄関です。霧積の当日の最低気温は15度であったと宿の主人が言っておりました。
やはり、かなり山奥でそれにうっそうとした木立に日差しがさえぎられるので、気温は低いのでしょう。
低いのは気温ばかりではありませんでした。
温泉の湯温も低いのです。源泉の温度は39度との事でした。
私たちが逗留したのは夏の終わりでしたので、まだその湯温でも浸かってれば良いですが、冬季間だとはたしてどうなのかと、思ったりもしました。
秋田市から安中市まで550キロも車を運転して実は腰の塩梅が良くなかったのですが、長く湯につかったおかげで、腰の具合もすっかり良くなり、快調になりました。ぬるい湯の思いがけない効用でした。
最後に、「人間の証明」の主題歌を聴きたいと思います。
演奏はこの歌を作曲した大野雄二氏のピアノソロです。ジョー山中氏の歌が有名ですが、作曲者自身による演奏もまた静かさの中に深みを感じさせる曲です。
ぼくの帽子 西条八十
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
以上が詩の全文です。
この詩は、映画「人間の証明」とその原作である森村誠一の小説で広く世に知られるようになりました。
わたくしもこの映画は何回か観ました。
「碓氷から霧積へゆくみちで、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。」とのフレーズは映画の宣伝もあって随分と知られるようになりました。
この詩に出てくる霧積温泉にこの度、行ってきました。
随分と前置きが長いと思わないで、もう少しお付き合いください。
霧積温泉は山深い秘湯です。そこは間違いなく秘湯です。
私が住む秋田県にも秘湯と呼ばれる「鶴の湯」と言う所がありますが、そんな所の比ではありません。
私たちが車を置いたところには、西条八十の「帽子」の詩を表したものが設置されておりました。
車を置けるそこの駐車スペースから宿の迎えの車に山道を揺られてしばらく掛かるのです。
やっと車が一台通れる渓谷沿いの山道の奥にその湯宿はありました。うっそうと茂る木立の中に金湯館はあります。
西条八十の詩の言葉が思い出されます。
「けれど、とうとう駄目だった。なにしろ深い谷で、それに草が背たけぐらい伸びていたんですもの。」
今では西条八十がこの詩を書いたときの道は、その後のダム建設により変わってしまっているようですが、深い渓谷は当時をしの忍ばせるには充分と感じました。
どのぐらい山深いところなのかを確かめる意味で、宿の女主人に次の事を尋ねてみました。
「ここにはクロネコヤマトの宅配便は来ますか?」
「ここには宅配便は来ません。荷物は里の一般住宅に集配を委託しています。そこまで宿の者が取りに行くのです」との事であった。
全国どんな所でも集配すると言われているヤマト運輸でさえも、ここには来ないのです。
今これを書きながら思ったのですが、郵便配達は来るのかを聞けばよかったかも知れませんね。
とにかく、山深い湯宿です。
霧積温泉「金湯館」の玄関です。霧積の当日の最低気温は15度であったと宿の主人が言っておりました。
やはり、かなり山奥でそれにうっそうとした木立に日差しがさえぎられるので、気温は低いのでしょう。
低いのは気温ばかりではありませんでした。
温泉の湯温も低いのです。源泉の温度は39度との事でした。
私たちが逗留したのは夏の終わりでしたので、まだその湯温でも浸かってれば良いですが、冬季間だとはたしてどうなのかと、思ったりもしました。
秋田市から安中市まで550キロも車を運転して実は腰の塩梅が良くなかったのですが、長く湯につかったおかげで、腰の具合もすっかり良くなり、快調になりました。ぬるい湯の思いがけない効用でした。
最後に、「人間の証明」の主題歌を聴きたいと思います。
演奏はこの歌を作曲した大野雄二氏のピアノソロです。ジョー山中氏の歌が有名ですが、作曲者自身による演奏もまた静かさの中に深みを感じさせる曲です。
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