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ハノイ旅行(10)---ハノイの食堂

2015-12-25 | 地球の姿と思い出
ハノイ旅行(9)から続く。

(5)ハノイの食堂・・・旧市街
ハノイは亜熱帯性気候で四季があるが、歩道にプラスチックの椅子を並べて食事する人をよく見かける。店内が満席になると、プラスチック製の簡単な椅子とテーブルで歩道に客席を設ける。いわば伸縮自在な食堂であるが、中には“知る人ぞ知る”有名店もある。

下の写真は旧市街の“知る人ぞ知る”店である。メインのメニューは生春巻きである。

            旧市街の公道にはみ出た食堂
            

上の店では、はじめは空席が目立ったが、次第に満席になり、勘定を済ませて店外に出ると道が客席になっていた。木曜日の夜だったが、店内のお客より路上のお客のほうが多いように見えた。それは、我がもの顔で公道を占拠するカフェテラスのような食堂、ハノイは臨機応変に変身する街だと思った。

ハノイの食べ物はベトナム料理のほかに、中華系、フランス系、インド系、シンガポール系など、多彩である。また、韓国系や日系の食堂/レストランはショッピング・センターのフード・コートに多い。

観光案内書によるとハノイ駅の南側に日本料理店が多いというが、わざわざ日本料理を食べる必要もないので訪ねていない。それでもさそわれて2軒ほど日本人が経営するレストランで食事をしたが、刺身などの典型的な日本料理ではなく、洋風だった。

筆者たちがよく行くシンガポール料理店は、日本のビジネスマンもよく知る店である。料理の種類が多く、味も良く価格も妥当である。エビや肉料理がおいしく、今では筆者お気に入りのレストランである。


(6)ハノイの日本食材
食事には特別の関心がない筆者だが、海外は日本食ブームといわれる昨今、ハノイの状況を知るために日本食材店を覗いてみた。

下の写真は、ショッピング・センターにある日本食材店である。市内の大型スーパー(Big C)には東南アジア製の日本食材や食品を売っているが、この店の商品はほとんどが日本からの輸入品である。

            日本食材店
            

下の写真は、世界のどこでもお馴染みのキッコーマンである。写真左から、テンプラ&つけ麺用濃縮めんつゆ(250ml)98,000ドン(\524)、キッコーマン醤油(250ml)77,000ドン(\412)、寿司&刺身用醤油(150ml)70,000ドン(\374)である。これらはシンガポールのキッコーマン製品とみられるが、輸入税でかなり高くなっている。

            日本食材店のキッコーマン
            

上の写真にある寿司&刺身用醤油は、本当に使う人がいるのだろうかと疑問に思った。大型スーパーで売っている生魚は、昨年に比べて少しは良くなったが、相変わらずとても生で食べられるものではなかった。

下の写真は、キッコーマンに次ぐ日本食材の定番、乾麺(ウドン、ソーメン、ソバ、ヒヤムギ)である。

            日本食材店の麺類
            

海外の日本食材の定番は、キッコーマン、味の素、麺類、和だし、みそ、さば味噌煮缶詰など、保存し易い食材である。

他方、このブログでも紹介したバンコクの日系スーパー(フジスーパー)(2015-04-25)では、乾麺は店の片隅に置いてある程度だった。そのスーパーでは、日本食材店の定番はもとより、日本産野菜・果物、たくあん、スナック菓子、台所用品、日本メーカーの衣類も売っていた。

そのスーパーの売れ筋商品を聞いた訳ではないが、日本の野菜、豆腐・納豆、乳製品、スナック菓子などが売れているようだった。筆者が見る限りでは、フジスーパーのお客は、大多数が日本人主婦層で、駐車場にはタイ人運転手が待機していた。

下の写真は、ハノイのショッピング・センターで見た日本食堂である。

            日本食堂(Japanese Food)
            

