日本の将来
1.世界の人口
地球の誕生は約46億年前、その地球に直立二足歩行の類人猿、アウストラロピテクス・アファレンシスが現れたのは約400万年前と右の参考書にある。【参考書:「人類の足跡10万年全史」 Stephen Oppenheimer著、仲村明子訳、草思社、2007年、内容=15万年以上前のアフリカを起点とする人類の足跡を遺伝子、化石記録、気象学の観点で解明する書】
その頃の地球は氷期と間氷期を繰り返し、最後の氷期は今から約1万年前に終り、現在の間氷期に入った。氷期と間氷期の繰り返しのうちでも、17万年前の最も厳しい氷期には総人口が1万人にまで落ち込み人類が絶滅しかけたことがあったと参考書にある。
さらに参考書によれば、われわれのミトコンドリアDNA上の祖先(現生人類)は、15万年以上前からアフリカで暮らしていた。彼らは、今からおよそ7万~8万年前にアフリカを出て世界に広がったが、その頃のヨーロッパには別の人種、ネアンデルタール人、東南アジアにはホモ・エレクトスが住んでいた。しかし、ネアンデルタール人やホモ・エレクトスは少なくとも3万年前まで生存していたが、現生人類のなかには、彼らの遺伝的痕跡は見られない。
紅海が二つに割れたわけではないが、人類が初めてアフリカを出た頃は、大規模な氷期だった。6万~8万年前のうちで最も寒かったのは6万5000年前、その頃は氷河作用で海面は104メートルも降下していたと紅海の調査で明らかになっている。
アフリカを出た人類は、ユーラシア大陸に広がり、一部はチモールからオーストラリア大陸、別のグループは2万5000~2000年前にベーリング海の陸橋を経て北アメリカから南アメリカに渡った。南米チリのモンテベルデでは1万2000年前の人類の居住跡と人工遺物が発見された。また、南フランスでは、有名なクロマニヨン人(現生人類)が1868年に南フランスのクロマニヨン洞窟で発見された。約3万年前のクロマニヨン人は体質的に現代人とほぼ同じとされている・・・このような人類の足跡につては、参考書を一読されたい。
今からおよそ1万~9000年前は間氷期の初期、その頃に人類は採集・狩猟から農耕・牧畜に移り始めた。農耕と牧畜による食料調達は、人々の生活に安定と余裕をもたらし、生活の余裕は世界各地の古代文明に発展した。
下の表は、紀元前7000年(9000年前)頃から2100年にいたる世界人口の推移と推計を示している。古代文明時代の人口は、500万から1,000万人程度、意外に少ないと感じる。この頃の人口については「歴史上の推定都市人口-Wikipedia」も参考になる。

出典:国立社会保障・人口問題研究所、2013年版統計、I.人口および人口増加率
表1-9 世界人口の推移と推計:紀元前~2100年
1900年以前 UN, Determinants and Consequences of Population Trends, Vol.1, 1973
1950年以降 UN, World Population Prospects: 2010 Revision
注:表1-9を筆者が要約、上の表の「増分」は筆者が付加した。
西暦元年頃の人口は2~4億人だったが、1950年から2000年のわずか50年で、約36億人(実績)もの人口が増加した。
ここには示さなかったが、別の統計では1970年の伸び率が最も大きく、年平均2.07%だった。この伸び率では1年に7,650万人もの人口が増加する。
下のグラフは、1950年から2100年の地域別人口を示している。

