「 無常迅速(むじょうじんそく)時不待人(ときひとをまたず)」
「年々歳々花相似(ねんねんさいさい はなあいにたり)
歳々年々人不同(さいさいねんねん ひとおなじからず)」
「人生一生 酒一升、あっという間に もう空か!」
毎年、寒い冬が過ぎると梅が咲き、桜が咲き、例年同じように繰り返されるけれども、
私たち人間は、刻一刻と年齢を重ね老化へと変化を続けている。この大自然のいとなみを、諸行無常という言葉で表すことも出来る。
そんな明日の我が身さえわからないはかない人生なのにもかかわらず、私たちは、くだらない欲望や妄想にとらわれて、争ったり憎しみあったり、殺し合い、・・・そんなことを繰り返している。
そんなくだらない人間から脱出して、安らかな人生を送るためには、どうしたらいいのか?
「平常心」という言葉がある。普通この言葉の持つ意味は、「何があっても心が動揺することなく、本来の力を発揮することの出来る心」と思われているが、それは本来の意味ではない。
「平常心」とは「ありのまま」「そのまま」という意味で、分別する心のない状態のこと。
分別心とは、好き嫌い、おいしいまずい、上手い下手、高級だ安物だ、 健康だ病気だ、あ~でもないこ~でもない、と判別する心のあり方。要するに、われわれ人間のくだらない物差しで物事を判別したり妄想したりしている状態だ。そんな差別分別をやめて、全てを常に平かに見ることのできる心。
それが平常心。
私は、毎朝起床時に血圧を測定するが、いつも適正値である。しかし、病院で計ってもらうと決まって高血圧の値が出てしまう。先生は、「家庭値が正しい値ですので」と笑いながら言って下さるが、私にとっては不甲斐ないこと極まりない。血圧の値が高くなってしまう要因は、測定時にいろんな雑念が湧いてくるからだと推察できる。その雑念や妄想、くだらない分別心が血圧を上昇させる。白衣を着たナースに計ってもらうと余計高くなる。まさしく平常心で臨んでいないのであろう。仏道修行そのものだ。