光明院の次に東福寺境内南端にある南明院(なんめいいん)を訪ねました。


今回が初訪問です。











南明院の開基は足利幕府第四代将軍義持で第二世住持は画僧として有名な吉山明兆です。
大正10年の火災で全ての堂宇を失いますが、西宮績翠寺の庫裏を譲り受け本堂としています。

ご本尊の釈迦如来坐像です。
鎌倉時代に再建された東福寺法堂のご本尊釈迦如来像(東福寺大仏)の化仏のひとつと言われています。
南明院に移された当時は激しく損傷していましたが、現在は綺麗に修復されています。


床の間には豊臣秀吉の異父妹の旭姫の肖像画が掛かっています。
当時、旭姫は既婚者でしたが離婚させられ徳川家康の正室として駿河に嫁いでいます。
しかし、4年後に病により47歳で死去しています。
徳川将軍家は浄土宗ですが、臨済宗における菩提寺はこたらの南明院になっています。


境内の墓地の一角には旭姫の墓があります。
歴代の将軍が上洛するたびに墓参に訪れていたそうです。
豊臣の世になり戦は無くなりましたが、徳川の力を恐れた秀吉は妹を家康に嫁がせる事で政権の維持をはかろうとしました。
旭姫はこの政略結婚の犠牲になられた方です。


境内のドウダンツツジが真っ赤に紅葉しています。


御朱印には藤原俊成の像と"冷泉家ゆかり"とあるのは、この一帯は冷泉家の所領だった事に由来しています。