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グローバル化への準備---時代の流れ

2012-03-25 | ビジネスと英語
1.時代の流れ
1960年代初めに実社会に出て今日まで、多くの国に出入りしてきた。その間に蓄積したさまざまな経験と記憶は、やがて一つの塊となって頭の中に定着する。ちょうど、珊瑚礁が成長するように、小さな記憶が一つひとつ積み重なって固定観念へと成長する。

ちなみに、固定観念を国語辞典で引くと「ある人の心中に潜在して、つねに念頭を離れず、外界の動きや状況の変化によっても変革することが困難である考え」(小学館言泉)とある。

先ずは、日米タイに結びつく筆者の固定観念を紹介し、その固定観念にもとづき今後の日本を考える。

(1)日米タイの印象
日本、アメリカ、タイをはじめ、世界各国の人口の男女比はほぼ半々である。しかし、過去の経験や記憶から筆者は、日本は男性社会、アメリカは男女均衡社会、タイは女性社会と見る。もちろん、これらの固定観念には、統計や客観的な調査による裏付けはなく、個人的な考えに過ぎないと断っておく。

1)日本:男性社会
1970年代初頭、転職先の大手企業で管理職教育セミナーに出席した。講堂には約150人の管理職が集まった。その中の紅一点は東京連絡事務所の女性課長だった。アメリカ系企業から転職した筆者にとっては、150人もの男性集団に紅一点は、異様な光景として今も頭に残っている。

日本では、1985年に男女雇用機会均等法が成立(施行86年4月1日)、しかし、現在でもグローバル企業の経営者、取締役や部長に女性が少ない。また、女性国会議員、日本大使館や領事館の日本人女性職員も少ない。

2000年から最近までバンコク周辺の日系工場に出入りしたが、工場の日本人駐在者は男性ばかり、女性の駐在者には会ったことがない。海外の日本ビジネスの第一線で活躍する女性、特に4、50歳代の働き盛りの日本人女性に出会う機会はなかった。これは、製造業という分野のためかも知れない。

さらに、バンコクでは筆者が講師となって生産管理などのセミナーを日系企業に無料で実施した。約20回のセミナーの参加者は製造業だけではなかったが延べ約600人、そのうち女性参加者は3人(会計関係)だけだった。

さらに、ビジネス以外の分野でも男性中心の考え方が強い。たとえば、女性国会議員の名前には「氏」付け、一般の女性には「さん」付け、「氏」と「さん」の使い分けに日本らしい考え方を感じる。このような理由で、日本は男性社会と考える。

2)アメリカ:男女均衡社会
1960年中頃から2000年まで、日本とアメリカと西ヨーロッパを行き来した。その間、アメリカ系企業や日本企業の社員、ウィーンの国連専門機関の職員、アメリカ多国籍企業へのコンサルティングなどを経験した。専門分野はコンピューターと生産管理である。

アメリカでは1964年の公民権法で「人種、皮膚の色、宗教、性、出身国」による差別を禁止した。当時の大学卒業生への就職案内には、会社名に△マークが付いていた(“△”は Equal Employment Opportunity=雇用機会均等を意味するマーク)。アメリカでは求職者を面接するとき、男女の区別がはっきりしない相手でも、性別を聞いてはいけないと人事担当者に教わった。そのうち、運転免許証の写真が白黒からカラーに変わり、白黒写真時代のWまたはC(W=White:白人またはC=Color:有色人種)の表記がなくなった。

話は変わるが、1960年代中頃、“A FORTRAN IV PRIMER(フォートランIV入門)" (E. I. Organick, Addison-Wesley, 1966)というプログラミング言語の入門書があった。その本は、高校2、3年生から大卒者を対象としたベストセラーだった。当時のテキサス州では、理工系学部や経営学部ではコンピュータープログラミングが必須単位、学生数1万6千人程度の州立大学でもIBMなどの最新型コンピューター4~5台を設置し、学生にセルフサービスで自由に使わせていた。

