2.英語
1)大学の英語教育
商船大学は4年半制で船乗りを養成する。船乗りに語学は必須、英文学と英会話はそれぞれ4年間、英会話は試験好きなスイス人の先生だった。気象学の教科書は、なぜか英語だった。
航海士としてほのるる丸(商船)に乗組むと、航海日誌(Logbook)や操船号令は英語だった。
ちなみに、航海日誌は公文書で、国内外の事故などでは重要な証拠物件になる。したがって、航海日誌の訂正や書直しは禁止されている。
船内は英語の世界、食事もナイフとフォークだった。テーブルクロスは純白の厚い木綿地、これには理由がある。食事中に船が揺れ始めると、サロンに待機中のスチュワードはすかさず水差しでテーブルクロスに水を注ぐ。湿った厚手のテーブルクロスの上の食器は滑ることなく、平然と食事ができる。これは大航海時代からの習慣と聞いた。安定性の悪い茶碗やお椀ではこうはいくまい。
大学で耳にした唯一の日本語の専門語、「前進微微速」(ゼンシンビビソク=Dead Slow Ahead)は旧日本海軍の用語である。ただし、これは死語、明治から戦時中も日本の商船の航海日誌は英語だったと思う。
2)アメリカの国語教育(英語)
これは、1960年中ごろの話である。アメリカの大学に入学した外国人は、4年制や大学院生に関わりなく、English for International Student(国際学生への英語)が必須になる。実習では毎回作文のテーマを選び、書きたい内容をコンピュータプログラムのようにフローチャートに展開する。その論理の流れ(フローチャート)に先生の添削を受け、OKならば文章にする。日本の国語では習わなかった句読法(項分け、括弧や;や:などの用法)も詳しく教わった。
文章は、32語(Word)以下の短文、かつ、Straightforward(単刀直入な)文章を書くことを指導された。当然、Ambiguous(両義に取れる)文章も「ダメ」だった。
3)専門科目のTerm Paper
工学部の大学院で学んだが、殆どの専門科目では、Term Paper(20ページ程度の小論文)を学期末に提出しなければならなかった。
小論文の評価は、文章の構造(Mechanics)と内容(Content)を合せて100点、90点以上はA、89-80点はB、79点以下はCになる。
文章の構造では、文法、スペリング、文章の形式とスタイル、各10点で合計40点。たとえば、ある科目でやや大風呂敷を広げた内容の論文、「ネットワークの制御論」を提出した。その論文の文章スタイルの評価は、A little high flown for the purpose, but good. 9点(-1点)(やや飛躍しているが、良かろう)と先生のコメントが返ってきた。
内容の評価は、選択したテーマの妥当性とテーマへの理解度、分析の独創性、完成度と深さに分かれ、合計60点だった。
Term Paperでも、Short SentenceとStraightforwardな作文を頭に叩き込まれた。工学部では、独創的な論理の展開力と文章力の養成に力を入れていた。
4)宿題(Home Work)
科目にもよるが、毎週の宿題と3~5冊の専門書の読書を求められる。
言葉の不自由な日本人は、図書館に入り浸りになる。実際には、英和辞典を引く手間は省き、次々とページを読み進まなければ時間が足りない。どうしても分からない単語は、図書館のあちこちに備えてある英英辞典を後で引く、この方が効率的だった。結果として、英語の意味は分かるが、日本語は分からない単語が増えていった。
この点では、船乗りの専門語も同じだった。英語の航海用語は分かるが、その日本語は知らない。また、実務では日本語を使わないので知る必要もない。
将来、日本ビジネスも同様に、英語のビジネス用語しか知らない若者が増えると思う。その時、日本の横書き文章は、カタカナ英語交じりから英文交じりの横書きになる。
次回のフランス語とスペイン語は「ことば(3)」に続く。
当然、その間にいろいろな言葉に接してきた。今回は、地球の思い出から話題を変えて、今までに出会った外国語に話を進める。
ここでは、母国語の日本語を含めて、英語、フランス語、スペイン語、ラテン語、タイ語および世界共通語(数式、楽譜、コンピュータ言語など)について、その言語との関わりや印象を思いつくままに書き記す。
1.日本語
生れてから70年以上も使っている母国語である。幸い、長年の国語教育のお陰で日本語には不自由は感じない。しかし、日本語の将来について、気掛かりな点があるのでここに書き記す。
1)横書きと縦書き
ビジネス文書は横書き、文学作品やお役所の法令などは縦書き、新聞・雑誌は縦書き・横書き混淆である。世界共通のe-mailには、縦書きはありえない。このような現状のもと、将来の日本語の書式はどの様に進化するのだろうかと気掛かりである。
「枕の草子」や「源氏物語」に見る縦書き毛筆は、世界に誇れる文学作品であると同時に、繊細な芸術品である。縦書きは古くから日本文化の基本的な書式であるが、数式や横文字交じり(カタカナの横文字ではない)の文章では使いづらい。
将来、すべてが横書きになるときは日本人が「日本のこころと精神」を忘れ去るのではないかと気掛かりである。
2)日本人の文章力
国語の専門家ではないので、他人の文章を評価することはしない。しかし、多くの文章に接していると、われわれ日本人が書く文章の傾向が見えてくる。システムの開発チームが作成する仕様書など、さまざまな書類から気掛かりな点を独断と偏見で帰納的に要約すると、次のことが言える。
◇用語の標準化に慣れていない・・・組織的な文章化作業に弱い
◇長文が多い・・・句読法(項分け、括弧、:、;、.など)など、横書きの文法に弱い
◇言語明瞭・意味不明が多い・・・論理構造が曖昧、政治には好都合だがビジネスでは不可
この様な傾向から、頭の中で考えたことを効率よく表現する技術、言い換えれば文章力の強化が必要と考えている。特に、将来は自動翻訳に耐える文章力も必要である。この点で、日本の国語教育と大学教育には、改善すべき点が多い。
日本では終身雇用制が長く、職場には必ず生き字引のような社員がいた。あの時代では、分からないことはベテランに聞けば良い、文章化より「あうんの呼吸」で日常業務が回る時代だった。終身雇用制では、社員の文章力や業務の文書化はあまり重視されなかった。しかし、時代は大きく変わった。
なお、参考だが、30年以上も昔から国連職員の業績評価には、使用言語(国連公用語)での文章力と口頭表現力が含まれていた。当時の日本企業にはこの評価項目はなかった。
次回のテーマ、英語は「ことば(2)」フランス語とスペイン語は「ことば(3)」ラテン語とタイ語は「ことば(4)」世界共通語は「ことば(5)」に続く。