大炊御門万里小路殿は,平安京左京二条四坊十一町にあった但馬守源高房(?~1077)の邸宅。後三条天皇(1034~73)は,延久5(1073)年病を得てこの邸に行幸,この地で崩御した。のちに中納言源能俊(1071~1137)の領となり,白河法皇(1053~1129)は仮の御所とした。鎌倉末期には里内裏として度々利用された。この石標はその跡を示すもの。
右側面 白河天皇ノ内裏
富有同窓会
紀元2600年
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