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ことば(4)---ラテン語とタイ語

2011-05-28 | ことばとコンピュータ
5.ラテン語
ラテン語の辞書を一冊持っているだけで、ラテン語そのものの知識は何もない。しかし、ラテン語には次のような思いがある。

ニューヨークの北東にハートフォードという町がある。ある時、その町の美しい住宅街の教会で、友人の紹介で慈善団体の午後のミーティングに参加した。

歓談が進むにつれ、気品のある気さくな婦人から、「ところで、あなたはラテン語を解するか?」と問われ、残念ながら「ノー」と答えた。そこで話はラテン語とヨーロッパ文化に及んだ。

ご婦人の解説によれば、ラテン語はローマ帝国の公用語で、多くのギリシャ語を語源とする「書き言葉」である。その書き言葉は、古典ラテン語と呼ばれ学問や思想の用語として今も生きている。たとえば、医学用語は、ローマ時代ではラテン語一言語主義であったが、現在ではラテン語・英語・現地語を併記する三言語主義が主流になっている。このような背景で、ラテン語は欧米の知識層の素養の一つになっているとのことだった。その婦人の気品と教養に接して、淑女とはこのような人のことだと思った。

一方、ラテン語の「話し言葉」は、ロマンス諸語としてフランス語、スペイン語、イタリア語、ルーマニア語などに分岐した。たとえば、フランス語はラテン語の一つの方言といえる。また、ドイツ語、オランダ語、英語などのゲルマン系の言語にも、ラテン語が語源になっている言葉が多い。英語のAbacus(ソロバン)やAppendix(付録、盲腸)などはラテン語に等しい。

それから数年後、サンフランシスコ郊外の小さな本屋で、ラテン語辞典の半額セールを見つけた。書店のおばさんに、「あなたは何をする人ですか」と問われ、「システム技術者」と答えたら、「アメリカ人でもなかなか買わないのに、日本人が買うのは驚き」と云われた。こちらは、半額が嬉しかった。

いつの日か、この辞書を頼りにアレクサンドリアの図書館や考古博物館を訪ねてみたい。それが夢であり、その実現を夢見ている。

6.タイ語
タイの日系工場に出入りし始めて早や十数年がたった。仕事やホテルでは、英語が通じるのでタイ語を覚えない、また覚えなくても生活に支障はない。

耳から入るだけのタイ語は、何年たっても上達しない。ひげ文字に似た文字、おまけに、母音が7つもあると云う。そこで、タイ語の勉強を諦めた。しかし、難しいから逃げ出す自分とタイの人々と同化できない自分に後ろめたさを感じる。

しかし、日本人の工場長の中には、工場の管理にはタイ語が必須と「読み」「書き」「会話」を正式に習う人もいる。その熱意には敬服する。もちろん、タイ語を正式に習った人は上達も早い。

生活に支障がない程度のタイ語とは、「直進(トロン・パイ)」「右折(リァウ・クワ)」「左折(リァウ・サーイ)」「近い(カイカイ)」と「通りの名前」を頭に入れておけば問題ない。これだけで、タクシーでどこへでも行ける。地図の「通りの名前」だけは、地元の人の発音を覚えておく。観光案内の地図にある英語の「通りの名前」は使わない。

たとえば、「ボスタワー・パラムシー・カイカイ・カルフール(ラマ4通りのカルフール近くのボスタワー)」で、間違いなく目的地に到着できる。行き先をはっきりと告げ、余計なことは言わない。目的地が近づけば、リァウ・サーイなどと指示する。

なお、タクシーが危険な地域では、バスに乗る。どこの国でも公共バスが最も安全な乗り物である。(ただし、時間は不正確) 言葉が通じなくても、乗客は善良であれこれと助けてくれる。その助けに感謝・感激することも多い。また、その感謝・感激はその國の印象として、いつまでもこころに残る。当然だが、バスが危険な地域では、独りで出歩いてはいけない。

最後の世界共通語(数式、楽譜、コンピュータ言語など)は、次の「ことば(5)」に続く。


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ことば(3)---フランス語とスペイン語

2011-05-26 | ことばとコンピュータ
3.フランス語
商船大学では、航海科はフランス語、機関科はドイツ語が必須だった。フランス語は外交官が使う社交語、したがって、フランス語と聞くと豪華客船のサロンに並ぶフルコースの食卓を連想する。他方、ドイツ語と聞くと、U-ボートの狭い艦内を連想する。