出典:国立社会保障・人口問題研究所、人口統計資料、2013年版、I.人口および人口増加率
表1-13 世界の主要地域別人口割合および人口増加率:1950~2100年
UN, World Population Prospectsを筆者の判断で要約、その要約をグラフ化した。
グラフから、地球の人口は1950年に約25億人だったが、2100年には4倍の約101億人に達し、さらにその先も増加を続けている。その原因は、2050年頃から始まるアジアの人口の減少以上にアフリカの人口が増えるからである。
上のグラフには数字を示さなかったが、アフリカ、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、北部アメリカおよびオセアニアの1950年と2100年の人口は、それぞれ次のように増加する。
アフリカ:
1950年 2億3000万人 ⇒ 2100年 35億7400万人(約15.54倍)
ヨーロッパ:
1950年 5億4700万人 ⇒ 2100年 6億7500万人(約1.23倍)
ラテンアメリカ(カリブ海諸島を含む):
1950年 1億6700万人 ⇒ 2100年 6億8800万人(約4.12倍)
北部アメリカ:
1950年 1億7200万人 ⇒ 2100年 5億2600万人(約3.06倍)
オセアニア:
1950年 1300万人 ⇒ 2100年 6600万人(約5.08倍)
アフリカの人口が1950年から2100年の150年で約15.54倍の35億7400万人に爆発的に増加する。このアフリカの35.7億人は、1950年の世界の総人口25.3億人より10億人も多い数字である。今から100年の内にアフリカの人口は容赦なく伸び続けるが、アジアでは高齢化と人口の減少が深刻になる。そのとき、現行の社会システムと食料供給が対応できるかどうかが問題になる。
人口予測は大きく外れることはないという経験則があるので、百年以上の先の話ではあるが、2050年から2100年の地域別人口を脳裏に収めておく必要がある。
ちなみに、上のグラフの時間軸(X軸)の1950年から2100年までの画面上の長さは約6cmである。このX軸の15万年前の位置を計算すると、画面の左側約60m先になる。15万年前から1900年の15~17億人までは非常に緩やかな増加、その後は2000年にかけて急激に人口が増加した。1970年頃には、先に述べたように年平均伸び率が最高の約2.07%に達した。このような人口の推移を広義の成長曲線ととらえるとき、1970年頃に変曲点を通過したのかも知れない。
次に、世界の人口から各国の経済情勢に目を移す。下の表は、現在の国別一人当たりの名目GDP(USドル)のリストである。
GDPの中身はさまざま、工業製品や農産物の生産高、オイルマネーや金融取引など様々であり一般論では片付かない。しかし、世界経済の現状を知る上で一つの参考になるので、ここにできるだけ多くの国をリストした。



出典:世界経済のネタ帳(IMF-World Economic Outlook Databases)、世界一人当たり名目GDP(USドル)ランキングのデータを加工・作表した。
次回は、上のリストに黄色でマークしたオーストリア、日本およびオランダの経済指標をチェックする。オーストリアのウィーンはかつて住んでいた街、オランダはよく訪れた国、この辺りの話も交えて今後の日本を考える。
1.世界の人口
地球の誕生は約46億年前、その地球に直立二足歩行の類人猿、アウストラロピテクス・アファレンシスが現れたのは約400万年前と右の参考書にある。【参考書:「人類の足跡10万年全史」 Stephen Oppenheimer著、仲村明子訳、草思社、2007年、内容=15万年以上前のアフリカを起点とする人類の足跡を遺伝子、化石記録、気象学の観点で解明する書】
その頃の地球は氷期と間氷期を繰り返し、最後の氷期は今から約1万年前に終り、現在の間氷期に入った。氷期と間氷期の繰り返しのうちでも、17万年前の最も厳しい氷期には総人口が1万人にまで落ち込み人類が絶滅しかけたことがあったと参考書にある。
さらに参考書によれば、われわれのミトコンドリアDNA上の祖先(現生人類)は、15万年以上前からアフリカで暮らしていた。彼らは、今からおよそ7万~8万年前にアフリカを出て世界に広がったが、その頃のヨーロッパには別の人種、ネアンデルタール人、東南アジアにはホモ・エレクトスが住んでいた。しかし、ネアンデルタール人やホモ・エレクトスは少なくとも3万年前まで生存していたが、現生人類のなかには、彼らの遺伝的痕跡は見られない。
紅海が二つに割れたわけではないが、人類が初めてアフリカを出た頃は、大規模な氷期だった。6万~8万年前のうちで最も寒かったのは6万5000年前、その頃は氷河作用で海面は104メートルも降下していたと紅海の調査で明らかになっている。
アフリカを出た人類は、ユーラシア大陸に広がり、一部はチモールからオーストラリア大陸、別のグループは2万5000~2000年前にベーリング海の陸橋を経て北アメリカから南アメリカに渡った。南米チリのモンテベルデでは1万2000年前の人類の居住跡と人工遺物が発見された。また、南フランスでは、有名なクロマニヨン人(現生人類)が1868年に南フランスのクロマニヨン洞窟で発見された。約3万年前のクロマニヨン人は体質的に現代人とほぼ同じとされている・・・このような人類の足跡につては、参考書を一読されたい。
今からおよそ1万~9000年前は間氷期の初期、その頃に人類は採集・狩猟から農耕・牧畜に移り始めた。農耕と牧畜による食料調達は、人々の生活に安定と余裕をもたらし、生活の余裕は世界各地の古代文明に発展した。
下の表は、紀元前7000年(9000年前)頃から2100年にいたる世界人口の推移と推計を示している。古代文明時代の人口は、500万から1,000万人程度、意外に少ないと感じる。この頃の人口については「歴史上の推定都市人口-Wikipedia」も参考になる。

