船乗りの航跡

地球の姿と思い出
ことばとコンピュータ
もの造りの歴史と生産管理
日本の将来

京都の散策(2)

2013-10-25 | 地球の姿と思い出

前回の嵐山から続く。

昨日の嵐山に続き、大原の里を訪ねる。京都駅から京都バスの三千院・寂光院行きに乗った。約16kmの行程は、京都駅 → 三条京阪前 → 出町柳 → 八瀬駅前 → 花尻橋 → 大原、1時間余りである。このルートは、国道367号線(=若狭街道)であり、鯖街道の一つである。
【鯖街道:若狭・小浜の鯖などの魚介類を京都に運ぶために利用した複数の街道を総称して鯖街道という。鯖街道には、代表的な若狭街道の他に小浜街道、周山街道、九里半越え・西近江路、鞍馬街道などがある。若狭湾の鯖を京都の三大祭に欠かせない鯖寿司と結び付けて、いつしか鯖街道と呼ばれるようになった。ちなみに、若狭街道の開通や鯖寿司の考案は江戸時代といわれている。】

(2)三千院
出町柳から367号線を北上すると比叡山が右手に見えてくる。

             比叡山
             

上の写真は比叡山、写真の左斜面にはふもとの八瀬駅を起点とする叡山ケーブル(所要時間=9分)が中腹まで、その先にはロープウエイ(所要時間=3分)が山頂(848m)に続いている。真夏の山頂は、市街地に比べて気温が6~7℃低く、かなり涼しく感じる。

このまま、比叡山を右手に見て高野川沿いに進むと、道の両脇に山が迫ってくる。下の写真は、367号線の花尻橋近辺の風景である。この辺りは「日本昔話」に出てくるようなのどかな山里である。筆者にとって、下の写真は「日本の原風景」の一つである。

             大原への道
             

下の写真は、花折橋から三千院辺りまでの大原盆地の風景である。この地の桜と紅葉はともに美しい。山に囲まれた大原の里に来ると、なぜかしら都(ミヤコ)からの解放感、同時に、都への憧れを感じる。不思議な場所である。

             大原の里
             

十数年前に、秋の三千院にアメリカ人夫妻を案内したが、この坂道の風物は変わらない。あの時の帰り道、下の写真のような茶店で折詰めの食事をとった。味より、食べ物と器の色・形だけが記憶に残っている。

             三千院の茶店
             

今回は、紅葉シーズン前の静けさで、みやげ物店が並ぶ坂道には人影もちらほらだった。ここで、偶然にことばを交わした一家は、台北の人だった。60歳がらみの父親は水彩画家とか、奥さんと30歳代の息子さんの三人連れで、奥さんの英語が非常にきれいなので、思わず"Are you a professor?"(先生ですか?)と聞いてしまった。(結果は違った。)

下の写真は御殿門、この門の前で親子3連れの記念写真を撮影した。

             御殿門
             

親子のカメラはそれぞれニコンの高級機種、画家のカメラはさすがに本格的で、ズシリと重く操作も難しかった。別れ際に、この三千院から素晴らしい水彩画が生まれることを願うと伝えた。

下の写真は、客殿に面した聚碧園である。参拝者たちは、この客殿でしばしの休憩、庭園を観賞していた。

             客殿まえの聚碧園
             

下の写真は宸殿まえの有清園と往生極楽院である。このお堂には、極楽浄土を表すありがたい天井画が描かれているという。

             有清園と往生極楽院
             

杉木立と苔に覆われた庭園、秋には往生極楽院を取り囲む紅葉が美しい。

(3)寂光院
三千院から寂光院までは、直線距離で約1.2km、散歩にはほどよい距離である。しかし、柴漬けなどのみやげ物店を覗きながら山道を辿ると4、50分の行程になる。

