アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

修学院離宮 

2015年12月05日 07時52分34秒 | 名園

 

この離宮は後水尾上皇のために徳川幕府が造進した山荘で、はじめ修学院の御山荘または御茶屋と称した。上皇は幕府の公家勢力圧迫の政策を不満とし、寛永6年(1629)34歳で退位し、退隠の場として山荘の地を求めてしばしば洛北の地を御幸された。承応4年(1655)修学院村の円照寺で景観に感動され、円照寺を奈良に移し、山荘造営に至った。工事は上皇60歳の明暦2年(1656)頃から開始され、3年後の万治2年(1659)3月にほぼ完成した。はじめ上下2ケ所からなり、上皇自ら設計・監督されたといわれる。上皇はこの山荘を愛され、延宝8年(1680)8月、85歳で崩御されるまでたびたび御幸された。崩御後は荒廃がすすんだ。その後、享保6年(1721)霊元法皇の臨幸によって修理され、文政7年(1824)光格上皇臨幸の際に幕府によって復興された。明治17年(1884)離宮となり、翌18年それまで林丘寺にあった客殿と楽只軒の返還をうけて「中の茶屋」が設けられた。庭園と建物を中心とした上・中・下の3つの茶屋にわかれている。

 

 

入口で

 12月5日 撮影 画像追加   手入れ

 



最新の画像もっと見る