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ヒューストン再訪(4)---LRT(路面電車)

2016-08-25 | 地球の姿と思い出
ヒューストン再訪(3)から続く。

(5)ヒューストンのLRT(路面電車)
筆者が、LRT(Light Rail Transit:路面電車)の工事をダウンタウンで見たのは2003年秋だった。あれからすでに13年、驚いたことに、今ではヒューストン大学の北と南の境界道路を10分から15分間隔で路面電車が走っている。幻でないかと、足元の地面を蹴ってみた。

昔のRapid Transitと呼ばれたバス・サービスはMetro(メトロ)に生まれ変わり、メトロバス(MetroBus)とメトロレール(MetroRail:路面電車)を運営している。ここでは、メトロレール=路面電車=LRT、メトロバスはメトロレールと接続する路線バス、メトロバスはヒューストンに9,000以上のバス停を持っている。

下の図は、MetroRailのHPから引用したメトロレールのネットワークである。図のRed Line(赤=21km)、Purple Line(紫=11km)、Green Line(緑=5.3km、一部工事中)はすでに稼働している。また、図に「計画」とある青と茶の路線は住宅地区とショッピング・モール(ギャレリア)方面に伸びている。

   メトロレールのネットワーク(稼働中&計画)
   

下の写真は、ヒューストン大学南駅である。開通して日が浅くチケット(カード)の自動販売機がぽつんとプラット・フォームに立っていた。大学はサマー・ターム(夏期)中、乗り降りする人は見当たらない。

            UH South/University Oak駅の様子
                       

電車の料金はバスと同じ、1回1ドル25セント(学生、65歳以上、障害者などは60セント)、3時間以内であれば乗り継ぎ可能である。90年代の昔から1ドル25セント、いつまでも昔のままであって欲しい。60年代は確か1ドル、当時1ドル=360円で高いと思った。

バスと路面電車は同じ乗車カードで料金も同じだが、なぜか、バスではドライバーにあなたは無料といわれた。よく分からないが、以後どのバスでも当り前のように無賃乗車を続けた。ドライバーは身分証明の提示を求めないが、見た目でシニアと判断するらしい。このあたりは、おおらかというかいい加減というか、かなり大ざっぱである。

HPによれば、車両は全長30mの3連接車、たとえばH2型の定員=257人、座席数=56席である。座席が少ないのは車椅子や自転車の乗客への対応かも知れない。一般に、市バスやアムトラック(郊外電車)では自転車持ち込みはOKである。メトロバスにも車椅子2台分のスペースがあったと記憶する。

下の写真は車内の様子である。座席は見えないが、手前に自転車が見えた。平日午後の4時ころの電車、駅に乗客なし、車内に乗客3~4人だった。

            車内の様子
            

下の写真は、レッド・ラインのダウンタウン停留場である。駅と駅の間隔は視界に入る程度である。メイン通りの中央に複線のレールが敷かれ、歩道とレ-ルの間に1車線の車道が通っている。プラット・フォームの高さは15cmほどである。写真には、3連接1編成の電車が2つ連なって写っている。写真右手前は隣の駅のプラット・フォームである。土曜日の夕刻だったが、ダウンタウンの交通量や人出は少ない。ギャレリアの賑わいに反して、ここに問題がる。参考だが、レッド・ラインの利用客は、1日48,000人ほどとの報告がある。

            ダウンタウンの駅(メイン通り:Main St)
            

上の写真にあるメイン通りを見て、ふと京都の四条通りを思った。昨年の秋、四条通りは1車線減らして歩道を拡張した。メイン通りは1車線減らして代わりにレールを敷いた。どちらも、往復2車線の車道を、歩道または路面電車に譲ったが、この小さな変化は未来を示唆しているかも知れない。【参考:京都訪問---四条通りの変化(続き)2015-10-50、このとき、ヒューストン再訪は夢にも思わなかった。】

ちなみに、ヒューストンのダウンタウンは100mほどの間隔の直交格子型都市、メイン通りが4車線から2車線になっても大きな混乱はなかったようである。ただし、LRT導入当初は路面電車と車の接触事故が多発したそうである。