この大学では、コンピューターサイエンス(学科)を専攻する学生の8割以上は女性だった。当時、引く手あまたのコンピューターの分野に多くの女性が進出した。ヒューストン郊外のNASA(航空宇宙局)では、1200人ほどのプログラマーが働いていると聞いた(男女比は不明)。

1970年代初頭、国際連合の専門機関(ウィーン本部)で働いたが、そこで働く欧米出身の専門職は男女ほぼ同数、途上国出身の専門職はすべて男性だった。もちろん、日本人6人の専門職は全員男性だった。国連は多言語社会だが、専門職の勤務評価の一部を一つの参考として後ほど【補足説明】で紹介する。

次に、1990年代初頭から2000年にかけてのアメリカ多国籍製造業2社の状況を紹介する。

2社のうち1社の社長は女性だった。女性の役員、生産管理部長、販売管理部長、経理課長、その他の女性主任は珍しくなかった。社内のシステムエンジニア、社外のコンサルタントも約半数は女性だった。

日本の子会社にシステムを導入するとき、アメリカ本社からの出張者やコンサルタントは半数以上が30代後半から40歳代の女性だった。子供が中学生や高校生などと言う年代の女性たちだった。残業や出張に男女の差はなく、女性の働き振りも男性と同等だった。

以上のような経験から、アメリカは男女均衡社会との固定観念が頭の中に定着した。オーストリア、ドイツ、カナダもアメリカと同じような状況だった。

【補足説明】
国連の使用言語(Working Language:公用語)は、英語や仏語など6つの言語だったが、主流は英語だった。ここでは「5.文章力」と「6.口頭表現力」に絞ってそれぞれの評価内容を紹介する。1~4、7~13の評価項目は自明のため、説明は省略する。なお、5と6は専門職以上の評価に適用するが、事務職(現地採用者)は除外する。(資料のオリジナルは英語、日本語は筆者が付加えた)

下のサンプルで、当てはまる評価の[ ]に“X”を記入する⇒[X]。

     

3)タイ:女性社会
2000年から最近までタイの日系工場5~6社で、コンサルタントとして経験した。自動車、機械、繊維関連の製造工場である。

日本人社員は別として、女性の経理部長や課長が一般的である。たまに男性の経理部長を見かけるが、その下はすべて女性というケースが多い。6社の経験では、男性の経理部員と男性通訳に出会ったことがない。また、購買、営業、受注/出荷、資材、生産管理の女性課長は珍しくない。中には、生産管理とシステム兼任の女性課長もいた。移民局や空港のパスポートコントロールでも女性職員が男性より多と思う。

働きながら大学で学位をとる女性たちがいた。2人ともMBA(Master of Business Administration)を取得した。女性部長で複数の学位をもつ人もいる。より良い仕事を見付けて、将来の安定を望む気持ちの表れだと思う。

女性管理職やシステムエンジニア(女性が多い)には英語が通じる。また、日系工場にはタイの有名大学出身女性、しかも「できる」の人材が多い。お嬢様の学歴は時には「紙切れ」に過ぎないが、「実力」は現場で頼りになる。

事務所の女性管理職ばかりでなく作業現場、特に最終検査工程では女性が優勢である。組立工程などでも女性リーダーやオペレーターが活躍していた。

バンコクのビジネス街のランチタイムでは、女性が圧倒的に多い。ビジネス街には食べ物の屋台が多いが、殆どは女性の店である。生活保護どころか老いも若きも女性の生活力は逞しく、男性の影は薄い。近年は、生活水準の向上と第三次産業の発展が目覚ましく、ますます女性の社会進出が盛んになる。このような状況から、タイを女性社会と判断した。

(2)日本の潜在能力:男女均衡社会への期待
日本の現状は、いまだに男性社会、いわば片肺飛行といえる。国全体の持てる能力、特に女性の能力を発揮し切っていない。もし発揮すれば、日本の存在価値は今以上のものになる。一国の価値は、その頭数でなく質の高さで決まってくる。人口減少にあわてず、女性の能力開発に本気で取組めば日本の将来は明るい。一般に女性は戦争や暴力を好まない。頭数が多すぎて国家としてのコントロールを失うより、高度な文明社会を目指すのが筋であり、それが人類への貢献である。