フランス文学とフランス語会話は、英語と同様にそれぞれ1年生から3年間も必須単位だった。フランス文学の内容はすべて忘れたが、フランス語会話は今も覚えている。ベロー先生はパリー・ミッションの神父さんだった。

商船大学で一番悩ましかったのはフランス語会話の試験だった。一年生の試験は、毎週月曜日の一時間目、そのため日曜日の夜は枕を高くして眠れなかった。先生の「ミナサンノコフク(幸福)ノタメニ、シケンヲシマス」は今も耳に残っている。

暗記試験で覚えたフランス語のテキストは、今も正確に口から流れ出す。一旦流れ出すと最後まで止まらない。なぜ今も忘れないのかが不思議でならない。たぶん、脳細胞の一部が癒着して、そこを刺激するとその記憶全体が活動し始めるようだ。ただし、フランス語、特にシャンソンを聞けばある程度理解できるが、会話は全くできない。しかし、ベロー先生と彼のフランス語は80歳を超えた筆者の頭の中に今も生きている。歳月と共に風化する思い出はもともと本物ではない。

フランス語はウィーン生活で役立ったが、それ以外にもシャンソンの歌詞や歌手、7月14日はパリ祭とか、フランスの文化と歴史に興味を持った。銀座のシャンソン喫茶「銀パリ」には上京のたびに出入りした。フランス語ほど快い響きの言語と歌は、他にはないと今でも信じている。

十数年も前、高校のクラス会(京都市)の便りに、国語の先生が80歳のプロの女性シャンソン歌手としてデビューされたとあった。あの先生は、われわれ高校生に日本文学を教える一方、筋金入りのシャンソン気違いだったと思うとおかしくもあり、感心する。いつか機会があれば先生のシャンソンを存分に拝聴したい。このような先生の近況を聞くにつけ、この日本もまだまだ多様な社会、特に余すことなく人生を謳歌される先生に勇気付けられた。

4.スペイン語
商船は、中南米、スペイン、ポルトガル、フィリッピンなどスペイン・ポルトガル語圏を航海する。

広大なスペイン語圏を考えると、スペイン語の知識も重要と考えた。そこで、われわれ学生は、スペイン語の講座を大学にお願いした。正式な単位には加算されないが、要望は認められた。通常の時間帯に講座が開設され、一学年(航海科60人)の全員が受講した。あの頃の国立大学は度量が大きかった。

貿易実務をスペイン語でこなせる専門家に1年間教わった。授業の内容はさることながら、先生は中分け(センター分け)で身だしなみに一分の隙もない端正な紳士だった。なぜか他の先生たちとは違った雰囲気、あの先生は本物の紳士だったと今も思っている。ちょうどあの頃、われわれ全寮制の学生は、数百メートル先の大学に作業服で通っていた。中にはサンダル履きの学生もいたので、時どき芦屋市の婦人会からみっともないとクレームがついた。筆者も朝の登校時に母の手編みセーターが派手だと学生課から注意された。

日本人にとってスペイン語は、日本のローマ字風に発音すれば相手に通じる。また、相手の言葉も聞き取り易い。確か、辞書には発音記号がなかったと記憶する。美辞麗句を気にしなければ、スペイン語やポルトガル語は日本人にフレンドリーな言葉である。

仕事では関係がなかったが、サントドミンゴ港の少年とその家族やアメリカの知人が所有するカラカス(ベネゼェラ)の豪華な白いアパートなど、スペイン語系の懐かしい思い出は尽きない。

停泊中の休日、静かな岸壁で近くに住む少年とカニ取り、少年の案内で家族と歓談、甘い花の香りが漂う岸壁の公園では人びとは遅くまで歓談する。エメラルド・グリーンの入り江に面した岸壁では、昼はトラックやクレーンが主役、夜は屋外が快適、音楽や屋台、それを囲む人びとが主役になる。時には、子猫ほどの野ネズミも出る。