下の写真はメイン通りとウィーラ-通りの交差点にあるTC(乗換え場)である。以前は、バスターミナルだったが、路面電車の停留所とバス停が一緒になった。電車のプラット・フォームの反対側がバス乗り場になっているだけである。駅というより一種の広場、人々は自由にレールの上を横切っている。日本の駅に付きものの陸橋(Overpass)や地下道(Underpass)とエスカレーター、通路に並ぶ小さな飲食店などは見当たらない。

            メイン通りXウィーラ-通りのTC(Transit Center)
            

ヒューストンの路面電車は、昔の京都市電やヨーロッパの路面電車と同じ感覚の電車である。筆者にとっては、路面電車は歩行者、車、バスと同列で街の視界内を行き来するものに思える。「歩く」より「チョイ乗り」の方が便利、あるいは「動く歩道」や歩行者を歓迎する「レッド・カーペット」に近い存在である。不要になれば巻き取れば良い。日本の大掛かりな鉄道とは異なったイメージの乗り物である。線路内に人が立ち入るたびに全線ストップ・点検というシステムとは本質的に違っている。

下の写真は、ダウンタウンの交差点を横切る路面電車、ヒューストンも変わった。

            ダウンタウンの交差点
            

人口では全米第4位のヒューストンは代表的な車依存社会、1940年代から90年代にかけての60年間、高速道路の建設だけに目を向けてきたといわれている。しかし、時代の流れに応じてその針路を変更し始めた。

そこには根強い反対があったが、地下鉄や高架電車という妥協案でなく路面電車の導入に踏み切った。それは、車依存社会からの脱却であり、ロスやアトランタでも見られる全米的な流れである。1972年にアメリカ交通省がLRTを定義してからすでに半世紀近くが経過した。

ヒューストンの郊外、たとえばダウンタウンから4,5km離れたヒューストン大学周辺では道行く人はめったに見かけない。歩行者や自転車・バイクの日常生活でなく、今も変わりなく車依存の生活である。車がなければ非常に不便、日本や東南アジアのようにあちこちにコンビニや小さな飲食店は見当たらない。日本の過疎地のような風景である。

逆に、人口が減少する日本の将来は、今のヒューストンのようになるのではないかと思う。水道、電気、ガス、通信、橋梁の老化が進む日本、国土交通省の「国土のグランドデザイン2050」で間に合うのだろうかと気掛かりである。人口の減少と高齢化の同時進行は、頭数の減少の2乗に反比例して人の活動を委縮させるのではないかと。

レールを敷いて路面電車を走らせる。しかし、ダウンタウンは別として、そこに待っていましたとばかり乗客が殺到するわけではない。それは、出だしは質素だが、将来への布石である。今から10年、20年もたてば沿線に変化が芽生える。そこから発展する5、60年先の街の姿が楽しみである。

将来、LRTの沿線に戸建てや集合住宅との複合住宅が立ち並ぶのだろうか、商業や工業、文教といった都市機能だけでなく、どのような新しいルールと文化が花開くのか、未知数が多い。未知への関心は、自分が存在するしないの問題ではなく、5、60年先の地球の姿への好奇心である。未知への好奇心の先には夢がある。その夢を育てるのが今を生きることである。

次回は「ヒューストン再訪(5)---大学内の日本車とスシ店」に続く。・・・寿司食材のおもしろい英語名を紹介する。

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ヒューストン再訪(3)---iD Tech Camp:STEM教育

2016-08-10 | 地球の姿と思い出
ヒューストン再訪(2)から続く。

(4)iD Tech Camp(夏期教室)への参加
孫は、6月下旬にヒューストン大学でiD Techの「マインクラフト 3D ゲーム設計」(Minecraft 3D Game Design)に参加した。コースの対象は、10-12歳の男女、期間は1週間だった。朝8時から夕方6時まで、休み時間と昼食もグループで行動するというコースだった。

