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箱根・鎌倉への小旅行

2018-05-25 | 地球の姿と思い出
今回は「想像の旅・・・世界の市場(5)」を7月に延期して、替わりに、箱根・鎌倉への小旅行を紹介する。

1966年には、6月の「ヒューストン再訪」、9月の「小諸城址再訪」、10月の脳梗塞&緊急入院、さらに67年1月のリハビリ病院退院といろいろな出来事が続いた。リハビリ病院を退院してすでに1年半、体調も徐々に回復、今月は友人に誘われて箱根・鎌倉への一泊旅行にでかけた。その友人は「小諸城址再訪」と同じ友人だが、退院から初めての一泊旅行、久しぶりに外界の変化を肌で感じる旅になった。

(1)箱根
5月のある日、JR熱海駅で友人にピックアップしてもらい、県道20号線を北上、芦ノ湖の箱根園に向かった。20年振りの芦ノ湖だが、湖面に映える昔とおりの鳥居に安堵した。

湖岸の道を湖尻方面に進むと、リュックを背負った欧米系の観光客とたびたびすれ違った。20年前の湖岸では見かけなかった光景にメディアが伝える訪日外国人の増加を納得した。

下の写真は、遊覧船の船着き場である。時は平日の午後3時半、乗船を待つ人の行列はスペイン語を話す人たちだった。改札の人に聞くと、外国人が約70人、日本人は筆者たちを含む7~8人だった。外国人客が圧倒的に多いのに驚いた。そこに、将来の日本の姿を思い浮かべた。

            箱根園の船着き場
            

乗船した遊覧船は「十国丸」337トン、定員700名、全長28.8m、安定性が高い双胴船だった。40分の遊覧コースは、箱根関所跡港と元箱根港を経て出発点の箱根園港に帰ってくる。

下の写真は箱根関所跡港で下船する外国人たち、彼らが下船した「十国丸」は空っぽになった。

            箱根関所跡港で下船する観光客
            

約40分の遊覧を終えて帰ってきた箱根園は人影がまばら、箱根の伝統工芸品・寄木細工の専門店に立ち寄り、湯本のホテルに一泊した。

(2)鎌倉
翌朝、江ノ電に乗るために湖西バイパスで藤沢に向かった。

江ノ電藤沢駅は始発駅、平日は2輌または4輌編成の電車が12分間隔で出発する。12分間隔は単線運転の制約らしい。

下の写真は、江ノ電の「すれ違い駅」に待機する10形車両である。レトロな10形車両は1997年製だが、この電車に限らず江ノ電の車両はどれもレトロに見える。

            江ノ電のレトロな車両(1997年製)
            

狭い車内には外国人乗客が多く、地元の高齢者が生活の足として利用するには問題がありそうに感じた。

下の写真は長谷の大仏である。相変わらず外国からの観光客が多い。境内を行き交う人の半数、あるいはそれ以上は外国人のように見えた。

            高徳院の国宝大仏(台座込み総高=13.4m121t)
            

今回はリハビリ退院から初めての小旅行、いろいろな発見があった。その一つは、体力が弱ったことだった。

退院から1年半は、自宅から半径300m圏内のショッピング・センターや駅を行動範囲として、リハビリがてらの散歩で徐々に体力を積み上げた。さらに、就寝前には忘れず約15分の体操を続けた。しかし、今回の小旅行では階段や坂道に弱く、体力はまだまだ不十分だと思い知った。

航海用語にSea Worthiness(シー ウォージィーネス:耐航性=現実の海で航海に耐える能力)という言葉がある。シー ウォージィーネスが不十分は、「畳の上の水練」のように「実用に耐えない」ということを意味する。筆者のリハビリも人生100歳時代ではシーウォージィーネスが不十分と悟った。

来年(2019年)初夏に関西旅行を計画するが、その夢を実現させるためにはまだまだ地道なリハビリが必要だと思った。「過ぎ去った世界への生還」を楽しみにしている。
 
次回(6月)は「想像の旅---世界の市場(5)」、次々回(7月)は「途切れない糸---孫のiD Tech継続」に続く。

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