ここで、すべての女性に持てる能力を出すようにと強要しない。その気のない人に何かを強要してもうまく行くはずはない。しかし、やりたいと思う人に門戸を開けば大きな可能性が開ける。それは「好きこそものの上手なれ」、当然ながら、やりたいことには情熱も湧いてくる。

もし、女性の100人のうち1人にやる気があって、門戸が開かれ、その人が能力を発揮して100人を意のままに動かすと仮定すれば、その人は百人力といえる。さらに連鎖反応が起これば、一騎当千も夢ではない。近くには「なでしこジャパン」の先例もある。あの業績に世界の誰もが感動した。

しかし、「やりたいと思う人」が「やりたいこと」に出会う、これは、洋の東西を問わず、きわめて難しい。能力があっても門前払いで芽を摘み取られるケースは数知れない。しかし、「柳に飛びつく蛙」のように「門前払い」を覚悟で、諦めずに門を叩く。絶望と希望は背中合わせ、諦めるとその場で失敗するが、諦めない限り必ず成功すると信じてトライする。これ以外に道はなく、これが一番確かな道である。

柳に蛙とはいえ、柳と蛙の距離が短い方がよい。世界という柳との距離を短くするために、男女を問わず次の3つの点を自らの方法と努力で磨いて欲しい。

 1)日本語と英語とコンピューターに強いこと・・・優先順位は、日本語、コンピューター、英語
   (日本人は6年間も英語教育を受けているので、あとは実践する努力で身に付く)
 2)業務に精通していること・・・業務に精通すれば、英語は自然に付いてくる。
   (国内外を問わず実務の精通がまず第一、これがなければ、日本語、英語、現地語も話せない)
 3)単独行動ができること・・・自分の意志と言語で行動する。自分の身は自分で守る。
   (日本人の部長や役員が独りで海外出張しているのはめったに見かけない、大概はお供付き)

上の3つの項目を磨くために、人前で堂々と話ができるようになって欲しい。下のリストを参考に、世界に通用するA(90点以上)を目標にする。(資料のオリジナルは英語、日本語は筆者が付加えた)

     

【補足説明】
 1)場違いの服装はダメ。             
 2)頭髪、服装、靴をこざっぱりとする。
 3)ホワイトボードなどに張り付き、聞き手に背を向けたまま話さない。
 4)ポケットなどに手を入れたまま話さない。
 5)声の大きさを適切に、また下を向いてボソボソと話さない。
 6)会社員であれば、その会社のカラーを出す。日本人なら日本人らしさを出す。
 7)一点を見つめたまま、あるいはそっぽを向いて話さない。
 8)聞き手を話に巻き込む。また聞き手に質問を促して眠気を晴らす。
 9)ときどき余談を入れて、聞き手にリラックスして貰う。
10)聞き手を馬鹿にしたような話し方をしない。
11)質問には誠意をもって対応する。質問者を傷付けない。
12)幅広い知識・経験が必要。
13)必要ならば要点を事前に配布する。

今回は、筆者の経験談に始終したが、次回は客観的な視点で「グローバル化への準備---英語化の分野」に進んで行く。

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グローバル工場---機能の階層(6):“安い”と“経済的”の違い

2012-03-11 | ことばとコンピューター
前回のグローバル工場---機能の階層(5)の続き。

                         工場機能の階層図
     出典:筆者著“生産管理の理論と実践” COMM Bangkok、2010

(4)レベル3:原価・利益管理
このレベルは、個々の工場とグループ全体の製品原価と財務状況をコンピューターシステムで把握して、工場の利益をコントロールする。工場を管理する情報システムの単純化・統合がこのレベルのキーワードである。

ちなみに、レベル2と3のキーワードを比べると次のようになる。

  レベル2:工程管理のキーワード=整理・整頓=目視管理(目が見る視界)⇒生産性向上
  レベル3:工場経営のキーワード=単純化・統合=情報管理(頭が見る視界)⇒収益性向上