課題は1週間でマインクラフトの3次元ゲームを作成、最終日に親たちに作品を披露するというコースだった。この課題を達成するために、ゲームの構想設計、基本設計、コマンドの用法、色の制御など、15項目の技術を習得する。もちろん、生徒が思い浮かべるゲームは生徒ごとに異なるので、授業は個別指導だった。

最終日の午後3時から保護者参加の修了証&成績表の授与と作品の発表会という段取りだった。

下の写真は、作品の発表会で撮影した教室のイメージ(ピンボケ写真)である。子供たちは自分が作ったゲームを親たちに説明している。別のコースでは、床をロボットが走っている教室もあった。

            授業の成果発表会---子供の後ろは親たち(イメージ)
            

この教室に参加したのは、ヒューストンの地元の子供たちだった。孫は初日から皆と友達になり、英語力とコンピューター力には全く問題はなかった。今回のiD Techではただ一人の日本人、しかし周囲の人が気付かないほど違和感もなくアメリカの社会に溶け込む孫の姿に筆者と娘は共に安心した・・・ハノイの教育はアメリカの空港、街なか、大学でも、年齢相応(Age-appropriate)に通用した。

ここで忘れていけないことがある。アメリカで英語が通じるのは当たり前、本人が英語の世界で使いものになるかならないかは別問題である。これが、日本語と英語の世界に描く今後の夢と課題である。

教室で親しい友達もできて、孫はすっかりヒューストンが気に入った。「アメリカに来て良かった」と孫と娘、この言葉で筆者の任務は終了、肩の荷が軽くなった。このあと、娘と孫はヒューストン空港から娘の友人たちが待つNYへ、筆者にはダラス経由成田への気楽な旅が待っている。

ここで、iD Techについて、2~3の点を補足する。
1)iD Tech
iD Techは1999年にシリコン・バレーのガレージから始めた自営/従業員所有会社(family-operated, employee-owned company)である。

全米150以上の大学で、子供たちの年齢に応じた様々な夏期教室を開催している。6-18歳を対象に、1週間と2週間の共学コースや合宿コースを運営している。

ヒューストン大学のiD Techは今年で11年目、プログラミング、ゲーム設計、アプリ開発、ウェブ設計、動画、静止画などのコースがある。たとえば、プログラミング・コースではJava, C++, Pythonなどのプログラミングを教える。子供にはかなりきついコース(Tough Course)である。筆者は、iD-Techと聞くと、江戸時代の寺子屋の「読み書きソロバン」教室を連想する。世界各地の観光地で見る日本人の暗算の速さに江戸時代の「ソロバン」教育の名残を感じる。

2)STEM教育(ステム教育)
筆者の記憶では1990年代中ごろ、アメリカでSTEM教育(Science サイエンス、Technology テクノロジー、Engineering エンジニアリング、Math 数学の統合的な教育・・・STEMはこれらの単語の頭文字)の必要性が話題になった。STEM教育でSTEM能力(Skills)を身に付ける。平たく言うと、ハイテク社会では理工系の基礎知識がなければ就職も難しくなるという話だった。新聞の求人広告には「エクセルができる人は優遇します」などとあり、90年代にオフィス・オートメーション(OA)が加速した。

ヒューストン大学のiD Tech CampはSTEM教育の一環である。大学のハイテク設備の利用、コンピューターと関連技術の学習、メンバー同士の協調性、仲間との食事や相互理解などを通して、子供たちに新しい社会規範を習得させる。コンピューター画面の作業だけでなく、時には遊びも入る楽しい教室だった(孫の話)。なお、STEM教育は小さな子供から始めるのが効果的と言われている。

3)iD Techの運営方針
先生一人に生徒8人以下の授業、個別指導、問題解決型教育(Project-based Curriculum)、安全&リスク管理(Safety & Risk Management)が教室運営の基本方針である。教室のスタッフについては、犯罪歴(Criminal Background)、性犯罪歴(Sexual Offender Background)、身元照会(Multiple Reference)、身分証明(Identification)をチェック済みとのこと、いかにもアメリカらしい。
以上

次回は「ヒューストン再訪(4)---LRT(路面電車)」に続く。

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