お参りを済ませて、みんなで境内の美化作業に取りかかりました。
歳の締めくくりなので、お昼はみんなで頂こうと、寺行事の台所舞台の精鋭が集って
お昼ご飯の準備をして下さいました。
境内をもみじが楽しめる山にしましょうとうことで、
取りかかって一年になりますが、まだまだ枯木の除去作業や、竹藪の伐採作業の繰り返しです。
それでも、少しずつ少しずつですが着実に美化作業は進んでいます。
一方では、年の瀬を迎える準備も始まりました。
孟宗竹を細かく切断して、300個以上の竹灯篭を造っていきます。
大晦日の夜と、新年の早朝を、幻想的に演出してくれるおひかり。
今回は、新しい演出を企画されているようです。楽しみです。
みなさん!お見逃しのないように、大晦日の夜はお参りにいらして下さいね。
おいしく楽しい昼食を和やかに頂いた後、
「注連飾り」の講習会が開催されました。
梵天さがりの作り方は、正直初めて学びました。
両手両足を器用に使いながら、しっかりと。
これは、腰痛の人やおなかの出っ張った人には無理ですね。笑
さあ、実際にチャレンジしながら覚えてみましょう!
ということで、新年のお寺の注連飾りは、講師の先生にちゃっかりお願い申し上げた次第。
以上、納め観音ご縁日、いろんな収穫の日でありました。
悟りと感謝
悟りといふ事は
如何なる場合にも
平気で死ぬる事かと思って居たのは
間違ひで
悟りといふ事は
如何なる場合にも
平気で生きて居る事であつた。
正岡子規(俳人・歌人)
人生には、不幸な時も幸せな時もあるでしょう。
誰でも、悩みや苦しみ、悲しみなど さまざまな問題を抱えて もがき苦しみます。
でも、どんな状況であっても、そんな状態の中でできる限り幸せに生きることができるのであれば、
それが悟りというものなのかも知れません。
ともあれ、死ぬ前にね、「幸せな人生だった」ってつぶやくことができたら、
さぞ幸せでしょうね。最高でしょうねえ。
心底そう思える人生を生きることができた人は、
きっと感謝の人生だったに違いありません。
だから、感謝することと幸せな人生って、同義語なんですね。
また、そのことを悟りと呼んでも良いのかも知れません。
さて、年の瀬を迎えます。
感謝いっぱいの年越しがしたいものです。
合掌