上に示す関係とは逆に、整理・整頓が行き届かず乱雑な工程では生産性が悪くなる。また、機能の追加を重ねた継ぎはぎの情報システムでは工場を適切に管理することが難しく、収益性も悪くなる。

特に、レベル3の情報システムは、目で見たり手で触ったりできないソフトウェアである。そのソフトが継ぎはぎだらけか否かを見極める評価眼が経営者や管理者に求められる。もちろん、レベル2と3の主役は人間、人の上に立つ人は自社、外注先の区別なく現場とそこで働く人々をよく知ることは言うまでもない。

1)レベル3の位置づけ
レベル3では、コンピューターシステムが重要な役割を果たす。管理者や経営者はシステムが提供する財務情報や生産実績や在庫情報を分析し、必要な措置を各部門に指示する。この意味でレベル3は、工場機能のトップに位置する指令塔ともいえる。

このレベルのシステムは、購買、在庫、販売、生産、会計を網羅する基幹システムで、かつ、統合システムでなければならない。また、この統合システムは状況の変化をすばやくキャッチする単純なシステム、できれば経営視界をオンラインリアルタイムで確保できるシステムが望ましい。

1998年頃に、アメリカの多国籍企業で全世界の事業所の状況をリアルタイムで把握する統合システムを経験した。システムの目的は、経営視界の改善(Improvement of Management Visibility)だった。

あのとき、システムの画面から白雪姫の“魔法の鏡”を連想した。童話では魔法の鏡だったが、そのときはコンピューターネットワークにつながるパソコン画面だった。その画面に世界のビジネス状況が映し出され、画面の一部をクリックすると明細が現れた。画面を切り替えれば、アメリカから東京の出荷ラインの待ち行列も見えた。このように、どこからでも世界の業務が丸見えになる。技術的には新規性があったわけではないが、単純なシステムで情報の屈折もなく経営視界は世界に広がった。

2)原価管理
原価管理は、レベル0の品目テーブルとBOM並びに勘定科目別の会計データから仕掛品や完成品の原価を計算する。

製造業の主な原価は、実際原価と標準原価である。まれに製品開発に使用する目標原価と呼ばれるものもある。

実際に発生した費用で計算した実際原価は月次決算の在庫評価に、標準原価は利益計画にそれぞれ使用する。ただし、実際原価は棚卸在庫評価方法で金額に違いがでるので注意すべきである。具体的には、総平均法、移動平均法、最終仕入原価法など、法令で認められた方法がある。実際の評価方法は、各社の経理規定で定められている。

量産品の実際原価については、参考書に簡単な例題で説明したので省略するが、ここでは原価要素を説明する。

A.原価要素(Cost Element)
実際原価や標準原価の内訳を原価要素という。原価要素を大別すると、直接費(Direct Cost)と間接費(Indirect Cost/Overhead Cost)に分かれる。直接費は、直接材料費、直接労務費などの原価要素に分かれる。工場により異なるが、主な原価要素は次のとおりである。

 ◇直接費の原価要素:直接材料費、直接労務費、スクラップ費、金型費、治工具費、外注費など
 ◇間接費
  ・変動間接費の原価要素:光熱費、水道費、通信費、潤滑油、消耗品など
  ・固定間接費の原価要素:地代家賃、保険、レンタル料、間接人件費、減価償却費など

実際原価の直接材料費や労務費は実際に発生した費用である。同様に、間接費も実際の費用で計算する。直接材料や労務費は品目ごとに明らかになる。しかし、間接費の計算は、品目の生産数量で総額を原価要素ごとに配賦(配分:Allocation)する方法とABC(Activity-based Costing:活動基準原価計算・・・1980年代にハーバード大学が提唱)という方法がある。生産数量による配賦とABC法の詳しい説明は省略するが、間接費の計算には配賦法とABC法の2つの方法があるとの認識に留めておく。

B.原価管理の注意点
原価管理での注意事項を2、3挙げておく。

一つは、梱包資材の問題である。たとえば、完成品の外装箱を製品の直接材料費とするか、あるいは一般の包装材料(間接材)として経費扱いとするかで、製品原価が異なってくる。この種の問題は、製品の採算性に影響するので製品開発者の考え方や税法上の見解を注意深く検討する必要がある。