出典:国立社会保障・人口問題研究所、2013年版統計、I.人口および人口増加率
表1-9 世界人口の推移と推計:紀元前~2100年
1900年以前 UN, Determinants and Consequences of Population Trends, Vol.1, 1973
1950年以降 UN, World Population Prospects: 2010 Revision
注:表1-9を筆者が要約、上の表の「増分」は筆者が付加した。
西暦元年頃の人口は2~4億人だったが、1950年から2000年のわずか50年で、約36億人(実績)もの人口が増加した。
ここには示さなかったが、別の統計では1970年の伸び率が最も大きく、年平均2.07%だった。この伸び率では1年に7,650万人もの人口が増加する。
下のグラフは、1950年から2100年の地域別人口を示している。

出典:国立社会保障・人口問題研究所、人口統計資料、2013年版、I.人口および人口増加率
表1-13 世界の主要地域別人口割合および人口増加率:1950~2100年
UN, World Population Prospectsを筆者の判断で要約、その要約をグラフ化した。
グラフから、地球の人口は1950年に約25億人だったが、2100年には4倍の約101億人に達し、さらにその先も増加を続けている。その原因は、2050年頃から始まるアジアの人口の減少以上にアフリカの人口が増えるからである。
上のグラフには数字を示さなかったが、アフリカ、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、北部アメリカおよびオセアニアの1950年と2100年の人口は、それぞれ次のように増加する。
アフリカ:
1950年 2億3000万人 ⇒ 2100年 35億7400万人(約15.54倍)
ヨーロッパ:
1950年 5億4700万人 ⇒ 2100年 6億7500万人(約1.23倍)
ラテンアメリカ(カリブ海諸島を含む):
1950年 1億6700万人 ⇒ 2100年 6億8800万人(約4.12倍)
北部アメリカ:
1950年 1億7200万人 ⇒ 2100年 5億2600万人(約3.06倍)
オセアニア:
1950年 1300万人 ⇒ 2100年 6600万人(約5.08倍)
アフリカの人口が1950年から2100年の150年で約15.54倍の35億7400万人に爆発的に増加する。このアフリカの35.7億人は、1950年の世界の総人口25.3億人より10億人も多い数字である。今から100年の内にアフリカの人口は容赦なく伸び続けるが、アジアでは高齢化と人口の減少が深刻になる。そのとき、現行の社会システムと食料供給が対応できるかどうかが問題になる。
人口予測は大きく外れることはないという経験則があるので、百年以上の先の話ではあるが、2050年から2100年の地域別人口を脳裏に収めておく必要がある。
ちなみに、上のグラフの時間軸(X軸)の1950年から2100年までの画面上の長さは約6cmである。このX軸の15万年前の位置を計算すると、画面の左側約60m先になる。15万年前から1900年の15~17億人までは非常に緩やかな増加、その後は2000年にかけて急激に人口が増加した。1970年頃には、先に述べたように年平均伸び率が最高の約2.07%に達した。このような人口の推移を広義の成長曲線ととらえるとき、1970年頃に変曲点を通過したのかも知れない。
次に、世界の人口から各国の経済情勢に目を移す。下の表は、現在の国別一人当たりの名目GDP(USドル)のリストである。
GDPの中身はさまざま、工業製品や農産物の生産高、オイルマネーや金融取引など様々であり一般論では片付かない。しかし、世界経済の現状を知る上で一つの参考になるので、ここにできるだけ多くの国をリストした。



出典:世界経済のネタ帳(IMF-World Economic Outlook Databases)、世界一人当たり名目GDP(USドル)ランキングのデータを加工・作表した。
次回は、上のリストに黄色でマークしたオーストリア、日本およびオランダの経済指標をチェックする。オーストリアのウィーンはかつて住んでいた街、オランダはよく訪れた国、この辺りの話も交えて今後の日本を考える。