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ヒューストン再訪(1)---ヒューストン・ギャレリアで孫の誕生祝い

2016-07-10 | 地球の姿と思い出
「途切れない糸」から続く。

1.ヒューストン再訪
(1)ヒューストン大学
ヒューストン大学を最後に訪れたのは、2003年秋、すでに13年も昔のことである。

あの時は65歳の聴講生、バンコクの仕事を中断しての2ヶ月の聴講だった。さらにその前は、66年に船乗りを辞めての留学、ちょうど50年も昔の話である。ここは、卒業後に妻や娘とともに数回訪れた思い出の大学である。

50年前の筆者は28歳の若者?だったが、時の流れに偶然が連鎖して今回は娘と孫の3人で訪問することになった。それは「途切れない糸」そのもの、どうしても実現すべき夢の一つだった。

その夢は、孫の英語力とコンピューター力を確かめること、もう一つは筆者が思い浮かべるコンパクト・シティーとLRT(Light Rail Transit:路面電車)との関係を観察すること、以上の2つだった。この2つは、他人からのあやふやな伝聞でなく、自分自身の目で確かめるべきことである。それが生きていることの証しであり、夢の実現である。

ここで参考として、ヒューストン大学の概要を紹介する。
敷地:667エーカー(約270万m2)・・・約1.6kmX1.7km(参考:外苑を含む皇居面積=230万㎡)
◇学生数:40,000+・・・(1966年=約16,000、2003年=約33,000)
◇学部(Colleges):13
◇専攻&副専攻(Majors+Minors):120
◇大学院&専門教科(Graduate+Professional Programs):200
◇学生職員比(Student Faculty Ratio):22.1・・・1988年=13・・・大学の巨大化で悪化
◇Cutting-edge Research Center(先端技術研究所):24
◇Nations Represented(関係国数):137・・・留学生出身国や共同研究国
◇大学間スポーツチーム:17・・・クーガ(山岳豹:Cougar)がマスコット、67年から学内で飼育
◇活動中の学生組織:470

大学の本館、図書館、学生会館(Student Center)を見渡す風景は50年前と変わらないが、今はキャンパス内をバスが循環している。白いボンネット型は外回り、消防車のような赤いバスは内回りである。今はSummer Term(夏期)、学内は静かで循環バスに乗る人もなく無用に見えるが、決められたルートを決められた時間に走っている。自動運転システムができれば、真っ先に導入すべきと思った。ボンネット型バスにアメリカの田舎を感じた。ちなみに、筆者はテキサスの田舎も好きである。

            学内循環バス(内回り)と本館(右奥)
            

2003年には学内循環バスはマイクロバスだったが、今は大型バスになっている。学生数の増加でバスも大型化した。上の写真右奥の本館は1927年の石造りのまゝである。

さらに、にわかに信じがたいが大学の南境界線にLRTの駅ができていた。なお、LRTはヒューストンではメトロと呼ばれる路面電車である。

下の写真は、かつては大学とダウンタウンを結ぶ路線バスの停留場だった。しかし、今は学内循環バスのバス停に変化した。2003年の聴講では、足がない筆者はこのバスであちこちに出かけた。当時、20年にも及ぶ根強い反対を押し切って、ダウンタウンにLRTのレールを敷いていた。

            ダウンタウンへのバス停変じて循環バス停に
            

下の写真は、LRTのヒューストン大学南口駅である。背景の建物はムーディー・タワー(Libbie Shearn Moody Towers:学生寮)である。Moody Towersは学生寮のほんの一部、写真には見えないが、教会と学生居住区の敷地は大きく、充実している。筆者は、Moody Towersの住人は主にUndergraduate留学生と理解していた。(現在は不明)

            LRTのUH(University of Houston)南駅
            

LRTの料金はバスと同じ、昔ながらの1ドル25セントで3時間以内であれば乗り継ぎ可能、65歳以上は無料である(市内バスも同じ、筆者は証明なしでも無料だった・・・顔を見れば判る)。

下の写真は、大学の南側を走るLRTである。朝夕の間隔は10分、その他は15分、乗客は少ない。車内には自転車を置くスペースもある。(郊外電車への自転車持ち込みは一般的、ヒューストン市内のバスも車体前面に自転車を搭載できる)

下の写真の背景はクーガ村(Cougar Village:汎用イベント会館)である。孫たちのiD Techの教室やロボット教室、アメフト研修、芸術関係など、学外の一般人参加の教室もこの建物にある。目的は不明だったが、先生が付添う幼稚園児ほどの子供の行列もクーガ村近くで見た。昔から大学と市民の垣根は低かった。

            大学横を走るLRT(路面電車)
            

古い建物は内部のリニューアル(リフォーム)が進み、観音開きの扉も自動化、階段はバリアー・フリー化した。しかし、エスカレーターは一台も見なかった。エスカレーターは車椅子で利用できないからである。

