『今を生きる』と題しての五木寛之氏の講演。
以前講演を聞いたときは、あまり感動はありませんでした。
ただひとつ、歳を取ると物覚えが悪い”一つ出て行かなきゃ新しいものが入ってこない”というところが記憶に残っています。
3年位前札幌で講演をしたとき、講演を聴いた人が会場から会話もなくとぼとぼと肩を落として帰っていく後ろ姿を見て、これではいけないと講演の内容を変えたということをまず話されました。
で、今回の講演は時々軌道修整しながらいいお話をされました。
今までは憂の時代だった。
今は欝の時代である。
憂のときは世相を反映して映画も『荒野の用心棒』みたいなものが流行、今は『送りびと』だと・・・
自殺者が多いことにも触れ日本は自殺大国だとも。
魂の(心の)デプレッション(心の恐慌)
人間の命が安くなっている。
今を乗り切るには今の時代を明らかに究め(直視して)、我とは何ぞやと自己を知ることが大切である。
人間の生き方は昔から一緒なのだから、その歩き方を自分で考えて。
欝を悲観的に受け取らず、やってできないこともある・・・と理解しなければならない。
”ため息をつけ”
心萎えている時、萎えている心を大切に・・・
萎えたものに水を与えると元通りになるのだから。
欝にはこれから憂になって行くエネルギーと生命力があると。
また無気力な人は欝にはならないとも。
柳田國男は”日本人はもともと泣く民族だった、最近の日本人は泣かなくなった、泣くべきときに大人は泣く”と書き
また本居宣長は”悲しいときには悲しいと思え、人にも語れ”と。
このように若者に向かって話されました。
五木氏は最近危機感を感じている企業から、迂遠(うえん)な話の講演依頼が多いと言っておられました。
どうやって子どもを育てるか・・・優等生でなくても元気な体を持ち、打たれづよく這い上がっていけるように、ほどほどでまぁ~いいかぁ~と言える、そんな大人になってくれるのが理想なんでしょうね
以前講演を聞いたときは、あまり感動はありませんでした。
ただひとつ、歳を取ると物覚えが悪い”一つ出て行かなきゃ新しいものが入ってこない”というところが記憶に残っています。
3年位前札幌で講演をしたとき、講演を聴いた人が会場から会話もなくとぼとぼと肩を落として帰っていく後ろ姿を見て、これではいけないと講演の内容を変えたということをまず話されました。
で、今回の講演は時々軌道修整しながらいいお話をされました。
今までは憂の時代だった。
今は欝の時代である。
憂のときは世相を反映して映画も『荒野の用心棒』みたいなものが流行、今は『送りびと』だと・・・
自殺者が多いことにも触れ日本は自殺大国だとも。
魂の(心の)デプレッション(心の恐慌)
人間の命が安くなっている。
今を乗り切るには今の時代を明らかに究め(直視して)、我とは何ぞやと自己を知ることが大切である。
人間の生き方は昔から一緒なのだから、その歩き方を自分で考えて。
欝を悲観的に受け取らず、やってできないこともある・・・と理解しなければならない。
”ため息をつけ”
心萎えている時、萎えている心を大切に・・・
萎えたものに水を与えると元通りになるのだから。
欝にはこれから憂になって行くエネルギーと生命力があると。
また無気力な人は欝にはならないとも。
柳田國男は”日本人はもともと泣く民族だった、最近の日本人は泣かなくなった、泣くべきときに大人は泣く”と書き
また本居宣長は”悲しいときには悲しいと思え、人にも語れ”と。
このように若者に向かって話されました。
五木氏は最近危機感を感じている企業から、迂遠(うえん)な話の講演依頼が多いと言っておられました。
どうやって子どもを育てるか・・・優等生でなくても元気な体を持ち、打たれづよく這い上がっていけるように、ほどほどでまぁ~いいかぁ~と言える、そんな大人になってくれるのが理想なんでしょうね