伴侶がはじめに見つけましてね。ええ。
うちの中庭の池に住むまだ小さな鯉たちなんですが、
さすがに寒かったんでしょうなあ、みんなでおしくら饅頭してましたよ。
ねえ、かわいらしいでしょう?!
何十匹も一カ所に集まって、ものすごいイベントです。
お正月の勇壮な裸まつりのようにも思えますが、
まだ子どもの鯉たちですから、
おそらくは、おしくら饅頭をやっているに違いありません。きっと
困難にぶちあたって、
100パーセント頑張っても越えられない、
どうしてもだめで、苦しくてたまらないとき。
そんなとき、
「助けて!」って言える勇気を持ちそなえた人。
他人にすがる事のできる人。
・・・自立した人って、そんな人。
「十界のあるところ、これ我が心なり」 空海
人の心の中には、十の世界をあわせ持つ。
ひとつには、地獄の世界。これは、自己中心性の最たる世界です。 全ての責任を他人に押しつけ、常に他人を責め、そして憎悪の念を抱き続ける心の世界です。
次に、餓鬼の世界。おいしいものを食べ、美しく着飾り、豪華な暮らしをしていても、どんなに贅を尽くしても尽くしても、抱いた欲求が満足することのない、甚だしい欲求不満の世界です。
畜生界。動物的本能だけで行動する世界。他人のいのちの尊さなど思うすべを持たない心です。
修羅の世界。好んで争いごとを引き起こす世界です。争いの中にしか、自分の存在を確認することのできない悲しい世界です。
人間の世界。自分の思い通りにならない世界です。四苦八苦しながら生きていかねばなりません。「忍土」とか、「娑婆世界」と呼ばれる由縁です。
天上界。いわゆる「有頂天」の心。一般的に天国といわれている心。酒はうまいし○○チャンはきれいだ、が、他人や周囲の心など思いはかることもなく、ただただ有頂天でそしらぬ心。
声聞(ショウモン)の世界。お釈迦様の仏法や、生きる道を示す品性のある話に耳を傾けることのできる心です。この心以降は、自分の心の中に多くのウエイトを占めておきたい世界です。
縁覚(エンガク)の世界。静かに心を安定させて、自分を取り巻く森羅万象の営みや、人の心のあり方をしっかりと洞察することのできる心です。
菩薩世界。「あれこれ仕事もあるくせにイ~、自分のことは後にする~ウ♪」ような人の心です。他人が悩み苦しんでいる様子を黙ってみていることのできない心。
そして最後には、仏さんの世界。この世の中の全てのものが、全てのことにつながって存在していることを、しっかりと体得している心の世界です。宇宙全体がひとつの大いなる大生命であることを理解するこの心には、物事に執着する心がはたらきません。だから、悩み苦しみから完全に解放された自由自在な魂の世界です。
・・・
以上が、十の世界。
このひとつひとつの世界は、別々にあるのでなく、全てが自分の心の中に同居しています。
どんな心が、自分の生活の中で大きなウエイトを占めることになるのか。その辺が問題なんですね。
禍(ワザワイ)は、自分の心が生産します。幸せも自分の心が創り出します。
<禍を転じて福となす>のは、やっぱり自らの心次第なんですね。
さわやかな心を維持する方法
遊び心のある目的をもって、
遊び心のある具体的な作業をする。
・・・これ、認知症予防のための原則だそうです。