京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

東福寺塔頭 南明院(なんめいいん)

2021年11月08日 20時09分00秒 | 日記
 光明院の次に東福寺境内南端にある南明院(なんめいいん)を訪ねました。
今回が初訪問です。





南明院の開基は足利幕府第四代将軍義持で第二世住持は画僧として有名な吉山明兆です。

大正10年の火災で全ての堂宇を失いますが、西宮績翠寺の庫裏を譲り受け本堂としています。



ご本尊の釈迦如来坐像です。
鎌倉時代に再建された東福寺法堂のご本尊釈迦如来像(東福寺大仏)の化仏のひとつと言われています。

南明院に移された当時は激しく損傷していましたが、現在は綺麗に修復されています。





床の間には豊臣秀吉の異父妹の旭姫の肖像画が掛かっています。

当時、旭姫は既婚者でしたが離婚させられ徳川家康の正室として駿河に嫁いでいます。
しかし、4年後に病により47歳で死去しています。

徳川将軍家は浄土宗ですが、臨済宗における菩提寺はこたらの南明院になっています。





境内の墓地の一角には旭姫の墓があります。
歴代の将軍が上洛するたびに墓参に訪れていたそうです。

豊臣の世になり戦は無くなりましたが、徳川の力を恐れた秀吉は妹を家康に嫁がせる事で政権の維持をはかろうとしました。

旭姫はこの政略結婚の犠牲になられた方です。





境内のドウダンツツジが真っ赤に紅葉しています。







御朱印には藤原俊成の像と"冷泉家ゆかり"とあるのは、この一帯は冷泉家の所領だった事に由来しています。






東福寺塔頭 光明院-京都非公開文化財特別公開③-

2021年11月08日 07時20分00秒 | 日記
 知恩院三門を拝観後、東福寺塔頭の光明院へと来ました。





通天橋周辺のもみじはまだ"色づく"の状況で"見頃"は2週間後くらい先になると思われます。







山門を入ったところにある「雲嶺庭」です。
青石を使った三尊の石組が見事です。
すぐに重森三玲ワールドが始まります、







「波心庭」と名付けられた庭園は、重森三玲が昭和14年(1939)に東福寺本坊庭園の作庭と同時並行で作庭されました。
当時の光明院住職が直接、重森三玲に以来されたそうです。

庭園の中心には枯池があり大海を表現しています。
その枯池には三ヶ所の三尊石組を配置し、そこから放射線状に光を放つ様子を立石で表現しています。

奥にはサツキやツツジの刈り込みがあり雲を表現しています。
さらに上には茶室「蘿月庵」がありますが今回は非公開です。



別の茶室からの「波心庭」の眺めです。







今回の特別公開では通常非公開の書院二階が公開されていますが、生憎写真撮影は禁止になっていました。
(過去に2度、二階に上げて頂いています。)



光明院の藤田ご住職は、ご実家はごく普通の会社員の家庭で育てられた方ですが、どんなきっかけがあったのか?戒律の厳しい禅宗の僧侶になられた方です。

妻帯せず東福寺、自坊の光明寺の法灯を守られています。

将来を嘱望されている和尚さまで将来は東福寺本坊の管長猊下になられるかも知れない方です。