「コンパクト・シティーの姿(12)から続く。
2021年の幕開けを機にデジタル化の方法論を卒業、メンタル・タイム・ラベルに出かけることにした。
1.コンパクト・シティーのイメージ
(1)クラスター
最近は、新型コロナウイルスで感染者のクラスター(Cluster)という言葉がすっかり日常語になった。このクラスターという言葉は、別の意味で筆者には懐かしい。
またもや、半世紀も昔の話だが、それはクラスター分析(Cluster Analysis*)のクラスターである。この言葉は多変量解析やマハラノビス距離(Mahalanobis Distance…Social Distanceではない)など、統計分析手法とつながっている。筆者はこのクラスター分析で消費者行動(Consumer Behavior)を分析した。
【*補足説明:たとえば、さまざまな特徴(=多くの変数、つまり“多変量”)を持つ消費者をマハラノビス距離の大小で類似性を判定、類似性が高い消費者を同一グループに分類する。マハラノビス距離で分類した“葡萄の房のような小さなグループ”をクラスターと呼ぶ。】
しかし、現在の筆者にとっては、クラスターは新型コロナや多変量解析とは全く無関係、ただ単に葡萄の房のように見える人の集団をクラスターと見ている。
(2)コンパクト・シティー
筆者が思う「コンパクト・シティー」は、いろいろな用事を一ヶ所で済ませることができる便利な場所である。その場所の広さは目が届く範囲、せいぜい数百メートル程度、コンパクト(Compact:小型)な場所である。
そこには長い待ち行列や大きな人混みはない。車の騒音はなく、ラウドスピーカーや喧騒とは縁のない世界だが、人通りは絶えることはない。
筆者の記憶には、ヨーロッパの旧市街地やアーケード街、小さな田舎町(Etona, CA, USA)の数百メートルのメイン・ストリート、欧州や中近東の青空市場などが浮かんでくる。また、見たことはないが歴史書などの絵で見る地中海の都市国家(City/City-state)もコンパクト・シティーだったかも知れない。
その中心地は車道と歩道の区別がない石畳の広場である。乗用車やバンが建物のそばに駐車しているが、人々は車に頼ることなく徒歩で用事を済ませる。信号は無いが、近代的な路面電車(トラム)が静かに走っている。
筆者の記憶だが、2000年頃の日本はマイナンバーの普及が遅れていた。しかし、(以下、筆者の想像だが)健康保険や運転免許証へのマイナンバー導入で普及率が100%に達した。
特に、生体認証を含むセキュリティー・チェックで個人認証の信頼性が向上、コンパクト・シティーのインフォーメーション・センターで受ける多様なサービスは便利である。市民の相談にも応じる公共サービスのヘルプ・デスクは充実している。サービスは質・量ともに向上したが、人口減少に比例して公務員数は激減し、生産性も向上した。
(3)コンパクト・シティーのネットワーク
個々のコンパクト・シティーは単独で存在するのではなく、人や物資、エネルギーや情報を運ぶ通路で互いに結ばれている。葡萄の房を支える蔓(ツル)のように、交通網、送電網、給水網、通信網などのネットワークである。このネットワークは、非常事態に強い代替ルートを備えている。
コンパクト・シティーの一角には、必ず鉄道/LRT/バスのターミナルがあって、郊外や他都市を接続している。このネットワークは人・物・情報のサプライ・チェーンでもある。
たとえば、日本には世界に類まれな鉄道網がある。国と共に成長した路線網と高度な鉄道技術および正確な運用は、三位一体の貴重な有形・無形の資産である。この鉄道網は成長期の日本に大きく貢献したが、今後の人口減少期においても別の能力を発揮すると考える。その別の能力とは何か?その答えはわれわれの課題である。
鉄道網を始めとする交通網の見直しの他にも、コンパクト・シティーの周辺に多くの課題が眠っている。その課題の発掘と解決は国家レベルのタスク・フォースの仕事に値する。・・・将来の人類文明のあり方にも影響すると思えば、胸が膨らむ。
続く。