下の写真は、出町柳で鴨川に合流する高野川である。

             高野川
             

高野川に架かる小さな橋を渡ると、右手に杉山が迫り、左手には農家や畑が広がる。柴漬けの材料を作る畑かも知れない。

             大原の農家
             

山際の道を進むと寂光院の入口に行き当たる。寂光院は、聖徳太子により594年(推古2年)に建立された小さな古刹である。下の写真のように、山門への石段は狭く急で、一気には登れない。

             寂光院の入口
             

裏山を背にした本堂は、下の写真のように慎ましいが、明るい陽光に包まれていた。まるで、小さな本堂が日向ぼっこをしているように見えた。健礼門院の隠棲にはもってこいの場所だと思った。

             寂光院の本堂
             

寂光院のような山奥で、ニュージーランドからの観光客たちに出会った。年配の婦人は日本文化と日本語を勉強中とか。帰り道の焼き物(陶器)店で抹茶のサービスを受けていた。

バス停に帰る道、先ほどの農家の辺りで、下の写真にある「朧(オボロ)の清水 平家物語(健礼門院)縁(ユカリ)の泉」を見つけた。立て札の右下奥の石に囲まれた直径50cmほどの泉だった。泉とはいうものの、ただの水溜りに見えた。

             朧(オボロ)の清水
             

京都新聞社の「道ばた史料館、左京区」によると、健礼門院が「おぼろ月夜の時、水面を通して映るやつれた姿を見て、身の上を嘆いた」といわれる泉である。月に照らされた我が身を水面に見ることはムリだと思うが、誰かが健礼門院の思いをこの泉に託して、後の世の人々に伝えようとしたと思われる。

ここで、2回にわたった「京都の散策」を終える。次回は、本筋の「日本の将来---3.日本の人口」に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都の散策(1)

2013-10-10 | 地球の姿と思い出

先月、9月末から今月初旬にかけて京都を訪れたので、今回と次回は嵐山と大原を紹介する。京都の写真紹介の後に、本筋の「日本の将来---3.日本の人口」を継続する。

(1)嵐山
9月15日~16日の台風18号で桂川の氾濫をテレビで知った。濁流に洗われる渡月橋の映像にハラハラした。あの映像で、60年も昔の中学や高校の頃を思い出した。

桂川や宇治川が氾濫するたびに、学校総出で被災地に駆け付けた。瓦礫や土砂を片付け、粘土のようにきめ細かな泥を家具や床から洗い流した。ふだんは静かな川も、ひとたび荒れ始めると手が付けられなくなる。自由奔放な川は、当時のマリリン・モンローが歌うとおりである:
Sometimes it's peaceful and sometimes wild and free. (River of No Return)

ともあれ、まずは、四条大宮から嵐電で渡月橋を訪れた。

            懐かしい嵐電
            

四条大宮の嵐電は、春秋の行楽シーズンに利用するチンチン電車とのイメージがある。今回も、上の写真のように女性の駅員さんと懐かしい電車がプラットフォームに待機していた。

大宮から嵐山終点までは7.2km、所要時間は二十数分である。駅を出て左手のみやげ物店の通りを進むと、渡月橋が見えてくる。

            渡月橋の商店街
            

上の商店街は、9月15日から16日には膝上まで浸水したそうだが、今は何ごともなかったように人々が行き交っていた。

下の写真は、激流に耐えた渡月橋である。橋げたに引っかかった流木は取り払われ、いつもの姿に戻っていた。この橋の路面まで増水したのだから、自然の力は恐ろしい。

            渡月橋
            

この辺りでは、渡月橋から下流を桂川と呼ぶ。橋の上流(写真右側)数百メートルに洗堰があり、洗堰の上流側は下の写真のように保津川下りの船着き場になっている。

渡月橋から船着き場までの川を大堰川(オオイガワ)と呼び、さらに、大堰川の上流を保津川という。保津川は保津峡を流れるので、保津川下りを保津峡下りともいう。ただし、この川の名前が桂川だけの地図もあり、保津川、大堰川、桂川の関係はややこしい。

