こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

伴侶を敬え。伴侶の主人となるのではなく、真の友となれ。

2014年06月29日 | 仏教

ガンジーさんの言葉だったと思います。アレンジしてますが。(笑

人生最大で最良の親友は、伴侶であると思うとき、

その家庭の礎は、揺らぐことのない堅固なものとなるのでしょうね。

  

ただ1つの石灯籠を設置するために必要になる基礎工事。

数日かけて手の込んだ基礎が製作されています。

何事にも通じる基礎基本の重要性を感じます。

昔、PTAで知り合ったお父さんが、「段取り7割!」と、

準備段階に占めるウエイトについて喝破されていたのを思い出します。

ついつい、目先の華やかな成果に気をとられがちな私たちですが、

影に隠れた地道な努力や感謝の心を抱き続けることこそが、

人生の多くを占める重要なポイントなのかも知れません。

 

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手間をかけて、御手向け(おたむけ)

2014年06月25日 | 仏教

義母と伴侶と三人で、義父の命日にお墓参り。
雑木の傘の下にある墓地には、涼しい風がそよいで、
一面にすがしい青々とした苔が美しく生している。
もちろん、手入れなしにこの状態は維持できない。
手間をかけることで、義父や先祖の喜ぶお墓が保たれる。
まさしく御手向け。

 

  

 

 

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戦争という悲劇は、言葉巧みな為政者の「ホラ」にだまされる国民から始まる

2014年06月15日 | 仏教

 法螺が手に入る。木製の吹き口で、ソフトな音色が出る。厳かな音色が里山に響く。
森羅万象が、私の吹く法螺の音色に感激しうっとりと聞き入っている。・・・
  

などと言った虚言を吐くことを「大ほらを吹く」といいます。
法螺は正しくは「ほうら」。『法華経』には「大法螺を吹き、大法鼓を撃ち」といい、
『心地観経』には「大法螺を吹いて衆生を覚悟して仏道を成ぜしむ
(おおぼらをふいてしゅじょうをかくごしてぶつどうをじょうぜしむ)」とあります。
このように「法螺を吹く」というのは、仏さまの説法、のことなんです。
貝殻の音が遠くまで響き渡るから、それで仏の説法に喩えるといわれています。

 ですから、元来は「法螺を吹く」のは仏さまなんですが、
悟ってもいない人が仏さんの説法を真似て立派なことを語っても、
所詮は実行がともなっていない。そこでそんな人の演説が「ホラ」になり、
「ウソ」ということになったもの。因みに「演説」という言葉もまた元は仏教語なんですと。


 戦争という悲劇は、言葉巧みな為政者の「ホラ」から始まるのが歴史的事実。
気をつけましょう。

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毎月のご奉仕作業参加を慰労して、BBQのひととき

2014年06月13日 | 仏教

ご奉仕作業参加の皆さん相集い、楽しいひとときでした。奉仕作業上半期慰労の会、「お寺でBBQ!」

お寺には極めて破戒的なイベントですんで、境内の一番隅っこにある車庫を会場に。

そのこともあってか、みなさんとてもリラックスモード。よかったです。

 

  

 

 

 

   

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言いたいことを躊躇なく言ってしまうことは、ストレスの解消にはなりません。

2014年06月09日 | 仏教

 あなたの思いが、あなたとあなたを取りまく世界を創りあげていきます。

 近年、脳科学のお話しが、ネットなど様々な媒体を通して私たちの耳に入ってくることが多くなってきました。たとえば、他人に対して怒りの言葉を発した時、その言葉は他人に対して発せられたものであるにもかかわらず、発言した人の脳は自分が怒りをぶつけられてしまったと勘違いしてしまい、後々なんともイヤ~な気持ちになってしまうという事実。面白いですよね。
 しかし、このことは数千年の昔から仏様が説き示しておられたことなんです。
 仏様は、人の心には無意識の深層があって、思いや行動、発言といった私たちのエネルギー(業・カルマ)が、そこに貯蔵されていくんだと説かれます。 だから、私が罵詈雑言を発したり、相手を恨むような思いを抱いたら、それがそのまんま貯蔵されて、そして少しずつ嫌な私を形作っていくんです。嫌悪感ばかり抱くネガティブ人間の固まりになってしまう。 逆に、優しい言葉や温かい言葉を他人にかける人は、それがそのまんま自分の心の深層に染みこんでいって、少しずつ温かい人になっていくと。要するに、人間は自分の心で思ったとおり、行動したとおりの人になっていくんです。すべては心が創造していくんです。
 よくある行動ですが、ストレスを発散するために何か刺激のある享楽に走ったり、最初からストレスをためないようにと、やりたい放題言いたい放題な生き方をする人が居ます。(私もいささか)でも、これでは本当のストレス解消になっていないんですね。これ、大きな勘違い、幻想なんですよ。逆にストレスを増幅しているはずです。
 思いやりの言葉で話をし、慈しみあふれる行動をして、明るくポジティブな心で過ごしたならば、それはそっくりそのまま自分に反映してきます。その結果、自然と苦しみやストレスが解消して、安らかな気持ちがくっついてくるんです。誰もが認める一流といわれアスリートに明るくポジティブな人が多いのは、なんだか解るような気がします。

 せっかくなんで、この話題にかかわる仏様の言葉を付けておきましょう。・・・

1、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも、汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。
---車をひく(牛)の足跡に車輪がついてゆくように。

2、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従う
---影がそのからだから離れないように。
                                                    「法句経」1.2より

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