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「日本国紀」の感想2

2019-05-25 | 地球の姿と思い出
「日本国紀」の感想1から続く。

3)歴史年表
筆者は、歴史と聞けばすぐに年表が頭に浮かんでくる。高校の日本史で、ただひとつ記憶に残るのは「以後予算よろしく」(1543年鉄砲伝来)だけである。「以後予算よろしく」より先に先生の名前と顔を懐かしく思う。たぶん、先生の話がおもしろかったからだと思うが、暗記が苦手、そのせいで高校時代に「歴史離れ」してしまった。

しかし、「日本国紀」と「副読本」を読むうちに、歴史年表にない史実、あっても話が違う史実、さらに教科書には「疑問符付きの史実(ウソ?)」の他にもいろいろあることを知った。今まで偏向という言葉は抽象的だったが、今回はその具体例を見た。

特に、1270年から80年にかけての蒙古襲来には背筋が寒くなる戦慄を覚えた。16歳の北条時宗と武士団に、よくぞこの日本を守ってくれたとこころから感謝する。

「神風」という「昔ばなし」風の言葉が蒙古襲来には付きまとっていたが、とんでもない誤解だった。あれは、近年日本に押し寄せたサンゴ密漁の中国漁船団と同然、現実の生々しい話だった。あのサンゴ事件は、初期対応で失敗したが、北条時宗は適切に対処した。

彼が16歳だったことに、年功序列ではない若者の姿に新鮮さを感じた。打てば響く素早い初動、相手もこれは手ごわいと直感したに違いない。その効果は大きく、その対処で勝負は決まったのかも知れない。とにかく、当時は、年功序列はダメという後世の近代経営学より進んでいた。教科書に関わる歴史学のセンセイたちもこの辺のことを日本の若者に教えて欲しい。

時宗がフビライの使者を斬首したのは正解だった。使者の斬首は国際法に反するとの学説があるようだが、服従を要求する相手に国際法などあったものではない、斬首のなにが悪い。それは理不尽な要求への明確な回答である。重要な問題はイエスかノーではっきりさせる。特に異文化がぶつかる国際交渉ではYes/Noの区別は大切である。笑って答を曖昧にするのは日本人の悪い癖とアメリカ人の仕事仲間がぼやいていた。

得体の知れない敵との対峙だったが、北条時宗と武士団には気骨があった。彼らの「国を守る」という固い決意と実行力を誇りに思う。「自分の身は自分で守る」は現在の外務省安全情報ばかりでなく、古来、人類共通の鉄則だと改めて認識した。

ここでイザヤ書を思い出した・・・「(木を林で育て、たきぎとし肉を煮て食べ、また身を暖める。)そしてその余りをもって神を造って偶像とし、その前にひれ伏して拝み、これに祈って、『あなたはわが神だ、わたしを救え』と言う。」第44章(17)・・・「自分の身は自分で守る」を忘れ、たとえば「憲法9条」にひれ伏してなにになる?

半世紀以上も世界を渡り歩いた筆者も、本能的に「自分の身は自分で守る」を身に付けた。言葉も法律も違う外国では、まず自分の身を守るのが鉄則、また「守る」は受け身だが、同時に「開く」でもあると知った。

たとえば、七十歳過ぎまでタイで働いたが、「好きな南の国」で「好きな仕事」を、人材会社でなく、自分で見付けた。心臓病(心筋梗塞)を抱える身にとっては、日本より進んでいたバンコクで働く方が安心と云う事情もあった。
【2004年頃の心臓医療では、薬品やステントはタイの方が進んでいた。救急処置のベッドで、画面に映る心臓が生命の減算から加算に変わる瞬間を見た。その瞬間は血流がパット開通する映像だった・・・今も時々その動画をPCで眺めて、生命とは何ぞやと考える。】

脳梗塞では、はじめは自立歩行を断念した。しかし、どうしても歩きたい、その執念でベッドの中でペットボトルと水で手指のリハビリを始めた。生きようとする強い意欲はリハビリの効果を高める。生きることの中身は、意欲(精神力)50と体力50と理解した。時間が足りなくなれば長生きして時間を稼ぐ。

蒙古襲来の詳細の他にも「日本の誇り」はまだまだある。それは、年表で軽く扱われた史実、あるいは年表にでなかった重要な史実だったと「日本国紀」と「副読本」で理解した。咸臨丸の簪(カンザシ)は江戸の小話に出てきそうな粋な計らい、世界中の人々が解する“一流のユーモア”だったと思う。とっさの対応でなく、日本で簪を用意した深謀遠慮が心憎い。アメリカ女性たちが派手に喜ぶ姿が目に浮かび、こちらまでhappyになる。この話にアルセーヌ・ルパンを思い出す。

女性がらみの話になるが、「日本は、女性の社会進出が遅れている」とよく聞く。確かにビジネスでは、女性の社会進出は欧米タイに比べて遅れている。特に海外の日系企業では殆ど日本人女性社員(現地採用も含む)を見かけなかった。

しかし、平安時代の女流作家は輝いていた。その作品は、千年の月日を超えて今も世界で輝いている。当時は「女性の社会進出が遅れた国」どころか、人類史上珍しい「女性が輝く国」だった。

平安時代の小説や随筆だけでなく、万葉集の和歌をはじめ俳句や川柳は、今も日本人の頭に生きている価値観だと思う。たとえば、業平の「世の中に絶えてさくらの・・・」に筆者は今もその通りだと思う。短文で簡潔に状況を表現する日本の和歌や俳句は言葉の整理学でもある。ビジネスでも求められる文章力・口頭表現力そのものである。

無駄のない洗練された単文(歌)を男女がやり取りする伊勢物語は、今のツイッター(twitter)に似ている。広く庶民の教養を高める流れは、後世の寺子屋教育に発展した。富裕層でなく男女共学と庶民教育がキー・ポイントである。男女平等と教育の機会均等は非常に先進的だった。こんなに先進的な国は世界史上、日本だけだったと思う。

日本史にあまり関心がなかった筆者だが、「日本国紀」と「副読本」は読み易く頭の中にスルスルと入った気がする。しかし、まだまだ知りたいこともある。書物という限られた紙面では物理的に無理なので、これらの本をインデックスとして、機会があれば史実の深堀も試みたい。

緊急入院は幸い一週間で退院、かねて計画していた6月下旬の関西旅行を実現する予定である。

歴史問題もさることながら、日本は今、人類未踏の少子高齢化に直面している。日本の先に何が起きるのか?

次回に続く。

6月下旬のブログは関西旅行で中止、7月25日に旅行記などで再開します。

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