家人がテニスコートがある公園に行くと、草が刈られていました。10人近くが作業をされています。草を抜くのではなく、草刈り機で地上の草だけを刈り取るので刈り取った後の数ヶ月は綺麗ですがその期間を過ぎると根っこから草が生い茂り、草ぼうぼうの見苦しい状態になります。だから、定期的に刈り取り作業が必要になり、市から請け負った造園業のメンテナンス作業として固定収入になり、それはそれでよいわけです。が、昔の農家さんなら鍬で根切りしたり、備中鍬(三つ叉鍬)で草を掘り起こして草を取り除き、生えないようにするのでしょうね。その違いは自分の土地かどうかで決まるのでしょう。そんな話しを家人としました。この町の地域の小さな公園でも、昔は自治会が音頭をとり地域の人が総出で草取りをしましたが、今では自治会の役員さんしか参加しませんし、自治会環境部が業者に費用を払って頼んだり、公園は市の土地ですから市がやるべきだと言った風に変わりました。地域の住民も忙しくなり参加せず、草取りもドンドンと手抜きをし草刈り機を使用するようになりました。地域の運動会や盆踊り大会、秋祭りなども同じように自治会自体が連合自治会のイベントに参加をしなくなりました。東京に家人が単身赴任中のときに稲荷神社のお祭りがあって親子が神輿〔みこし〕を引いて東京でもこんなお祭りをするんだと私は思ったけれど今では旧町名町内会ホームページも小さな神社自体が地図上で見つからない。端的なのが情のないお葬式です。20年前とは人も何もかもが大きく変わってしまった。何がそうさせてしまったのでしょうか。それを進歩と言うのでしょうか。
◆ローストビーフ ◆鶏モモ肉とレンコンのロースト ◆ポテトサラダ ◆茶碗蒸し ◆ご飯
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11/03 追記: 20年前
清護院稲荷神社 東京品川区大井鎧町 を記名したタオルが残っている。このタオルを貰うのを躊躇したことを思い出す。「私はこの町の人間ではありません」と言ったけれどお祭りだからと渡された。当時は不況でした(家人の会社だけだったかも知れませんが、利益を出すために人減らしのリストラをしていた)。多分、生活の糧を失うリストラが人を変えたのでしょう。自分の身は自分で守らねばならないと強く思うようになり、会社への忠誠心は無くなっていったと思われます。それが社会全般への奉仕の考えも崩してしまった。特異的に残ったのがボランティア活動ですがあくまで個人の自由に任されている。今までの会社の勤勉・団結・奉仕というモラルは消えて跡形もありません。昔人間としてはそれに加担したことを後悔と寂しさを持つと家人は話す。でも。それは時代の流れなのでしょう。