6月からは夏期(Summer Term)が始まり、学生も少なくなる。その時期には、秋の新入生の校内見学や夏期講座(Summer School)に参加する小中学生を見かけることが多い。ちなみに、筆者の孫と娘もiD Tech(一種のSummer School)に参加するために、ハノイから東京経由でヒューストンにやってきた。

(2)ガレリア(ショッピング・モール)
今回のヒューストン再訪の主役は筆者の孫、ヒューストン大学ヒルトン(University of Houston Hilton)到着の翌日が10歳の誕生日だった。日本では小4である。

参考だが、このホテルは、ホテル・レストラン経営学部に付属するホテルで、スタッフはすべて学生らしい。スタッフは親切、レストランの料理はReasonable、味は悪くないが、量が多め、Kids(子供)用メニューも日本の大人用以上だった。コーヒーだけでなく、ミルクも飲み終えるとすぐに無料のお替りを持ってくる。

孫の誕生日は土曜日、早速、ヒューストン市内のショッピング・モール、ギャレリアで誕生祝いをすることにした。

ホテルを出て、向かいの学生センター(Student Center)から娘がウーバー(Uber:配車サービス)でタクシーを呼ぼうとした。しかし、ここでトラブル発生、相手からアメリカ国内の電話番号を求められて先に進めなくなった。

学生センターのスタッフが、娘のiPhoneを引き取り、大学の電話番号で対応しようしたが、国内電話番号をもたない外国人には使えないシステムと判明した。スタッフたちはあれこれ試みたが結局は、イエロー・キャブを呼ぶことになり、無事ギャレリアに到着した。

以後、そのタクシー・ドライバーにビジネス・カードをもらい、時間場所指定で送り迎えの足を確保した。本人がビジー(Busy・・・仕事中)の場合は、替わりのドライバーが迎えにきた。迎え料はなし、NASAの迎えもNASAの出発からヒルトンまでメーターで賃走した。もちろん、常識的なチップは払った。

下の写真は、ギャレリアのレストラン前に乗りつけたアメ車である。ガレリア入口の通路は一時駐車禁止、この車は一時駐車のためにやむなく歩道に乗り上げた。

            ギャレリアのレストラン前に乗りつけたアメ車
            

このレストラン、Cheesecake Factoryはキッズ(Kids)の誕生祝いのセレモニー付きメニューを提供するので、ここで孫の誕生日を祝った。

下の写真はギャレリア地階のスケートリンク、かなりの人出だった。なかには、プロ級?の女性が2、3人、いろいろなポーズを練習していた。

            ギャレリア地階のスケートリンク
            

外気温は36~37°Cだが、全館空調のためスケートリンクの氷は正常だった。

商店街は地階(スケートリンクとフード・コート)、一階と2階はブランド品店やデパートである。7月4日の独立記念日を控え、4割引などのセールス・キャンペーンで賑わっていた。

ヒューストンは全米4位の大都市とはいうものの、ニューヨークやロスのような国際都市と違い、観光客や爆買いの東洋人にも出会わない。ここは典型的な車社会、アメリカのど真ん中といった感じの都会である。

今回の旅の主役は、10歳になったばかりの孫である。

父親の転勤で母と共にハノイに移り住んだのは2013年の8月だった。あれから3年近く、ハノイのインター(ナショナル スクール)に入学、日本の小学校は小1の4月~6月の3ヶ月だけ、その後、英語の世界が始まった。

日本の家庭で育った小学生が突然、英語の世界に入る。そこではさまざまな試練に出会った。親にも話せない苦労もあったと思う。英語の壁を克服するためには、日本語力の強化・・・これは学校や周囲のアドバイスであり、その効果は本人も認め始めた。しかし、思考面ではすでに英語が主、日本語が副になっている。

すでに、ハノイのインターではパソコンは一人一台、本人が選択した第二外国語(フランス語)も昨年9月から始まっている。授業だけでなく、父兄との通信を含む学校運営もアメリカ並みにコンピューター化されている。ハイテク社会においては、「先進国」「途上国」といった色分けは過去の遺物になりつつある。

昨年秋に娘(ハノイ在住)の娘が偶然に見付けたヒューストン大学のiD Tech Camp、話は急速に進み、孫はそこでマインクラフト(Minecraft 3D Game Design)を一週間学ぶことになった。そのiD Tech Campは、外国人を想定しないアメリカの子供たちの教室、英語だけでなくコンピューターの知識で孫が落ちこぼれないかと心配である。

筆者はちょうど50年前の8月、この大学で初めてコンピューターの洗礼を受けた。理系ではコンピューターの利用が必須、最大のカルチャー・ショックだった。

さまざまな思いがあるこのキャンパス、50年ぶりに孫と娘と3人で歩くのは夢のようである。さて、孫の英語力とコンピューター力は本場のアメリカで通用するか否か?That is the question. である。

明日は日曜日、NASAを訪ねる予定である。次回は、NASA, Houston Space Center(ヒューストン宇宙センター)を紹介する。

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