郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

~こそ

2024年11月29日 | 日記

 高野山に行ったときにガイドさんが「お世話をする人が居てくれてくれたからこそ、今日の旅行にこれたと思わなくてなりません。けれど自分にこそを付けて自分こそが率先してお世話をしたから今日の旅行があると威張ってはいけません。」と説教じみたことを述べられた。そもそもこそは話し手が他のものを排除することにより、あるもの(こその前の言葉)を際立たせ、限定化するための判断を述べるときに使います。だから、自分が自分にこそを付けて自分に都合のいい判断をし、主張することはおかしなことと言えます。自分こそが、自分だけが、自分しか、のように自分中心に考えると相手との関係が乱れます。自分ファースト(first:第一)にならないと生きていけない世になってきたから戒めるために述べられたのでしょうね。本当は自分だけで生きてはいけないのに自分だけで生きているように身勝手に思いがちです。身の周りのものを自分だけで作れるわけでは無く他の人のお世話になっています。食べ物だってそうです。それを勘違いして感謝をせずに自分だけ良ければよいと幅の狭い考えに誰しも陥ってしまいがちです。「倶会一処〔くえいっしょ〕」と刻まれた墓石を目にします。本来の意味とは違うかも知れませんが亡くなってからも倶〔とも〕に会い、浄土で一緒に居るわけですから娑婆〔しゃば〕(現世)においても互いに尊敬し合い、助け合いながら暮らさねばなりません。そんなことを旅行の帰りのバスの中で思いました。

 今日の夕食は、


 ◆和風ロールキャベツ ◆柿の白和え ◆サラダ ◆長芋のバター醤油 ◆ご飯 
   ~  ~


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