次に、専用機やロボットや金型など、高価な設備の償却費を直接費とみるか、あるいは間接費とみて全製品に配賦するかという疑問がある。生産高比例法(Unit-of-Production Method)で直接費としてこれらのコストを償却すべきか、あるいはABC(活動基準原価計算)を導入すべきか、多くの検討課題が残っている。

原価要素の設定で、たとえば縫製ミシンの手元照明用豆球の電気代を直接費に反映させるが、ミシンを駆動する電気代は全製品に配賦する。また、工程ごとに電力計を設置して電気代を直接費として原価に織り込む。また、日本の寒冷地発祥の企業がバンカーオイル(燃料油)を直接費とみるが、熱帯のタイではその原価要素が必要かどうか。これらのどちらでもいいような些細な問題が浮かび上がってくる。しかし、手抜きは禁物、システムのグローバル化をチャンスに、進出先の国情も考慮して原価要素の合理性とバランスを見直す必要がある。

直接材料と間接材料の入替えや原価要素の変更は、会計処理の“継続性の原則”に触れる問題である。会計監査に相談しながら時間的な余裕をもって検討すべきである。

3)利益管理
利益管理には、半年程度の短期利益管理、1年程度の中期利益管理、あるいはアメリカの石油会社のように20年にわたる長期利益管理もある。ここでは、計画期間が1年の中期利益管理、一般的な企業の会計年度単位の利益管理を説明する。

利益管理の中身は、翌年度の販売計画、生産計画、投資計画、人員計画、経費予算である。これらの計画から利益を計算する。もちろん、翌年度の為替レートや人件費動向は経理部門が各部に提示する。

経理部門は、会計年度末の2ヶ月ほど前に関係各部門に翌年度の計画書の提出を求める。次に、各部門の計画書から会社全体の利益を計算し、妥当な利益が確保できるまで各部門の計画を調整する。

目標利益を経営陣が承認したとき、そのベースになった販売計画、生産計画、投資計画、人員計画、経費予算が翌年度の目標になる。翌年度のスタートと共に計画と実績の管理がスタートする。営業部門は販売計画と経費予算、生産部門は生産計画と経費予算、その他の間接部門は経費予算をそれぞれ管理する。承認された投資計画は減価償却費、人員計画は人件費として各部門の経費予算に反映してある。

新しい予算に対する実績の差をチェックしながら自部門の活動をコントロールする。ここでまた経験談になるが、“予実差異プラスマイナス5%以内”を厳しく指導された。予算と実績の差が±5%以上は予算編成が甘かったとの理由で始末書を求められた。-(マイナス)5%は予算以下の出費だが、それは手柄でなく見積りが甘かったとみられた。予算に限らず±5%以上の推定誤差は、プロの仕事とはいえない。

±5%以内の誤差でいつも思うが、談合のプロは±5%以内の誤差を目標とする。しかし、肝心のその他の分野では仕事の誤差を±5%以内に収める風潮はない。肝心な点では甘く、枝葉の部分には細かくこだわる、本質より見掛けを重視するのが日本社会の特性かも知れない。

3.2011年(東日本大震災)以来、都合の悪いことはすべて“想定外”の出来事として水に流す風潮ができてしまった。忘れていいこと忘れないこと、目をそらすことと目をそらないこと、諦めることと諦めないこと、そこは人生の岐路である。諦めず本質を見つめる側の道を選ぶと辛いこともある。しかし、その向こう側には新しい道が開ける・・・そこは「進展」した新しい世界である。

本質から目をそらす風潮は、日本社会が衰退し始めたのではないかと気に掛かる。ついでながら、プロに求められるもう一つは、“安い”と“経済的”の違いを識別する能力である。(distinction between cheapness and economy・・・"A Professional Guide," Engineer's Council for Professional Development, N.Y. 1949)・・・耳目を大きく開けて(keep eyes and ears wide open)本質を見つめたい。

4)コンピューターシステムへの投資
ここで、予実対比による利益管理から日本の製造業全体の利益に目を向ける。

タイの日系工場の日本人を数えると、従業員500人規模以下の工場では多くても7~8人、さらに大きな工場でも、20人以下だった。その割合は、多く見積もっても2%程度、つまり、数パーセントの日本人と九十数パーセントの現地人が工場で働いている。従業員一人当たりの付加価値率は別とするが、日本人数に対する総付加価値は非常に大きい。

しかし、それら工場の生産管理システムは1960年代のシステムが多い。もし、そこに合理的な生産管理システムを導入すれば、生産効率や利益率が向上し、そのメリットは非常に大きいと考えられる。そこには、未開拓の宝の山がある。

世界の流れはグローバル化である。ここで、世界に共通な生産管理ルールを考え、宝の山を開拓する戦略システムの開発、今その時期が来たと感じる。これで日本の陳腐化したシステムも蘇生される(右手が左手を洗うとき、右手もきれいになる イボ諺・・・When the right hand washes the left hand, the right hand becomes clean also.・・・Ibo Proverb)。

新しいシステムの開発には、時間とコストが掛かる。しかし、各国の工場がジョイントプロジェクトを編成し、知恵を絞り、開発費を分担すればそれほど実行可能と考える。また、新システムから生まれる各工場のメリットを合わせれば、魅力ある投資プロジェクトに違いない。

ここに、「戦略システムの開発」と題して筆者の日米の経験を一つの参考として記しておく。

「戦略システムの開発」
コンピューターシステムには、合理化システムと戦略システムの二つのタイプがある。合理化システムは業務の合理化や経費削減を目的に開発するシステム、戦略システムは新たなビジネス展開や会社の将来を開くために開発するシステムである。

たとえば、ある生産管理システムを業務の合理化目的で開発すれば、そのシステムは合理化システムといえる。しかし、同じシステムを、企業戦略として開発すれば、そのシステムは戦略システムといえる。

合理化システムは、開発コストとメリットを定量的に求めて、経済性を評価する。メリットがコストより大きければ、開発はゴー(Go:可)となる。これは意思決定でなく、単なる事務処理に等しい。

他方、戦略システムの開発では、そのメリットの金額計算は困難である。あえて金額的なメリットを計算しても、新システムが実現しない限り、机上の空論に過ぎない。

やるかやらないか(To go or not to go, that is the question: Go or No Go). それは、意思決定者の決断と責任の話になる。

ある時、アメリカで戦略システムを開発中に、業界の不況で会社が赤字になった。そこで社長は世界の事業所を一ヶ所ずつ回ってあらゆるコストの削減を求めた。その頃の社長はエコノミークラスで飛び回っていた。ビジネスクラスをエコノミーに変えた効果は疑問だったが、プロジェクトは継続した。赤字会社の社長がビジネスクラスでは様にならない。なお、戦略システムの開発は、6~8年の長期に及ぶ。この間、いろいろな事が起こる。

戦略システムの開発には次のような共通点がある。
 1)戦略システムはトップダウンのシステムである。下から上に提案する合理化システムではない。
 2)経営トップは、開発費の承認には厳しいが、プロジェクトチームにメリット計算を求めない。
   プロジェクト担当者はメリットを計算するが、経営者はその数字で決断しているとは見えない。
 3)技術的、経済的、運用上の難問に出会っても、経営トップは途中でシステム構想を変更しない。
 4)システム開発費は大きいが、成功したときの金額的なメリットは、開発費よりはるかに大きい。
   しかも、そのメリットは一過性でなく、年月の経過とともにそのシステムの効果が広がっていく。

以上、日米で経験した4件(前回のヤマハ発動機も含む)の戦略システムの開発から得た印象を紹介した。

今回で6回にわたった「グローバル工場---機能の階層」の説明を終了する。

現在、日本はグローバル化と人口の減少という新しい局面に差しかかっている。この時代にわれわれがなすべきことを次回から考察する。

次回は「グローバル化への準備---時代の流れ」「英語化の分野」「-未定-」に進んで行く。

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