歌も言葉とリズムで変化する。静かなシャンソンもコンチネンタル・タンゴ風に編曲すると舞踏会風のリズムに変化する。また、スペイン語の曲は情熱的、ポルトガルのファド風(fado)にアレンジすれば哀愁を帯びたリズムに変化する。他方、イタリアのカンツォーネ風ではなぜか絶叫型の情熱的な曲に変化する。世界各地にはその地独特の気候、言語、リズムがあり、文化という名の雰囲気に包まれる。

歌詞も、歌手のその時の気分で変化する。たとえば、「黒」という歌詞(単語)の発音はノワール(仏noir)、次の繰り返しではブラック(英black)、またいつの間にかnoirになっている。気付かないほどの些細な変化だが、そこにリズム感と柔軟性に富む多言語社会を感じる。筆者にとって多言語社会とは、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語などの辞書が別々に存在するのではなく、どの単語からでもアクセスが可能な一つのデータベースである。もちろんそこでは通貨や度量衡換算も含む世界共通システムである。この点で、翻訳ソフトに応用するAIも多言語システムをベースとしなければ的を得た翻訳ができないという課題がある。

最後に、英語、フランス語、スペイン語の紳士という言葉とそのニュアンスを紹介する。

英語:Gentleman=穏やかな人
フランス語:Homme comme il faut=世に必要な人
スペイン語:Caballero=男らしい騎士

それぞれ、その国らしい表現である。商船大学の階段教室で、国際法の先生から「いつか君たちも"Homme comme il faut"になって欲しい。」といわれたのを今も覚えている。懐かしい思い出であるが、努力はするものの満点は難しい。

次回のラテン語とタイ語は「ことば(4)」最後の世界共通語は「ことば(5)」に続く。

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ことば(2)---英語

2011-05-15 | ことばとコンピュータ

2.英語
1)大学の英語教育
商船大学は4年半制で船乗りを養成する。船乗りに語学は必須、英文学と英会話はそれぞれ4年間、英会話は試験好きなスイス人の先生だった。気象学の教科書は、なぜか英語だった。

航海士としてほのるる丸(商船)に乗組むと、航海日誌(Logbook)や操船号令は英語だった。

ちなみに、航海日誌は公文書で、国内外の事故などでは重要な証拠物件になる。したがって、航海日誌の訂正や書直しは禁止されている。

船内は英語の世界、食事もナイフとフォークだった。テーブルクロスは純白の厚い木綿地、これには理由がある。食事中に船が揺れ始めると、サロンに待機中のスチュワードはすかさず水差しでテーブルクロスに水を注ぐ。湿った厚手のテーブルクロスの上の食器は滑ることなく、平然と食事ができる。これは大航海時代からの習慣と聞いた。安定性の悪い茶碗やお椀ではこうはいくまい。

大学で耳にした唯一の日本語の専門語、「前進微微速」(ゼンシンビビソク=Dead Slow Ahead)は旧日本海軍の用語である。ただし、これは死語、明治から戦時中も日本の商船の航海日誌は英語だったと思う。

2)アメリカの国語教育(英語)
これは、1960年中ごろの話である。アメリカの大学に入学した外国人は、4年制や大学院生に関わりなく、English for International Student(国際学生への英語)が必須になる。実習では毎回作文のテーマを選び、書きたい内容をコンピュータプログラムのようにフローチャートに展開する。その論理の流れ(フローチャート)に先生の添削を受け、OKならば文章にする。日本の国語では習わなかった句読法(項分け、括弧や;や:などの用法)も詳しく教わった。

文章は、32語(Word)以下の短文、かつ、Straightforward(単刀直入な)文章を書くことを指導された。当然、Ambiguous(両義に取れる)文章も「ダメ」だった。

3)専門科目のTerm Paper
工学部の大学院で学んだが、殆どの専門科目では、Term Paper(20ページ程度の小論文)を学期末に提出しなければならなかった。

小論文の評価は、文章の構造(Mechanics)と内容(Content)を合せて100点、90点以上はA、89-80点はB、79点以下はCになる。

文章の構造では、文法、スペリング、文章の形式とスタイル、各10点で合計40点。たとえば、ある科目でやや大風呂敷を広げた内容の論文、「ネットワークの制御論」を提出した。その論文の文章スタイルの評価は、A little high flown for the purpose, but good. 9点(-1点)(やや飛躍しているが、良かろう)と先生のコメントが返ってきた。

