コンパクト・シティーの姿(4)---から続く。
1.明日への備え
何が起こるか分からない世の中とは云うものの、日本の人口構成は確実に高齢化と少子化に向かっている。日本を含むアジア全体の人口は現在41億人だが、2050年の51億人をピークに減少が始まる。2050年以降も人口が増えるのはアフリカだけである。【参考:日本の将来---1.世界の人口(2013-07-10) 】
この問題を考えるとき、現在を生きるわれわれがこの世を去る前になすべきことがある。当然、そのなすべきことは自分たちのためでなく、われわれの子供や孫のためである。それは彼らへの“希望”である。
将来に”希望”を望むとき、筆者は決まって3つの光景を思い出す。それは、ゴミがないシンガポールの街並み、ウィーンの家庭で見た食品備蓄棚、それに「ほのるる丸」の出港準備である。その3つは次のような光景だった。
1)シンガポール:公衆ルールと罰則
筆者が初めてシンガポールを訪れたのは50年以上も昔、そこは欧米のように清潔な街だった。反面、街なかでゴミやタバコの吸い殻、チューインガムのポイ捨ては日本円で2~3千円の罰金(Fine)だったと記憶する。英語のFineは、“晴れ/素晴らしい”の他に“罰金”を意味することを初めて知った。
あれから現在まで、シンガポールの人びとは街の美観と罰則が両立させる生活を守っている。一方、当時の日本では吸い殻のポイ捨ては当たり前だったが、「個人の自由」より「清潔な都市環境」を選択したシンガポールを立派だ(Fine)と思っている。
また、あの時は石油会社の研修でシャングリラに滞在していたが、強烈なにおいを発するドリアンも、屋内持込みは「ノー」だった。仕方なく、われわれ外国人グループはホテルの屋外プール横で初めてのドリアンを試食した。日本なら、個人の自由などといって文句がでそうだが、それをはねのけるホテルも立派だと思った。あれから半世紀も経った今、罰金はシンガポール名物、世界の人びとにも受け入れられている。
参考だが、Fineという言葉は、シンガポールだけではない。バンコクの旧空港(ドンムアン)の通路などでもよく目にする言葉だった。また、新型コロナウイルス騒ぎの現在、ハノイでも罰金が多い。街なかのマスクなし、3人連れ以上やSocial Distancing(約2m)違反も罰金、濃厚接触者の調査と隔離も厳格である(ハノイ在住の娘談)。状況にもよるが、要請より罰金で一本筋が通る。
2)ウィーン:食品備蓄と家族の安全
70年代初頭、筆者はウィーンに住んでいた。すぐ近くの市電停留所前に大家さんの家があったのでときどきお邪魔した。
今でも忘れなのは台所脇の収納ロッカー、高さ約2m幅1m余の棚には食品がビッシリと詰まっていた。大小の缶詰、瓶詰、飲料、チーズ、ソーセージなどの保存食、瓶詰は自家製だった。大家(女性)さんとOLの娘さんの二人暮らしにしては、備蓄食品の量は多かった。
その背景には、ヨーロッパという歴史と土地柄があった。歴史的には市街戦も経験、非常事態を耐え忍ぶにはつね日ごろの食品や日用品の備蓄が必要だった。
旬の果物や木の実を加工して瓶詰にするのはヨーロッパやロシアでよく見る光景である。たとえば、自家製の苺ジャムにはその家庭独特の味がある。日本家庭の自家製梅干しや漬物、アメリカの感謝祭に欠かせないクランベリー・ソース、それらにも各家庭が誇る味がある。
その味には、「一家団欒の記憶と喜び」「家族の安全への願い」がある。知事や首相のTV放送をみてにわかにスーパーで買い集める缶詰や瓶詰とはわけが違う。
