明治41年5月建設
大雲山 龍安寺
この地はもと円融天皇が永観元年(983)3月に造立された円融寺があったが、正歴2年(991)天皇の崩御後、寺は衰微し、平安末期に左大臣藤原実能の領有することになった。実能はここに山荘を営み、傍らに一宇の持仏堂を建て、徳大寺と号した。これがのちの家名となった。山荘はその後、徳大寺家の子孫の世襲するところとなったが、室町時代の宝徳2年(1450)室町幕府の管領細川勝元が右大臣公有(12代)に請うてこの地を譲り受け、己が別業とするとともに、また邸内に一宇を創建し、妙心寺の義天和尚を招じて大雲山龍安寺と号したのが、当寺の起こりです。
寺院 前回の記事 ➡ 寺院伏0419 淀の 円通寺 浄土宗
五七五
菊も刈り芒も刈りぬ霜柱 /子規
ことわざ
李下の冠