油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

うぐいす塚伝  (21)  

2022-05-16 18:54:43 | 小説
 どうせ気ままなひとり暮らし。公園の閉門
時刻には、まだ余裕がある。
 せっかくここまで足を延ばしたんだし、と
修は新幹線の高架方面に歩きだした。
 雨粒がぽつぽつ落ちてきて、修の肩を濡ら
しだす。
 修はチィッと舌打ちした。
 とたんに、ゴーゴーいう音が辺りの空気を
ゆるがす。
 新幹線には防音壁があるのだから、それほ
ど大きい音はでていないはずだ。
 だが、修の耳には、中空を高速で走り抜け
ていく列車の音がまざまざと聞こえた。
 いや音だけではない。
 その長い長い、大蛇のような車体が、修の
脳裏にくっきりと浮かぶ。
 修は若い頃、鉄道マニアだった。
 あるとき焦って、ホームから転落したこと
をきっかけに、さすがに追っかけはやめた。
 (俺が、こっちに来た時には、すでに東北
新幹線を造る工事が、だいぶんと進んどった
はずや。仙台まで列車が走ったのは、はてな、
いつやったか……。くそっ、まだ五十にもな
らんのに、認知症の仲間入りしとったらカッ
コわるすぎるで。それとも最初に心配したと
おり、やっぱりどっかで、でっかいストレス
感じとるせいやろか)
 修は言葉がまるっきりちがう土地に来てし
まい、今でも馴れるのに苦労している。
 今でも人情の機微が定かでない。
 (今さっきこの架橋の上を東京方面に向かっ
て走って行ったのは、ええっと確か……)
 修は目をつむり、意地でも思いだそうと試
みた。
 急に雨がザザザッと来た。
 濡れ方がさっきとまるで違う。 
 修はたまらず、最寄りのスーパーの軒先に
走りこんだ。
 喉の渇きに気づき、自販機を見つけ、コイ
ンを二枚入れてから、スポーツドリンクのボ
タンを押した。
 「すみません。あのう、人違いでしたらか
んべんしてください。女のから声をかけるの
はとても気がひけるのですが、ここで呼びか
けないと一生後悔してしまうと思いましたの
でね。さっき運動場でお見かけして……」
 修は、女の方に向きなおり、
 「はあ?」
 と生返事をした。
 すると女のからだが、一瞬、きゅっと縮ん
だように思えた。
 「やっぱり……、あたし失礼します」
 小走りに、女は、スーパーの玄関口にかけ
だそうとするのを修は制した。
 「いいじゃありませんか。もう少し、じぶ
んの想いをおっしゃってください。たとえ間
違っていても、俺、怒りませんから」
 「いいんですか、あたしを支えるのは、ひょ
っとして、との思いだけなんです」
 「それでもいいです。俺だって、この辺は
不案内でね。今すぐにでもどなたかに、道順
を訊ねようと考えていたのです」
 女はふうと息を吐いた。
 ずんぐりむっくりした彼女の身体が、ふい
にしぼんだように思えた。
 濡れた短めの頭髪を、白い小さなタオルで
ゆっくりと拭いている。
 マスクで口をおおい、いわゆる社会的距離
もきちんととっている。
 「いやですね。コロナ禍は?」
 「ほんとにね」
 「あっちの方を向いてね。マスクをとって
しゃべってもらえますか」
 「はいっ」 
 女は修のやわらかな話し方に安心したのか、
ぽつぽつとこころを開きだした。
 修も黒マスクをはずした。
 「ほんとに似ておられてる。どうしても声
がかけたかった」
 女は目をみはった。
 「わかりました。あなたは一体、どこでわ
たしを見かけたのです」
 「奈良の若草山です」
 「ええっ、わかくさ、若草山ですって?」
 「はい。あなた様は、わたしのこと、見お
ぼえございませんでしょうね」
 とつとつとした言い方に、修はいらいらし
たが、
 「ううんとね、あっ、ちょっと失礼」
 と言い、スポーツドリンクのふたを、まわ
してはずし、ひと口ごくりと飲み込んだ。
 (根本洋子といっしょにいた女性も、確か
にこんな感じの人だった……)
 「いやあ、なにね。急なことでちょっと驚
きましてね。お茶でもいかがですか」
 修は積極的になった。
   
 
 
 
 

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 芭蕉に手をひかれて。 | トップ | 五七五にまとまらず。 »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (sunnylake279)
2022-05-16 19:49:44
こんばんは。
雨の降っている感じが、とてもいいなと思いました。
何かを予感させるような感じです。
新幹線の走る様子と修のゆっくりとした動作が対比的だと思いました。
大雨の中、修に声をかけてきた女性が、若草山で会った人、洋子の友達で、ここで洋子との繋がりができて、とても興味深い展開になり、続きがとても楽しみです。
また、どうぞよろしくお願いいたします。
いつもありがとうございます。
返信する

コメントを投稿

小説」カテゴリの最新記事