戦乱の経験豊かなヨーロッパ人の緊急事態への認識は島国の日本人とは大きく違っている。1973年のオイル・ショックでは、“(日本で)石鹸がない”、“コメがない”と独り騒いだのはウィーンの日本人たちだけ、非常に奇異で印象的だった。筆者もウィーンで化粧石鹸を買って日本に郵送した。
3)外航船:自分の身は自分で守ると自助
筆者が3等航海士として乗船した「ほのるる丸」は欧州航路の貨物船だった。往航は、室蘭-横浜-清水-名古屋-神戸-香港-シンガポール-紅海諸港-スエズ運河-地中海諸港-欧州諸港、復航はハンブルグから同じ航路で神戸に帰港した---1航海4ケ月の航程だった。
神戸出港に当たりまず、スエズ運河経由の日本-ヨーロッパ間の最新海図一式と喜望峰回り航路の海図一式を母港(神戸)で積み込んだ。喜望峰回りはスエズ有事への備えだった。航海ごとにスエズ経由も喜望峰回りも1式を最新版と交換した(航海中に、沈船や危険海域の位置を伝える水路通報を受信、その情報を海図にペン字で記入、海図下部に反映した水路通報No.を列記・・・喜望峰周りの海図にも同様に最新情報を反映)。
燃料、清水、食料、医薬品&医療器具、船内設備の補修部品や消耗品、日用雑貨を積み込み出港準備は完了、欧州に向け神戸を出港した。参考だが、50数人が乗り組む「ほのるる丸」は航海中、1日当り燃料+清水+食料合わせて11tonを消費した。
航海中の出来事、たとえば機器の故障や事故・海難には、まず自分たちで対処する。もし補修部品がなければ自作する。また、傷病の応急処置は資格保有者が担当する。もちろん、傷病の程度に応じて陸上の医療機関と無線電話で相談するが、幸いにも緊急止血処置など深刻な怪我には遭遇しなかった(筆者は大学在学中に運輸省資格を取得した。)
大型船は船舶法第2条(国旗掲揚義務)で日章旗を船尾に掲揚する。毎日、日出から日没までの国旗掲揚は天候に関わらないルーチン業務、他に大洋航海中は毎日正午ころに太陽の南中(ナンチュウ:太陽位置が真南=太陽高度最大)を観測して船内時計の正午を決める。キャプテンと一等航海士~三等航海士の4人の観測値を平均して正午の船位(置)と船内時間を決め、サロンに降りて昼食をとる。
そこは、日本国憲法、民法、刑法、船員法、船舶職員法、海商法、共同海損(ヨークアントワープルール、国際法)などの世界である。航行中の誕生、死亡、犯罪にも対処する(筆者は経験なかったが備えは常備)。たとえば「船長の職務権限」は船員法、商法第三編などで決められている。その指揮命令系統は、もし船長不在の場合は、一等航海士、次は二等航海士、三等航海士、機関長、一等機関士、、、の順で指揮を代行する。(遭難した救命艇内の指揮権も同じ)
航海中にはさまざまなことが起こるが、乗組員全員のチーム・ワークで問題に対処した。紛争海域では戦時国際法により縦横10mX15mほどの日章旗をデッキに広げて航海した。また、時にはアフリカなどで僚船(リョウセン)と出会うこともあった。その時は、メイン・マストに旗旒(キリュウ)信号*のU旗+W旗=安航を祈る(安全な航海を祈る)を掲げてすれ違った。【*注:国際信号旗の組み合わせで船と船、船と陸の信号所間との交信、戦時中では電波を発信しないので敵に傍受されない⇒手旗信号、発光信号も同じ。】
ともあれ海上の挨拶は商船、軍艦を問わず、また、平時、緊急時、戦時を問わず”安航を祈る”がキーワードである。それは、船の安全、乗組員の安全への祈り、突き詰めれば、どのような状況でも「人の安全」を第一に考える。海に投げ出された敵の乗組員も救助するのが海の掟である。そのとき“ちょっと待て”でなく、躊躇なく救う。
“どのような状況でも”を“日本の高齢社会や少子社会”に置き換えると、外航船の世界は、今なにをなすべきかの参考になる。
続く。