            保津川下りの船着き場
            

保津川下りは、明日(10月1日)から再開とのことで、船着場の修復も終わっていた。

時間があったので、船着場から嵐山公園 → トロッコ駅 → 嵐電嵐山駅までの2kmほどの散策を始めた。嵐山公園の中腹に、ひっそりとした3人の天皇火葬塚がある。その3天皇は、後嵯峨天皇(1220-1272)、亀山天皇(1249-1305)、後伏見天皇(1249-1336)である。下の写真は火葬塚である。ちなみに、天皇の火葬は持統天皇(645-702)が初めてだったとされている。

            天皇火葬塚
            

下は火葬塚の立て札である。

            塚の立て札
            

立て札の注意書きには、1.みだりに域内に立ち入らぬこと 1.魚鳥等を取らぬこと 1.竹木等を切らぬこと とある。塚の左手には「立入禁止 宮内庁(たちいりきんし くないてう)」と七五調の看板がある。

静かな公園はよく整備されており、下の写真のような立派なトイレがところどころにある。

            清潔な公衆トイレ(右は内部)
            

公衆トイレに関しては、大原のトイレも清潔だった。三千院からバス停までは500mほど、それでも、「ここからバス停までトイレがありません」との注意書きがあった。これは高齢者への配慮である。

この辺りは、外国の観光客も多く、レンタルの自転車を利用する人も見かける。筆者も歩くうちにポルトガルの若い夫婦(自転車)、イスラエルの青年(自転車)、レンタル和服の台湾女性の三人組などとことばを交わした。

山道で出会い、ペットボトルの水でちょっと一休み、それぞれお国自慢に花が咲く。ポルトガルに来るならリスボン(Lisbon)もいいが、ワインで知られるポルト(Porto)をぜひ訪れて欲しいと若夫婦。ポルトは世界遺産の美しい港町、赤い屋根のベージュ色の建物、紺碧の大西洋が目に浮かぶ。

その会話に、世界旅行中のイスラエル青年が缶コーヒーを手に参加してきた。彼が言うには、世界のうちで日本ほど公衆トイレが清潔な国はないと。

イスラエルの青年が指摘するように、清潔なトイレは、電気、水道、下水、メンテナンス、公衆道徳があってはじめて成立する。この点で、日本はトップクラスの先進国であると彼に褒められた。特に、公衆道徳は一人ひとりの意識の問題、一朝一夕では得難い社会のルール、それがいきわたっている日本は立派な国だとの意見だった。【参考:世界の3人に1人は「トイレが使えない」・・・ユニセフ】

嵐山から小倉山あたりは嵯峨野とよばれ、竹林も観光名所になっている。しかし、竹林は嵯峨野だけでない。もともと京都地方には竹藪が多く、竹の子の産地としても知られている。

            生活道路わきの竹林
            

竹林を抜けると、渡月橋に通じる大通り出る。この通りに京都五山第一位の天龍寺がある。昔は、遠足のコースに入っていた。

            天龍寺の山門
            

この寺は、嵯峨天皇皇后、後嵯峨天皇、亀山天皇、後醍醐天皇とゆかりがある。北隣りには後嵯峨・亀山天皇陵、西側には先ほどの火葬塚がある。

大きな方丈の前に、近くの嵐山(382m)を借景にした曹源池がある。

            大方丈と曹源池
            

下の写真は、大方丈から曹源池を見た構図、左奥は嵐山である。この構図は、「庭園参拝券 500円」の絵柄と同じである。

            「庭園参拝券」と同じ構図の曹源池
            

賑やかなアメリカ女性のグループに写真を頼まれたので、「庭園参拝券」と同じ構図で撮影した。「参拝券」と写真を説明したら、いい記念だと皆さんに喜ばれた。竹林で出会った台湾女性たちとここでも再会、同じ構図の写真を頼まれた。

次回は、大原の三千院と寂光院を紹介する。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする