脳梗塞とリハビリ(4)から続く。
4.新しい人生への夢
(1)過去からの脱皮
約80年の人生で入院生活は2回、一回目(2004/8)はバンコクの心筋梗塞で10日余り、今回(2016/10)は脳梗塞とリハビリを含む3ヶ月の長期入院になった。
バンコクでは、胸痛発生から6時間後に病院に到着、受付ロビーでいきなりニトログリセリンの口内噴射(心肺蘇生)、すぐに処置室で股間の剃髪が始まった。「口を開けて」と言う先生の声とニトログリセリンの刺激性の味は今も覚えている。
あの入院では数ヶ所の梗塞があり、最も大きな梗塞を心臓カテーテルとステントで治療、10日間の入院で一命を取りとめた。この緊急入院から数ヵ月後、容態の安定をみて日本に帰国、残る梗塞を延べ5回、2年3ヶ月にわたる心臓カテーテルによる治療を受け、今も問題なく生きている。
長い海外生活にまつわる体験だが、つい日本と外国を比較してしまう。日本人の公共モラルなどにはいいところが多く、誇りに思う。しかし、“教育”や“行政”が絡むと“日本特有の遅れ”が目立ってくる:たとえば、日本の教育、特に小学校から大学のIT教育は1966年以来、アメリカに比べて今も大きく遅れたままである。その言い訳は、ITに限らないが、“予算がない”が常套句である。しかし、アジアのある国は予算が乏しかったが“国民のIT遅れ”を回避した(1990年代)・・・あれは知恵と努力、否、“やる気”の結果だったと筆者の記憶に深く残っている。
さらに筆者の経験だが、2004年の医療も外国でよく使われる心筋梗塞の薬が厚生省の不認可で日本では入手不可能、事情を話してバンコク病院(Bangkok General Hospital)で数年にわたって手に入れた。現在の新型コロナへの対応を見る限り、厚生省の対応に相変わらず進歩がないと思っている。
話はバンコクでの心筋梗塞に脱線したが、今回の脳梗塞による入院では二つの変化があった。その一つは、一時は諦めた自立歩行をリハビリで取り返した。
もう一つは、過去からの脱皮だった。車と運転との決別、すべてのマイレージ・クラブの脱退、身の周りの余計なものとはおさらばした。また、自然に逆らうこともしない。飛行機では途中下車ができないので海外にもいかない。パスポートや海外旅行用品は不要、手ぶらでも「記憶と想像の世界旅行」はいつでも好きな時にできる。オマケにただである。
無に還った心境のなか、リハビリ中に若い女性療法士さんと「永遠の0」(百田尚樹)の話しになった。その療法士さんから本を借り、読み始めるとたちまちはまり、数日で読破した。さらに、別の女性看護師さんから「海賊とよばれた男」(百田)も勧められ、それにもはまった。
意外にも、うら若き女性たちに勧められ、「日本のこころ」を物語る書に感動した。信念のある主人公たちの人生は堂々としている。その立派さに励まされて、せっかくの人生を後ろ向きではもったいないと思った。
しかし、残る人生は、老化現象+心筋梗塞&脳梗塞を抱えている。すでに手遅れとの感があるが、Nothing is too late to startと思い直して、貴重な人生を余すことなく生きようと思った。そこでドン・キホーテよろしく、今まで経験できなかったメンタル・タイム・トラベル(時空を超えた想像の旅*注)を思いついた。その旅を通じて少子高齢社会や日本の教育への思いをこのブログで発信するのも悪くない。
【*注:メンタル・タイム・トラベル=過去や未来を描く能力をいう。古代人の洞窟壁画や死者の埋葬と副葬品はこの能力に由来するという。「最古の文字なのか?」(後述) p.40】
(2)今後の夢
今回のリハビリでは自立歩行に苦戦したが、人類の二足歩行(=片足立ちの連続)はいつ頃からか?とよくある単純な疑問に直面した。そこで、人類の一人として人間の歴史を詳しく知りたいと「人類の足跡10万年全史」(S.オッペンハイマー著、仲村明子訳、草思社、2007/10)を読み直した。
この書物は、現生人類のミトコンドリアDNAを手掛かりに、15万年以上前のアフリカから8万5千年前の出アフリカ、さらに1万2千年前に南米チリに至るルートを示している。
遺伝子の追跡調査では、現生人類より遙か昔、300~400万年前の類人猿「ルーシー」も話題になる。「ルーシー」はアウストラロビテクス・アファレンシスの一族、身長1~1.5mの女性、「はっきりとした直立二足歩行」、現生人類とよく似た骨盤、脳容量は375~500CCだった。【参考:当ブログ、日本の将来---5.展望(1):人類の人口推移と日本(2014-03-25) の2.人類のイメージ、左端の写真が「ルーシー」】
別の書物「最古の文字なのか?」(G.ベッツィンガー著、文藝春秋、櫻井裕子訳、2016/11)によれば、世界最古の石器は330万年前のもの、あの有名な「ルーシー」の時代の石器である。さらに時が流れ、ホモ・エレクトスのアシュール型握斧(ハンドアックス)は150万年前の石器である。このハンドアックスは前期旧石器時代の主流だった。この頃の石器造りのプロセスには、大ざっぱであるが工程分割の概念があり、素材のある場所への工具の持運び(携帯)もあったらしい。
「最古の文字なのか?」のテーマは洞窟の壁画や幾何学記号の解明、さらには絵文字や文字・言語の研究である。著者はカナダ・ビクトリア大学人類学博士課程の女性研究者である。ヨーロッパ368ケ所の洞窟に潜り、収集した壁画の絵や記号をデータベース化した。そのデータベースから32種類の基本的な幾何学模様を割り出した。
この書物がカラー写真で紹介する1万6千年前の小さなシカの歯の首飾り48本に残された記号群は何を意味するか?石器で刻まれた記号は、顕微鏡分析では「ためらいや刻み直しが見られない」手慣れた仕事だった。さらに、シカの歯が遠くからの交易品だったため、25歳の若さで他界した女性の首飾りがきっかけで新事実が明らかになる可能性がある。現在、アフリカや他地域の洞窟は未調査、さらなる情報収集とデータベースの充実が楽しみである。
ここで「交易」という言葉がでてくるが、この言葉に、いろいろな人びと、珍しい品物、大道芸が集まる市場、その広場に漂うゴマの匂いに似た香料の香りを鼻に感じる。その香りは大昔から変わりなく、その香りと共に古代文明が開花した。特に筆者が思う「交易」には、スエズの砂丘を行く商船の船団と砂漠を悠々と進むラクダの商隊が同時に現れる。
一方通行のスエズ運河では、商船は船団を組んで運河を通過する。運河の湾曲部分では水面は小高い砂丘に隠れて見えなくなる。そこに船団が差しかかると、本船(自船)の視界には、貨物船の行列が砂丘の上をゆっくりと進む。その光景は、荷物を背にしたラクダたちが悠々と砂漠を移動する巨大な商隊に見えた。
現在の定説によれば、古代メソポタミアの楔形文字やエジプトのヒエログリフ(象形文字)は、せいぜい5000~6000年前のものである。楔形文字やヒエログリフは絵文字が進化した「読める」文字としている。
「図説、世界の文字とことば」(町田和彦著、2014/8)によれば、世界の言語は5000~7000だが、文字の種類は言語の100分の1以下という。ちなみに、このブログの「英語と他の言語(10)2013-03-25」でリンクした中西印刷株式会社の「世界の文字」によれば、現用文字は28種類、歴史的文字は98種類とある。
氷河期の終わり頃、1万年前頃から狩猟・採取社会は農耕社会に移行して、交易も盛んになった。最古のトークン(Token:商品引換票)は、1万年から8000年前のメソポタミアのものといわれ、取引品目の絵を描いた粘土板だった。
各地を結ぶ交易ネットワークの中心地である市場では何をどのようなことばで取引したのだろうか?また、何を食べ、どのような歌を歌い、どのようなパフォーマンスを楽しんだのか?興味は尽きない。「世界の美しい市場」(tabinote、田口和裕、渡部隆宏共著、2017/5)は世界各地の市場65ケ所を紹介している。
ヒューストン(2016/6)の次はアレクサンドリアの図書館、その次はウィーンのE2(イー・ツバイ:路面電車のルート番号)、、、と思っていたが、今回の脳梗塞でヒューストンが最後になりアレキ(アレクサンドリアの船乗り言葉)以降は夢に終わった。しかし・・・
次回から、「記憶と想像」の旅を続ける。