内容の評価は、選択したテーマの妥当性とテーマへの理解度、分析の独創性、完成度と深さに分かれ、合計60点だった。

Term Paperでも、Short SentenceとStraightforwardな作文を頭に叩き込まれた。工学部では、独創的な論理の展開力と文章力の養成に力を入れていた。

4)宿題(Home Work)
科目にもよるが、毎週の宿題と3~5冊の専門書の読書を求められる。

言葉の不自由な日本人は、図書館に入り浸りになる。実際には、英和辞典を引く手間は省き、次々とページを読み進まなければ時間が足りない。どうしても分からない単語は、図書館のあちこちに備えてある英英辞典を後で引く、この方が効率的だった。結果として、英語の意味は分かるが、日本語は分からない単語が増えていった。

この点では、船乗りの専門語も同じだった。英語の航海用語は分かるが、その日本語は知らない。また、実務では日本語を使わないので知る必要もない。

将来、日本ビジネスも同様に、英語のビジネス用語しか知らない若者が増えると思う。その時、日本の横書き文章は、カタカナ英語交じりから英文交じりの横書きになる。

次回のフランス語とスペイン語は「ことば(3)」に続く。


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ことば(1)---日本語

2011-05-12 | ことばとコンピュータ
このブログの冒頭で紹介したほのるる丸で神戸を出港して以来、さまざまな国や地域に出入りした。船員手帳と航空会社のマイレージから推定すると、貨物船で地球を約10周、旅客機で15周以上の航程になる。その殆どは、北半球内での移動である。

当然、その間にいろいろな言葉に接してきた。今回は、地球の思い出から話題を変えて、今までに出会った外国語に話を進める。

ここでは、母国語の日本語を含めて、英語、フランス語、スペイン語、ラテン語、タイ語および世界共通語(数式、楽譜、コンピュータ言語など)について、その言語との関わりや印象を思いつくままに書き記す。

1.日本語
生れてから70年以上も使っている母国語である。幸い、長年の国語教育のお陰で日本語には不自由は感じない。しかし、日本語の将来について、気掛かりな点があるのでここに書き記す。

1)横書きと縦書き
ビジネス文書は横書き、文学作品やお役所の法令などは縦書き、新聞・雑誌は縦書き・横書き混淆である。世界共通のe-mailには、縦書きはありえない。このような現状のもと、将来の日本語の書式はどの様に進化するのだろうかと気掛かりである。

「枕の草子」や「源氏物語」に見る縦書き毛筆は、世界に誇れる文学作品であると同時に、繊細な芸術品である。縦書きは古くから日本文化の基本的な書式であるが、数式や横文字交じり(カタカナの横文字ではない)の文章では使いづらい。

将来、すべてが横書きになるときは日本人が「日本のこころと精神」を忘れ去るのではないかと気掛かりである。

2)日本人の文章力
国語の専門家ではないので、他人の文章を評価することはしない。しかし、多くの文章に接していると、われわれ日本人が書く文章の傾向が見えてくる。システムの開発チームが作成する仕様書など、さまざまな書類から気掛かりな点を独断と偏見で帰納的に要約すると、次のことが言える。
◇用語の標準化に慣れていない・・・組織的な文章化作業に弱い
◇長文が多い・・・句読法(項分け、括弧、:、;、.など)など、横書きの文法に弱い
◇言語明瞭・意味不明が多い・・・論理構造が曖昧、政治には好都合だがビジネスでは不可

この様な傾向から、頭の中で考えたことを効率よく表現する技術、言い換えれば文章力の強化が必要と考えている。特に、将来は自動翻訳に耐える文章力も必要である。この点で、日本の国語教育と大学教育には、改善すべき点が多い。

日本では終身雇用制が長く、職場には必ず生き字引のような社員がいた。あの時代では、分からないことはベテランに聞けば良い、文章化より「あうんの呼吸」で日常業務が回る時代だった。終身雇用制では、社員の文章力や業務の文書化はあまり重視されなかった。しかし、時代は大きく変わった。

なお、参考だが、30年以上も昔から国連職員の業績評価には、使用言語(国連公用語)での文章力と口頭表現力が含まれていた。当時の日本企業にはこの評価項目はなかった。

次回のテーマ、英語は「ことば(2)」フランス語とスペイン語は「ことば(3)」ラテン語とタイ語は「ことば(4)」世界共通語は「ことば(5)」に続く。

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