27日、広川から紀伊路の中でも難所といわれる内原までを歩きました。
===広川IC・・・津兼(井関)王子 =バス= 河瀬(このせ)王子・・東の馬留王子・・・大峠(鹿ケ瀬峠)・・・
小峠・・・金魚茶屋跡・・・沓掛王子・・・爪書き地蔵・・・西の馬留王子・・・内ノ畑王子=ばす=高家(たいえ)王子
===久米崎王子===有田IC===
津兼(井関)王子が合祀されている「伏見稲荷大社・中紀奉拝所
当時の跡を留めている 河瀬(このせ)王子跡
道標を兼ねた供養塔 --正面に 名号( 徳本上人の字体による)
右面に是より左り紀三井寺道六里八丁
左面に右いせ かうやみち
河瀬は宿場として要衝の地であったといわれ、今も当時の屋号で呼称される民家が数多くある。
東の馬留王子跡から2.2K
↓大峠へ
↓
↓
大峠 海抜354m 当時は茶屋、旅籠があり広く開けていた。
↓
小峠へ
小峠の地蔵道標
小峠までは熊野古道に現存する最長の石畳道が続く
タツナミソウ
四ツ石聖石地-29回も熊野詣をした後鳥羽上皇が小憩されたとされている
内原王子神社--高家(たいえ)王子・藤原定家の歌碑--があり、
”萩原や 野べより野辺に うつりゆく
衣にしたふ 露の月影”-勅撰和歌集
スタンプが設置されています
湯浅までバス移動--久米崎王子
1部区間バスを利用したけれど難所といわれる峠越えのあと 田植え風景、黒竹の集落では
最近あまり見なくなったハタキの柄の作業場をのどいたりとのどかな田園風景をたのしめた古道歩きでした。
===広川IC・・・津兼(井関)王子 =バス= 河瀬(このせ)王子・・東の馬留王子・・・大峠(鹿ケ瀬峠)・・・
小峠・・・金魚茶屋跡・・・沓掛王子・・・爪書き地蔵・・・西の馬留王子・・・内ノ畑王子=ばす=高家(たいえ)王子
===久米崎王子===有田IC===
津兼(井関)王子が合祀されている「伏見稲荷大社・中紀奉拝所
当時の跡を留めている 河瀬(このせ)王子跡
道標を兼ねた供養塔 --正面に 名号( 徳本上人の字体による)
右面に是より左り紀三井寺道六里八丁
左面に右いせ かうやみち
河瀬は宿場として要衝の地であったといわれ、今も当時の屋号で呼称される民家が数多くある。
東の馬留王子跡から2.2K
↓大峠へ
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大峠 海抜354m 当時は茶屋、旅籠があり広く開けていた。
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小峠へ
小峠の地蔵道標
小峠までは熊野古道に現存する最長の石畳道が続く
タツナミソウ
四ツ石聖石地-29回も熊野詣をした後鳥羽上皇が小憩されたとされている
内原王子神社--高家(たいえ)王子・藤原定家の歌碑--があり、
”萩原や 野べより野辺に うつりゆく
衣にしたふ 露の月影”-勅撰和歌集
スタンプが設置されています
湯浅までバス移動--久米崎王子
1部区間バスを利用したけれど難所といわれる峠越えのあと 田植え風景、黒竹の集落では
最近あまり見なくなったハタキの柄の作業場をのどいたりとのどかな田園風景をたのしめた古道歩きでした。