こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

しろうお

2007年02月28日 | つれづれ
今年も、しろうおの季節になってまいりました。

今年も、河口からわざわざ山のお寺まで、

一生懸命登ってきました。

途中、車酔いで、何匹かへこたれてましたが、

あわてて酸素を補給してあげたら、

一匹残らず元気になりました。



よかった、よかったあ。

・・・




無量無数の自然の命を口にして、

生かさせて、いただきます。


             合掌            

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俺らの学校

2007年02月25日 | 教育
自分の子どもは当然ながら、
ふるさとで育つ子どもたちには、
すてきな地域、すてきな学校で豊かに育まれてほしいと、
切に願う。
子どもの居るいないに関わらず、
至極当然の思いだろう。

だから、地域の子育ちは、
地域全体で共有したいし、
その思いにかなった学校や地域教育を創造していきたいという思いも
とても当然な事だと思う。

そんな地域の思いを吸い上げて、
分析し調整して、実際の形にしあげていくのが、
町の教育委員会や学校責任者である校長先生の仕事。

とまあ、この理屈は、おそらく正しいことだと感じるが、
でも、現実は、全く違う。

こんなすてきな先生には、もっともっと勤めてもらって、
より多くの子どもたちと接してほしい、と皆が願っても、
決して思い通りにはならない。
校長先生が思っても、
教育委員会が思っても、
決して思い通りにならない。

俺らの学校から、
遠く遠く離れたビルディングの中にある一室の、
見たこともない顔をした人が操る、
パソコンが決定する。
このパソコンは、
俺らの学校でどんな先生達が、どんな子どもたちが、
どんな環境の中で、どんな学校教育がなされているのかを、
・・・知るはずもない。

そんなパソコンに操られながら、
こまのように異動する。
そこには、現場の実状や、
よりよい教育環境のための配慮は、
・・・皆無。

この季節になると、
毎年この思いが、ふつふつと涌いてくる。

企業人事は、
健全な会社の発展のために、
社員の能力や人格を充分見極めながら、
なまの人間が総合的に判断し方向性を示し、
管理職が決定していくだろう。
それは、会社の存続と発展に関わるとても重要な事柄だから、
神経を使うだろうし、大きな責任も伴う。

でも、公教育っていう組織には、
責任の所在がとてもあいまいというか、
はっきり言って、なさそう。
いろんな事件や問題が起こっても、
時間の経過とともに、
煙に巻かれて何となく過ぎていってしまうことが、
如実に現している。

とはいえ、
今のようなシステムじゃ、
責任とれ!っていわれても、
地方の教育委員会や校長先生には、
あまりにも残酷だ。
責任をとるからには、
地域の意思を代表する者として、
自ら決定した人事や学校運営内容でなければ、
とりようもない。

こんなこと言いながらも、
一方では、無理な話かなあ?
っていう思いもある。

それは、「地域格差」。
たぶん地域の行政力や、教育力の違いで、
どんどん格差が増大し、ボロボロになっていく学校が出てくる。

・・・

あ~、難しい話しになった。
しなきゃよかった。



でも、俺らの学校は、

地域の義務と責任で支えたいものだ。




コメント (6)
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大人って・・・

2007年02月23日 | つれづれ

神仏に一番近いところに生きているのは

こどもたち。



神仏から、少しずつ遠ざかっていくのが、

大人とよばれる人たち。


そして、それに気づいて、

再び神仏に近づこうとするのも、また大人。


一口に大人って言っても、

いろいろ。


そうだなあ・・・

「こういうのが大人だ!」っていう

自分の物差しを持つことができるのが、

大人かも知れないね。

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2007年02月16日 | つれづれ
ウグイスが日中に、

フクロウが夜分に、

・・・さえずり始めました。


(「囀り」さえずりって漢字、・・・難しい。)


さあ、近くなってきたぞお、春が。(笑    
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向き合い

2007年02月09日 | 教育
明日は、小学校を会場に「漢検」がおこなわれる。
「漢字検定試験」だ。
今、次男坊と伴侶が、各々の目標とする級に合格するため、
戦闘態勢に入った。

長男はすでに昨年、目標レベルに到達し余裕のヨッチャン。
母親に向かって、「お母さんが追いつくまで待っててあげる。」と。
その言葉に奮起した伴侶は、長男の合格したレベルのひとつ上を受験申し込み。
「お母さんがワンステップ上で待っててあげる。」と。

いささか後悔の念がないでもなさそう(笑

ともあれ、家族中がひとつの目標に向かって取り組む姿は、とても良いものだ。
ほのぼのとした安堵感や幸福感まで味わえる。


よく世間では、
「子どもと向き合いなさい、対話をしなさい、ふれあいなさい」という。

これは、ややもすると勘違いされる言葉かも知れない。
親と子の向き合い・・・ベクトルは決して対向するのではない。
子供と共に何かの目的に向かうもの。
具体的な行動、作業活動をすること。
ファミリーマラソンとか、その他のスポーツイベントにむけて、
ともにトレーニング。
夏休みの作品を一緒に企画制作し、入選ねらい。

・・・親子で楽しめる何かを見つけて、
一緒に取り組んでいくその過程において、
真の向き合い、語り合いが生まれるような気がする。

子どもとのふれあいに、糸口を見いだせないでいる親子がいるとすれば、
ベクトルを同じ目標方向に向かわせるというやり方に、
意識を変換してみると如何かと思った。

ちなみに、私は明日、ご法事がたて込んでいて、
漢字検定に臨む事ができない。・・・残念っ!!

                  

                 
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