天塚古墳
塚は長さ71メートル、二段築成の前方後円墳で、ほぼ南面している。前方部が著しく拡大し、高さも前方部の方がやや高い。内部主体は横穴式石室からなり、後円部の中央西側と前方部のくびれ部との二ケ所にある。明治20年(1887)くびれ部の石室を発掘した際、鉄製馬具類や鉱金刀類等が銅鏡・碧玉類とともに出土した。それらはいま、京都国立博物館や京都大学に保管されている。
この古墳は、6世紀前半の築造で、近くの蛇塚や甲塚と同じく大陸から渡来してこの地域を開いた秦氏一族の首長の塋墳とみられる。往時の土木技術や一族の勢力圏を探る貴重な手がかりになっている。嵯峨野地方現存古墳中、墳丘・内部構造・出土遺物共にそろっているのはここだけで、貴重な存在である。石室内には、現在、白清稲荷が祀られ、信仰の対象になっている。
明治42年(1909)建立
ぐるっと 右回りに一周してみます
石室
墳丘部分
もう一方の 墳丘部分
最初の入口付近
スェーデン皇太子 訪問記念碑
碑文が書かれています
大正十五年九月廿六日
瑞典国皇太子殿下
同 皇太子妃殿下
両殿下御台覧ニ浴ス
大正十五年十一月十一日
暹羅国
タニー親王殿下
御台覧ニ浴ス
「瑞典」はスウェーデンの,「暹羅」はシャム(現タイ王国)のそれぞれ音訳表記。天塚古墳は前方後円墳の首長墓で国指定史跡。大正15年9月26日に,来日中のスウェーデン王国皇太子グスターヴ・アードルフ夫妻が京都帝国大学教授浜田耕作のすすめで見学した。ついで同年11月11日に,来日中のシャム王国文部大臣ダンニ親王が見学した。
「瑞典」はスウェーデンの,「暹羅」はシャム(現タイ王国)のそれぞれ音訳表記。天塚古墳は前方後円墳の首長墓で国指定史跡。大正15年9月26日に,来日中のスウェーデン王国皇太子グスターヴ・アードルフ夫妻が京都帝国大学教授浜田耕作のすすめで見学した。ついで同年11月11日に,来日中のシャム王国文部大臣ダンニ親王が見学した。
スウェーデン皇太子夫妻の天塚古墳見学については山田邦和「考古学者スウェーデン皇太子入洛」(丸山宏他編『みやこの近代』2008年思文閣刊)に詳しい/スウェーデン皇太子夫妻は天塚古墳とともに至近の千石船も一見している/解説中「ダンニ親王」の表記は大正15年11月に同親王の来京を報じた一連の京都日出新聞記事に依拠した
左の石碑
京都の古墳 ➡ 史跡 天皇の杜古墳
スェーデン皇太子はここも見学しています ➡ 千石公園の石碑