下の写真は、ランチ・セットのメニューである。

            日本食堂のランチ・セット
            

上のランチ・セットの価格帯は13万ドン(\696)程度、かなり安い。

時間帯と人の出入りを見ないと分からないが、上のランチ・セットを毎日食べることはなく、たまには日本食も良いという程度ではないだろうか?日本国内で「海外は日本食ブーム」というが、ハノイでは筆者の目に「日本食ブーム」は見えなかった。

一方、ハノイの日本企業の家庭はどのように日本食材を手に入れるかについて実例で説明する。

2年ほど前にハノイに移り住んだ筆者の娘一家(親子3人)の場合、手荷物で日本食材をハノイに持ち帰っている。量的に少ないので、税関で手荷物検査を受けたことはない。

ちなみに、国際線の無料手荷物(チェエク・インする手荷物)は航空会社で異なるが、現在の羽田-ハノイのANA便では、次のとおりである。
◇ビジネス・クラス:32kgX2個/人=64kg/人
◇エコノミー・クラス:23kgX2個/人=46kg/人

上の例で計算すると、エコノミーで親子3人がハノイに帰る場合、46kgX3人=138kgになる。約130kgの食料や書籍はかなりの量であるが、実際には30~40kgの食料品で十分である。また、自宅から搭乗便指定の宅配便を利用すれば、ハノイの空港で荷物を受け取ることができる。

さらにハノイの場合は、近くのバンコクで日本食材を入手することもできる。バンコクは日本食材が豊富、ベトナム在住の日本人がバンコクに日本食材を買出しに行く話しはよく耳にする。

現在、ハノイの日本食材の価格を日本国内と比較すると、おおざっぱいえば、日本の2~3倍といえる。しかし、ベトナムはTPP加盟国、将来はハノイの日本食材が多様化し、価格も安くなることを期待する。

次回は、農林水産省の「日本食・食文化の海外普及戦略」に目を通す。

ここでハノイの旅行記は一旦終了、「日本の将来---5.展望(21):日本の食品・サービス」に続く。

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ハノイ旅行(9)---タムコック&ホアルー

2015-12-10 | 地球の姿と思い出
「ハノイ旅行(8)---ハノイの近況」から続く。

(3)タムコック
ハノイとホーチミンを結ぶ1号線をハノイから約80km南下するとニンビンのインターチェンジがある。観光案内書によると、ニンビンの南西約6kmに「陸のハロン湾」といわれるタムコックがある。ハロン湾はハノイのほぼ真東約180km、柱状石灰岩(タワー・カルスト)が林立する世界自然遺産(1994年)である。

タムコックからハロン湾にかけては、タワー・カルスト地形、約2億5000万年前に海底から隆起したといわれている。この地域の海岸部分は、11万年ほど前に沈下、ハロン湾の絶景が出現した。

旅行者のブログなどにはあまり良くない風評があるので、今回はハロン湾を避けて静かなタムコックを目指した。また、タムコックの近くには、千年ほど昔に栄えた古都ホアルーもあるので、帰りに立ち寄ることにした。

ニンビンまでの1号線は片道2車線、よく整備されていた。しかし、ニンビンのインターチェンジは工事中、その先の1号線は片道1車線の普通の田舎道だった。筆者たちのドライバーさんはベトナム人、しかし、インターチェンジから先は土地の人に聞きながら手さぐりでタムコックを目指した。

インターネットを「タムコック ニンビン」で検索するとGoogle地図がでてくる。しかし、その地図に「Tam Coc Boat Ride(タムコック・ボート乗り場)」とあるが、地図、航空写真、筆者の記憶、それぞれの情報の整合性がなく、上の写真の位置は確かではない。かなり有名な観光スポットだが、その正確な位置はなんとなくはっきりせずベトナムらしい。未知が多いベトナムはおもしろい。

下の写真はタムコックの舟溜りである。ここから往復約1時間半の遊覧の旅が始まる。ボートの定員は漕ぎ手を入れて4~5人、ライフジャケットはなしだった。

            タムコックの舟溜り
            

舟溜りから数百メートルは、水草が水面まで茂っていた。水の流れはほとんどないが、水草の浄化作用で水はかなり透明だった。しかし、小魚の姿は見えなかった。

下の写真は、上流に向かって舟溜りを漕ぎ出したところである。今日は月曜日の午前中、観光客が少なくのどかな遊覧になった。

            タムコックの風景1
            

下の写真は観光客の舟、日除け傘の舟はみやげ物屋や記念撮影のカメラマンである。途中で気づいたが、行き来するボートの漕ぎ手は、手でなく足の裏でオールを漕いでいた。その方法が楽らしい。

            タムコックの風景2
            

切り立った山に近づくと、下の写真のように岩肌に浸食跡が見える。流れが石灰岩を削ったのはなく、石灰岩が水に溶け出したように見える。

            タムコックの風景3
            

水で浸食された洞窟を抜けると、その先も同じような風景が続く。下の写真は、いくつ目かの洞窟を抜け出るところである。

            タムコックの風景4
            

さまざまなタワー・カルストを巡って舟溜りに帰ってきた。舟溜りの有料トイレは清潔、しかし料金箱はなく誰に払っていいのかが分からず、結局は支払わなかった。記念写真の売り込みはあったが、みやげ物売りの付きまといもなく、全体にのんびりとした雰囲気だった。

(4)ホアルーの古都跡
タムコックからの帰り道、タワー・カルストと田畑の道を北上、ホアルーに立ち寄った。ホアルーは、ディン王朝(968~980)と前レー王朝(980~1009)の都があった土地である。その都は40年ほど続いたが、前レー王朝の終りにタンロン(現ハノイ)に移された。そのような歴史から、ホアルーは千年前に栄えたベトナムの古都といわれている。

下の写真は、レー王を祀るレ・ダイ・ハン廟の入口の門である。コンクリートの表面はカビや風化で汚れていた。

            レ・ダイ・ハン廟の入口
            

この門の内側を一巡したが、ヨーロッパや日本の旧跡に比べると非常に質素だった。また、観光案内書には「古都ホアルー」とあるが、筆者にとってはコンクリート製の門や敷石は、古都という言葉になじまなかった。石灰岩の山々と田んぼは夢の跡、見るべきものは何もなかった。

歴史ある古都は別として、タムコックとレ・ダイ・ハンでニコン(ナイコン)やキャノンを手にした記念撮影屋さん(男女)が印象に残っている。彼らは日本製品の大切なお客さん、持ちつ持たれつの間柄なので記念写真を買ってみたら、できは良かった。この辺りで電動バイクの女性4、5人に音もなく後ろから追い越されたときはヒッヤとした。

ニンビン市付近でハノイとホーチミンを結ぶベトナム南北線の踏切を通過した。南北線は日本でいえば、東海道線である。下の写真は踏切、ときどき列車が通過するようである。踏切に遮断機はなく、列車が通るときに車輪付きフェンス(写真中央)を車道に移動するようである。

            ハノイ-ホーチミン線の踏切---ニンビン市付近
            

上のような光景から、この国の交通インフラが未発達であることが分かる。日本の常識では、南北線の次のステップは、時間をかけて電化と複線化である。しかし、この常識は今の世では必ずしも常識ではない。インターネットやケータイは、先進国と途上国の区別なく、2000年代初頭に世界同時(グローバル)に普及した。

詳しい仮説は省くが10年もすれば、この辺りでは自動運転の車が走り回り、ニーズさえあれば定時性に対応した大量輸送が実現しているかも知れない。独裁国は別にして、最新のテクノロジーの普及には国境はなく、そのスピードは意外に速い。また、この種の改革には、人間が中途半端に介在せず、知能ロボットに任せる方がうまくいくかも知れない。しかし、もし任せるときは、知能ロボットがもつ法的な知識(国内法/国際法/グローバル・スタンダード/言語)が問題になる。

「ハノイ旅行(10)---ハノイの食堂」に続く。

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